どっぷり日常生活に浸っていると現在の状況がごく当然のようにやって来ると錯覚しやすい。しかし病気というものはある日突然やって来る。それはいきなりやって来るのだが、実は長い間での習慣によって蓄積された結果でもある。つまり体質というものがそのようになって来ているので手術によって取り除くというような単純なものではない。

 世の中には必要なものと贅沢と思われるものがあり常に最低限の摂取をしていると病気というものにはかかりにくいのではないか。私みたいにふしだらな生活をしていると、美味しさやうま味のないものはまったく無味乾燥なものに映る。

 最近うま味のないものが実は人間の体の維持にとってはより大事なのではないかと思える。経済水準が上がって昔みたいな生活水準の粗食では到底満足し得ない状況ができあがっている。消費こそが美徳で、そのために一生懸命働くという悪い習慣は食生活のみならず生活スタイルそのものであると言ってもよい。

 私などより高齢な人でもえらく活動的に動いている人が居る。彼らはそれが日常の生活スタイルなので気にしてはいないのだろうが、彼らは無駄に栄養を摂らないようにしているのではないだろうか?私は皿に残った最後の一切れをどうしようかと迷った時必ずそれを始末しないと気が済まない性質である。お腹が一杯なのに自分の胃袋に自信があるものだからエイヤと思って食べてしまう。作ってくれた人に悪いとかではなく、勿体ないという気持ちの方が強く、とにかくきれいに片付けてしまおうと思うのだった。

 飽食の時代と言われて久しいが実はこの贅沢こそが病気の原因と言ってもいい。生きている間に何が大事かと言えば、健康で好きなことができる状況にあることだ。究極的には細く長く好きなことに邁進することに尽きる。かと言ってかつての何処ぞやの会長みたいなメザシと飯というような食事はイヤだ。 幸い田舎に居るので色々な野菜を作って食べることはできる。これが町の中だと一つ一つ買わないとならないのでこれは大変なことだ。今年もまたゴーヤの夏がやって来る。  

 

昨日植えたヒヨドリバナとナギナタコウジュらしきもの。

まん中ののは多分ヒヨドリバナだろうと思う。

 

ワカラナイというのは未確認物体を追跡するようなものだ。

 

対生で葉の切れ込みが割と深い。

 

左側のナギナタコウジュではないかと思っているもの。

葉を揉んで臭いを嗅ぐとこれがまた強烈に臭いので多分そうだろう。

 

最初枯葉を焼いた傍に生えていたので灰で汚れているのだろうと思ったがそうではなかった。

 

黒い染みみたいなものは黒い斑のようなものだった。

 

シソ科のコリウス類はこのようなものがよく見られる。純粋のナギナタコウジュではないかもしれないし、まったく別なものかも知れない。さてどんな花がさくのだろう・・・。