<初診>脳出血と育児うつからのうつ病② | ソウル暮らし~世界4分の1

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98年に韓国語を始めて早22年。韓国ソウル生活通算15年。韓旦那に娘と黒柴の4人でソウルの無駄に広い公園から移動してソウルの端っこで生息中。



精神健康医学科での初診の続き。

 

医師の「どういう理由で治療を受けたいと思ったのか」という質問から始まった。

開頭手術、出産、てんかん剤の服用の話をし、

「育児うつではないかと思って治療を受けたいと思った」と答えた。

 

医師は

「育児うつだと、自分で思う理由は何か」というので、てんかん剤のことと

 

「少々のことなら平常心でいられるが、作ったご飯を娘が食べてくれなかった時に、スイッチがはいり、娘のやることなすことすべてに、イライラし始め、大きな声でどなりつけるようになりました。発狂しそうになったら娘をリビングにおいて、寝室に1人こもってクッションを投げたり。ひどいときは娘の前で洗濯物を散らかしてしまったりしました。

部屋の向こうで娘の泣く声が聞こえても、何もできずにとじこもっていました。

当然旦那にも強くあたりました。いっぱい泣きました。それくらいイライラしはじめたときは、指の爪を噛むようになった。一番イライラがすごい時は・・・少し、いいにくいんですが・・・」

 

と、言葉が詰まった瞬間

 

医師が「娘さんを殺したくなった?ですね?」

 

というので、びくっとした。

この直接的な言葉にかなり衝撃を受けながらも、こう答えた。

 

「殺したいというよりも、おしりでも叩いてやりたい、ものを投げつけてやりたい、ひっぱたきたい。と思うようになりました。そうですね、殺すという言葉より、「いなくなったらいいのに」と頭によぎったこともあります。」


こう答えるのが精一杯だった。涙を流さないようにこらえていた。

 

医師は簡単に「殺したくなった」という表現を使ったが、

そう思って、この科にやってくる人もいるからなんだろうな。と、

変な話少し安堵した。

 

さらに話は続いた。

「これ以上24時間一緒にいたら、お互いに自分が望むような関係は築けない気がしたので、2歳数ヶ月でオリニチプに通わせるようにしました。もともと2歳頃から通わせるつもりではいたので。

 

でも、オリニチプに通わせて4ヶ月たちますが、前と精神的に変わりません。未だに大きな声で腹を立てたりします。

特に、変わったことといえば、

一緒にいたときは、毎日やることがありすぎたので、考える暇も休む暇もなかったのですが、今自分の時間ができたにもかかわらず、その時間を無駄にしてしまうようになりました。

 

ある程度の家事を終えて、TVをみるとか本を読むとか、自分のやりたいことをやろうとした、ふとした瞬間、一切何もできない時間ができるようになりました。

無気力になるんです。ぼーっとしてしまい、思考が停止してしまい、ソファでただただボーっとしてしまいます。ただただ何もしたくない。したくないというより、何もできない。体が動かない。気分が底辺にまで落ち込んでしまう、という感じになります。半日そんな状態の日もありました。

それが、『おかしい』と思い、『時間がもったいない』とあせって、余計ストレスがたまっていくというのを感じました。」

 

「気分がハイになることは?いつもと違うくらい気分が高揚するということですが」

 

「ありません。ただただ、落ち込むだけです。通常の生活をしていて突然。
ハイになるというのは、何かにがむしゃらになったり、いつも以上に喜んだりということですか?なら、それはないです。躁うつ病のことを言っているのなら、ちょっと自分は違うのかなと思います。旦那にもきいてみましたが、客観的に喜怒哀楽の哀の部分のみがいつもと違うといわれました。怒の部分は、出産後やはりひどくなっていましたが。」

 

医師は、

「では、まずは日を決めて心理テストを受けましょう。恐らく結果は、『脳出血を起こした部分が原因』ということになりますが。手術した部分が、まさにうつ病を引き起こす部分であるのは、手術の画像からみても一目瞭然なので。

 

それと、薬も服用してみましょう。」

 

薬は避けたいなと思っていたので、「薬物治療より、カウンセリングのほうがいいんですが・・」

というと、

「カウンセリングもできますが、1週間に一度の診療と、その都度数万ウォンくらいはかかりますよ。今の状況を鑑みると、あなたには薬のほうが楽かもしれません。」

 

「・・・・とりあえず薬にしてみます。(飲む飲まないは自分都合だし)」

「では、そうしましょう。」

 

といって、心理テストの日程を決め、心理テストの大量の「宿題を」渡され、

薬を処方し初診が終わった。