「海外の教科書に章を書いたなら、それを訳せばいいのでは?」——実はそうじゃないんです | ダナ形成外科

 

 

毛髪移植を手がける韓国人医師の中には、国際的に知られる教科書の章を執筆した経験を持つ方もいます。特定の技術的なテーマについて、自分の専門分野を担当する形で参加するわけです。それ自体は、キャリアの中でとても意味のある経験だと思います。ただ、ここで誤解されがちなのが、「その経験があるなら、翻訳すれば自国語版の教科書になるのでは」という考え方です。実際はそうではありません。章を一つ書くことと、本全体を組み立てることは、まったく違う作業なんです。

 

国際的な教科書は、国際的な読者を想定して組み立てられています。その結果、顔立ちや毛髪・頭皮の特徴、よく行われる術式そのものまで、西洋人の視点が土台になっていることが多いんです。誰かが間違えたわけではなく、そもそもそういう前提で作られているということですね。

 

ひと目で比較

考え方 実際
翻訳すれば自国語版の教科書になる 本全体の構成自体が韓国の患者・診療を基準に組み直される必要がある
一つの章を書いた経験=本全体を書ける 章の担当と、本全体の構成を決めることは別の作業

よくある質問

Q. 海外の教科書の章執筆は、もう必要なくなったということですか?

A. いえ、そうではありません。国際的な読者に向けて発信する手段として、今も意味のある活動です。

 

Q. 翻訳のほうが手間も少なくて済みそうですが、それでは駄目なんですか?

A. 手間の問題というより、本の構成自体が異なる前提で作られているため、翻訳だけでは必要な内容を満たせないということです。

 

Q. 韓国語の教科書は、一人の医師の考えだけで作られたんですか?

A. いえ、学会として30人を超える執筆者が参加した共同の事業です。

 

Q. 海外の教科書は、もう参考にならないということですか?

A. そうではなく、一般的な参考資料としては今も有用です。足りなかったのは韓国の患者・診療に特化した部分だけです。