京都府京都市右京区。帷子ノ辻駅(嵐電嵐山本線)から大映通り商店街を歩いていると、三吉稲荷神社と云う小さな神社があります。

三吉稲荷神社

又の名を「映画神社」と云い、当時日活太秦撮影所と云う映画スタジオの所長だった池永浩久(1877〜1954)と、当時同所に所属していた俳優やスタッフ等によって、1930年5月に創建されました。


池永浩久(1932年)


新たに築かれた背景には、去る1928年に日活撮影所が大将軍一条町から太秦へ移動した事に伴う周辺の再開発がありました。竹藪等が生い茂っていた太秦の自然は、斯うした宅地化によって破壊され、元来そこに住んでいた小動物は街中に頻繁に出没するようになります。


そこで、池永は住処を失った小動物を哀れみ、既に荒廃していた中里八幡三吉稲荷と称される二宇の祠を合祀させる事で、何とか鎮めようとしたのでありました。撮影所内から「人情所長」と呼ばれた池永の、何とも言えない慈悲深さが窺える神社でもあります。


日本映画の父 牧野省三先生顕彰之碑


次に、池永と共に三吉稲荷の創建に参加した当時の俳優およびスタッフの顔ぶれを調査すべく、本殿を取り囲む玉垣等を見ていきます。先ず、三吉稲荷の鳥居の両端には、山本嘉一(1877〜1939)の玉垣が二基あります。


山本嘉一(1929年)


今や山本をご存知の方は、殆どいらっしゃらないかと思いますが、彼の「オッペケペー節」で有名な川上音二郎(1864〜1911)と、その妻である川上貞奴(1871〜1946)の両一座を影で支えた人物として知られ、後に当時の日活向島撮影所と云う新派新劇の映画スタジオに入所。大御所俳優の元祖として活躍し、撮影所内からは「先生」と呼ばれた日活の最重要人物であります。


この山本の玉垣を先頭に、鳥居右側からイロハ順(一部不揃いの箇所有り)で同所の俳優およびスタッフの名が並んでいるのです。確認の出来る三吉稲荷の寄進者は次の通りです。


青字は当時の所属俳優、黒字は当時の製作スタッフおよび詳細不明の人物に区分しております。


山本 嘉一

市川 小文次(1893〜1955)

伊丹 禮三郎*1

入江 たか子(1911〜1995)

生島 日三郎

常盤 操子(1897〜1959)

磯川 元春(1882〜没)

伴 淳三郎(1908〜1981)

阪東 巴左ヱ門(1875〜没)

浜口 冨士子(1909〜1935)

西村 治三郎(時代劇技芸部監事、1878〜1941)

鳥羽 陽之助(1905〜1958)


〜数基確認不可〜


尾上 蝶次郎*2

大井 士郎

葛木 香一(1890〜1964)

神田 俊二(1900〜没)

吉野 朝子(1907〜1939)


〜数基確認不可〜


高橋 爲市(時代劇技芸員係主任、不詳〜1936)

高木 永二(1896〜1943)

高木 桝次郎(1871〜没)


〜数基確認不可〜


高勢 實(1897〜1947)

高尾 新三

瀧澤 靜子(1902〜1952)

辻 峯子(1908〜不詳)

中村 紅果(1899〜1961)

永井 寬二郎(1907〜戦死)

梅村 蓉子(1903〜1944)

中野 英治(1904〜1990)

中村 秀郎

中村 錦司


〜数基確認不可〜


宇田川 寒待(現代劇技芸員係主任、1900〜不詳)

久米 讓(1899〜1945)

楠 英二郎(1902〜1974)

(光)岡 龍三郎(1901〜1961)


〜数基破損?〜


山口 佐喜雄(1902〜没)

松島 照三郎*3


〜数基確認不可〜


伏見 直江(1908〜1982)

嵐 珏松郎(1878〜不詳)

嵐 璃左ヱ門(1881〜不詳)

嵐 亀三郎(1878〜不詳)

淺香 新八郎(1906〜1944)

澤田 清(1906〜1975)

嵐 珏若*4

淺野 雪子(1904〜1973)

笹谷 源三郎(現代劇技芸部監事、1898〜戦後)

不破 熊吉(現代劇出写会計部監事、1879〜不詳)

阪本 清之助(1903〜戦後)

澤村 傳兵衛*5

櫻井 京子(1912〜不詳)

清川 莊司(1903〜1984)

木下 千代子(1903〜没)

三桝 豊(1892〜没)

實川 延一郎(1875〜1940)

澤村 春子(1901〜1989)

嶋谷 美三郎(時代劇美髪部主任)

山田 純三郎(1884〜1956)

廣瀬 恒美(1898〜1971)

人見 鶴之助

酒井 米子(1898〜1958)

森 茂*6

森田 肇(1901〜不詳)

瀬川 銀潮(1895〜失踪)

瀬川 路三郎(1894〜1968)

山本 嘉一


大河内 傳次郎(1898〜1962)*7


【献灯台】

片岡千惠藏(1903〜1983)*8


【灯籠】

小泉 嘉一郎*9


【脚注】

*1 経歴未詳だが、伊丹禮二郎の誤植と考えられる。

*2 経歴未詳。尾上蝶之助(1891〜不詳)と同一人物か。

*3 経歴未詳だが、松島燕三郎の誤植と考えられる。

*4 詳細不明。嵐岡若と同一人物か。

*5 詳細不明。澤村傳平と同一人物か。

*6 詳細不明。木藤茂(現代劇監督部撮影監督、1901〜1983)の誤植か。

*7 「牧野省三先生顕彰之碑」の左下に点在。池永と一時対立した影響だろうか。

*8 千惠藏映畫嵯峨野撮影所所属。確認の出来る唯一の他社からの寄進者である。

*9 詳細不明。角井嘉一郎(時代劇舞台装置部)と同一人物か。


1930年当時の名優が勢揃いしています。玉垣から推測するに、三吉稲荷の創建に日活太秦撮影所の中枢部である監督部脚本部撮影部の各スタッフが関与した様子は無く、池永を含む事務部や、俳優が集う技芸部、そして俳優と直接的な関わりを持つ衣裳部美髪部が中心となって行われた一大事業であったと考えられます。池永が如何に撮影所内で支持されていたか、よく分かると思います。


大河内の玉垣がなぜそこに?


現在でも多くの映画関係者や志望者が参拝に訪れるそうですが、玉垣に就いては、例えば大河内傳次郎伴淳三郎入江たか子等といった、第二次世界大戦終結後も芸能活動を続けた俳優以外には、見向きもしない人が殆どでありましょう。今や当時のネガフィルムは殆ど現存しておりませんし、当時の映画関連資料もそれほど多くありませんので、仕方のない事だと思います。


ただ、創建当初は周辺に多数の撮影所がありましたから、撮影所関係者や映画ファンで溢れ返っていた事でしょう。果ては、好きな映画スタアや名脇役の玉垣探しでもしていた事でしょう。当時の人気ぶり…そして当時この様なスタアや名脇役が居たと云う事を…いつ迄も忘れないで頂きたい…と願うばかりであります。


このように、三吉稲荷の創建の裏側には、池永所長の心温まる逸話がありました。また、芸能の神様を祀る車折神社のパワースポットとして、著名人の名前が記された朱塗の玉垣が有名ですが、三吉稲荷は斯うした芸能人の玉垣」の礎を築いたと言っても良いのではないでしょうか。


ただ、今回残念なことに、玉垣が屋外倉庫や小屋に隠れていたり、隣接する店舗の室外機に隠れていたり等で、寄進者の確認が出来ない箇所が多々ありました。三吉稲荷神社は物置場ではありません。神聖な場所であります。これ以上、余計な物を置かないで頂きたいと存じます。


光岡龍三郎の「光」の字が…



以下、上級者向けの余談です。


最後に、今回確認が出来なかった玉垣に刻まれている俳優およびスタッフの候補を、誠に勝手ながら挙げてみようかなと思います(笑)。寄進者として考えられる方々は以下の通りです。なお、これらは全て当時の映画撮影所録や俳優名鑑等を参考にして作成しています。


鳥羽陽之助〜尾上蝶次郎間


土井 平太郎(1873〜没)

小川 隆(1891〜没)

尾上 華丈(1898〜1969)

尾上 桃華(1898〜1953)

尾上 卯多五郎(1875〜1934)

尾上 助三郎(1918〜1983)

尾上 鶴五郎(1884〜不詳)

大崎 史郎(1900〜1967)

沖 悦二(1904〜1937)

大池 源太郎(時代劇衣裳部主任)

香川 良介(1896〜1987)

金平 軍之助(1905〜戦後)

川上 彌生(1905〜戦後)

神元 德三郎(現代劇衣裳部主任)

亀田 モト(現代劇部美髪部主任)


吉野朝子〜高橋爲市間

高木桝次郎〜高勢實間


横山 運平(1881〜1967)

吉井 康(1897〜不詳)

横田 豊秋(事務部総務、1903〜1936)

谷 幹一(1901〜1939)

田村 邦男(1907〜1941)

竹村 鐵二(1900〜1982)

高津 愛子(1910〜不詳)

巽 久子(1905〜不詳)

瀧花 久子(1906〜1985)


中村錦司〜宇田川寒待間


中村 英雄(1919〜1943)

南部 章三(1898〜戦後)

村田 宏壽(1899〜1958)

夏川 靜江(1909〜1999)

浦邊 粂子(1902〜1989)


(光)岡龍三郎〜山口佐喜雄間


山本 絹枝(1912〜不詳)

山田 五十鈴(1917〜2012)

山田 順次郎(現代劇美髪部美髪師)


松島照三郎〜伏見直江間


藤野 龍太郎(1909〜不詳)

伏見 信子(1915〜戦後)

增田 增太郎(事務部庶務主任)


その他考えられる俳優およびスタッフ


一木 禮二(1906〜1952)

伊藤 壽榮子(1866〜没)

葉山 冨之輔(1889〜没)

新妻 英助(事務部発送主任、1898〜1951)

津守 精一(1892〜不詳)

月山 牧人(1901〜1940)

潮 萬太郎(1909〜2000)

小島 倉雄(1892〜1939)

小杉 勇(1904〜1983)

小松 みどり(1891〜1982)

小林 靖長(事務部所長主任)

小西 好友(事務部経理主任)

寺島 貢(1904〜1965)

淺岡 信夫(1899〜1968)

東 勇治(1902〜不詳)

齋藤 紫香(1901〜1961)

佐藤 圓治(1897〜1971)

佐久間 妙子(1908〜戦後)

北原 夏江(1909〜不詳)

衣川 光子(1908〜不詳)

三田 實(1902〜不詳)

三井 泰三(1903〜不詳)

見明 凡太郎(1906〜戦後)

島 耕二(1901〜1986)

島田 文郎(1908〜不詳)

森 悦郎(1905〜不詳)

杉山 昌三九(1906〜1992)

鈴木 莊司(時代劇出写会計部監事)


非常に長くなりましたが、以上になります。今回挙げた俳優の詳細に就いては、後日、映画撮影所録の紹介改めて述べる事に致します。乞うご期待。


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