先日、風水が気になってお布団の向きを変えてみました。

気のせいか、いろんなことが薄皮をはぐように好転してきているようなきがします。何事も気の持ちようって大事よね。「自分がこうしたいんだ」と思う(想像)するってことは、引き寄せの法則でも繰り返し言われ続けてることですし。

もうすぐまたネイルの検定なのですが、先日もサロン見学に行って思ったことは、資格ってなんだろう?資格保持=その資格に関係した技術に長けているってことにはならないのよね。あくまで入り口に立ってるっていうか、扉を開ける鍵を手に入れたぐらいの感じっていうか。

サロンに働くって拘束時間は長いし、人間関係も色々だし、自分に果たして向いてるんだろうか?雇用=安定っていう図式は、世間の刷り込みなんじゃないのかなぁ?なんて疑問が浮き沈み。

今朝見た夢は、津波が来て避難所に逃げてる夢だった。

自分なりの解釈は、津波=今まで自分が持っていた全てが根こそぎ無くなる状態出不安に思っている自分を表してるのかなぁ?って思った。OLとか肩書きがなくなってる今の自分の立ち居地。そういう状態になんか漠然とした不安を持ってるのかも。でも仕事をやめてブラブラしてるわけではなくて、職業訓練というか、学校に通っているわけなんだけど。でもそれがこの先どうお金と結びつくのか?という不安がきっと潜在意識の中にあるのかも。

その夢の続きで、なぜか避難所にカーニバルの屋台みたいな食べ物屋さんが並んでいた。なんで避難所なのにカーニバル?(たぶん人生はいろんなことがイリュージョンだってことかも。見る人が見れば避難所と思う場所が、人によっては違うものに見えてる場合もあるというか、そんなことを象徴しているのかも)

その屋台みたいな列に自分が並んでいた。色んな食べ物が配られているなかで、自分の番になった。そしたら自分が食べたいと思ったものとは別なメニューの食事が出てき戸惑う自分。この状況でこれでは無くて、別なものが欲しいって言ってもいいのかな?って考えてる自分。

ハンドバッグの中を見たら、なぜか大量の札束が入っていた。ただで配給受けるなら、もらえるものしか受け取れないけれど、お金を払ったら欲しいものを受け取りたいと言ってもいいよね?と考えている夢の中のあたし。不安に思っている状態に居ても、よく見れば自分が必要なもの既に手にのなかに持っている。だから不安に思ったり、嫌なものを無理に受け取ろうとしなくても良いって事を自分に許そう。そんなことを暗示してる夢なのかなぁ?

話はちょっと変わりますが、昨日から相方が仕事で、早朝5時に電車に乗って仕事にいかねばならない状況が二日ばっかり続いています。本当はその二日間、学校に行って検定の練習や授業を受けようと思っていたんだけど、振り替え可能なので自分の学校は休みにしました。相方を駅まで車で送った後、ちょっと罪悪感を持ちながら二度寝。ゆっくり起床してから家事をして気になってる本を買いに本屋に行ったりしました。ここしばらくゆっくり本を読む暇すらなかった。本を読みたいと思ったら、不思議なタイミングで読みたいと思う本のちょうど発売日に本屋に行く日が重なっていた。これは偶然ではなくて必然なのでは?

20数年ずっと自分が働き頭になっていたので、マッタリ過ごす日はなんだか過ごしてはいけないような気がしてしまう。ゆっくりした時間=怠けているような気がしてしまう。

でもそういう時間が持てることに罪悪感を持つよりも、ありがたいと思って過ごすほうがナンボも質がいい時間になるような気がした。

今は相方の稼ぎにお世話になりつつ、自分の貯金を切り崩しながらの生活。働かざるもの食うべからずと、子供の頃から言われ続けて育ったあたしは、なんだか今の生活がいけないことをしているような気がしてならない。

早朝出勤でバスが走っていない時間に駅まで相方を車で送る。
相方が夕方疲れて駅まで帰ってきたら、夕刻のぎゅうぎゅう詰めの不機嫌な人が多いバスに乗らずに家に帰ってこられるように駅までまた車で迎えに行く。
あたしが家にいることで、仕事から帰れば、ほかほかの手作りの晩御飯がまってる生活。

あたしが後ろめたいと思う今の生活に、相方は「どれだけ助けられていることか!」と感謝してくれる。パートナーとは、こうやって助け合うもの。二人三脚でお互いを助けあう存在。金銭的に相手に依存しているような感じが嫌で、自分は専業主婦は向いていないと思う。でもいまは次に向かうまでの準備期間なのだ。あがいても、焦っても仕方が無い。今出来ることを淡々とこなそう。

今すぐに働かなかったら路頭に迷うような状況にいない幸せ。そういうことに気がつけないほど忙殺されたら駄目なんだなぁと思った。今週末は久しぶりにベリーダンスのイベントを見に行こうと思っている。今まで仕事をやめてから約1年、わき目も振らずに全力疾走で次への準備をしていたがために、趣味とか娯楽の時間すら持つことを自分に許していなかった気がする。

毎日気持ちの持ちようは自分次第。どう思いながら過ごそうと24時間は経過する。そして今日という日は、今日しかない。毎日その繰り返し。だったら出来るだけ心配事に心をしはいされないで、今手の中にあるものに感謝してハッピーに過ごしたい。

そんなことをつらつらと思ったのでした。