
花は無くても、実のある人生
■監督・脚本 桃井かおり(第一回監督作品)
■キャスト 桃井かおり、石倉三郎、山田花子、HIROYUKI、高橋克美、光石 研、岩松 了
□オフィシャルサイト 『無花果の顔』
庭に花の咲かない無花果の木がある門脇家。 縁側に面した茶の間で、4人の家族が和気あいあいとフォンデュの鍋を囲んでいる。 映りの悪いテレビを叩いて直そうとする母(桃井かおり)。 塩辛をトッピングしたジャガイモに舌鼓を打つ父(石倉三郎)。 そんな団欒の風景を記憶のカメラにおさめる娘(山田花子)。 つまみ食いをして叱られる弟(HIROYUKI)。 4人が家族として過ごしてきた歳月の延長戦にある時間が、今日も何気なく流れていく。 そんな家族の生活に、ちょっとした異変が起こる。 工務店に勤める父が、朝帰りをしたあげく、家を出て行ってしまったのだ。 平静さを装いながらも、気を揉む母。 一方、父の住むウィークリー・マンションを訪ねた娘は、職人気質の父が、他人の手抜き工事の後始末を徹夜でするために一人暮らしを始めたことを知る。
おススメ度 ⇒★★ (5★満点、☆は0.5)
cyazの満足度⇒★★☆
監督・桃井かおりはこの映画で何をメッセージしたかったのだろうか
家族を中心に、家の中央に植えられた無花果。
“無花果”とは・・・。
辞書を紐解くと、クワ科の落葉高木で高さは約4m。 葉は手のひら状に裂けていて、互生する。 初夏、卵大の花嚢(かのう)を生じ、内部に多数の雄花と雌花をつけるが、外からは見えない。
おそらくこの家族、そしてどこの家庭にでもある知っているようで知らない部分を無花果の顔に比喩し、物語を演出したのだろうか。
女優・桃井かおりは大好きだが、監督・桃井かおりは正直魅力がなかった。
まず素人のようにハンディで動きを出す効果を多用していて、観ているだけで疲れてしまう。 あまりにも無意味な使い方は逆に映像の魅力を半減させる。
現在社会において、そして家族生活において、同じ屋根の下で暮らしていても、あまりにその本心や行動を知らないことが多い。 この映画の中の家族とて、ある意味この無花果の木を中心に話が進むのだが、誰にも話せない悩みを家族のひとりひとりが打ち明け、ある意味吐け口、ある意味リフレッシュな存在としての位置づけをしていれば、まだ理解のできる範疇だったのかもしれない。
山田花子を娘に据えた意味はどこにあったのだろうか?
正直、父役の石倉三郎の存在がなければ、本当につまらない映画に終わってしまったのではないだろうか。
つい最近、奥田瑛二の『長い散歩』を観たが、役者が撮る映画としては大差がついたように思う。 おそらくこの映画と同様、現代社会の風刺と見えないプロテストをしていたようには思うのだが・・・。
自分で監督するのだから、せめて女優としての桃井かおりが今あることに少なからず関与してくれた俳優たちを使ってほしかったなぁ・・・。
ここは芳雄(原田)ちゃんを絶対に使うべきだったと思うよ、桃井かおりさん(笑)