学生時代には後輩に”美ナ子先輩の原稿はまるで夏目漱石の字のようですね!”と賞賛され
社会人になっても履歴書をみた面接官に”ぼく草書読めないんだよね。文が枠線からはみ出てるけど、もっと人が読める字を書こうよ”と指摘されて以来、下手に書道嗜んでたなどと言って恥をかくことは控えてきました。
繊細な筆を使い、金粉を散らしてぼかしの入った料紙や画仙紙に詩を散らすかな書道は、すべてにおいて漢字書道よりもとてもお金がかかります。母が所有している古筆の原本や著名な篆刻家による雅号の印鑑など、美ナ子の給料では一生手が出ないシロモノ。美ナママが受賞した際に副賞として手にした翡翠のような石眼のある端渓石の硯は、硯の中の硯と言われており、書家にとってはバイオリンでゆうストラティバリ的な存在なんです
では美ナ子の作品を紹介しましょう。
にんべんに夢とかいて「はかない」よみます。人が踊ってるところが気に入っています。
美ナ子最高傑作と自負してますが、鑑賞者は決まって皆回答に窮します。
よしっ、美ナ前衛書でガツンと決めたい!




白内障の悪化により視力をほぼ失ったモネが、最期の睡蓮を前に美ナ子の前で白い紙に白い墨で華麗に筆を動かす様を眺めながら、美ナ子は「ああモネは光の粒子を集めてるんだわ」とぼんやり思っていました。
美ナ子「白い紙に白い墨で書いたら受賞できますか?」
編集長「さあ、美ナ子が生きている間に世の中の人が理解するのは難しいと思います」
そんな・・・
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画家モチスとして、バーンズ・コレクションを語らないわけにはいきません。
バーンズ・コレクション(The Barnes Foundation)はアルバート・バーンズ氏が収集したフランス近代絵画2500点以上を擁する個人コレクション。美ナ子もアメリカにいた頃に美術史の授業で訪れたことがあります。現在のようにフィラデルフィア中心部に移転する前の、郊外メリオンに所蔵していた頃のことで、バーンズ氏が誰かもよくわからないまま教授についていった感じです。
ここの美術館で最も有名なものは、1930年にバーンズ氏の要望によりマチスが描いた中央ギャラリーの壁画《ダンス》ではないでしょうか。こんな壁画です
半円の連なったヴォールト天井の窮屈な形状を逆手にとり、マチスはそこに思いもよらぬ生命力と躍動感を封じ込めたのです!!が、あまり印象にありません。かなり高いところにある上薄暗くて、良さがわからなかったというのが本音です。
相当量のルノアールやセザンヌ、マチス、ピカソはじめ美術史の教科書に載っていたものも多々あったはずなのに、19歳だった美ナ子の記憶にあるのは一線を画してダークカラーだったフランシスゴヤの作品だけ。とても小さな、ある肖像画の瞳の虹彩が艶やかな光を放っていたこと、ただそれだけ思い出せるのです。
あの空間でバーンズのひたむきな芸術愛に感銘を受けなかったばかりか、レポートには“ルノアールがいつもハッピーハッピーなパステルカラーで、みてるうちにどれも似たような構成で疲れました。ピカソの方が面白いのに”というようなことを書いたようです(それすら記憶にない)。
実はバーンズの壁画は公開されていないものがもう2点あります。マチスはバーンズ氏の依頼で巨大なキャンバス壁画を仕上げましたが、寸法が建物の実寸よりも僅かに小さいことを知らされ、別の寸法の作品を急遽仕上げてアメリカに送りました。それが今日バーンズ・コレクションにある壁画で、却下された最初の作品はそのまま人知れずフランス国内に留まり、1993年にパリ市立美術館の所蔵に帰しました。そしてもう一枚存在する未完の『ダンス』がこちら
学芸員の友人からきいて初めて存在を知りました。そこで今美ナ子の中では『未完のダンス』完成プロジェクトが進行しています。14メートルの実寸大にとはいかないのですが、画家モチスとしてマチスへの敬意を捧げたいと思います♡
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