仕事を終えて、電車に乗った。

7時台というのに、社内には空間があり、シートは空いていた。

原稿のチェックをしなければいけないので、ありがたく空いている席に腰掛けた。

すぐに電車は走り出した。

すると、どこからか、不思議なリズムを刻む音。

最初は、イヤホンからの音漏れだと思ったが、それにしては明快で、音漏れ特有の不快感もない。


ふと気づくと、ぼくの隣りに座った人が、せわしなく指先を動かしている。

ぼくは、原稿から顔を上げて、思わず隣人の顔を見るともなく見た。

しかし、顔を見る前に、彼の足元にあるキャリーバックが目に付いた(そういえば、それをよけるために大回りして席に座ったのだった)。

ほとんど身の回り品を全部詰め込んだようなキャリーバッグである。

そして、彼の顔は不自然に汚れていた。


ぼくは、思わず目線を落とした。

落とした視線がとらえたものは、優雅な指の動きと、そして、それらの指が楽器のように叩いているメンソレータムの携帯容器であった。

いっけん70代に見えるが、他者の類推を許さぬ苦労を重ねてきた人の多くがそうであるように、実際の彼は、もっと若いのかもしれない。


ぼくは、その時間帯にしては不自然な空間と空席の意味を理解した。

電車が止まると指の動きも止まり、動き出すと再び軽快なリズムが走りはじめる。

おどろくべき速度と、機械仕掛けのような指先の動きが紡ぎ出しているのは、フラメンコのリズムのようであった。

周囲の人々のある者は、食い入るようにその指先を見つめ、別の者はあからさまな嫌悪の視線を投げかけている。
フラメンコを奏でるその男に対して、何の感情、何の意識をも抱いていない人は、ぼくの見る限り、周囲にはひとりもいなかった。

それほど、彼の指の動きは特別であり、彼の存在は7時台の通勤電車の中では異彩を放っていた。いや、むしろ、非現実的ですらあった。

その小さな楽器は、1秒間に8ビートを刻むほどの信じられない速度で、異国の音楽を奏で続けていた。


ぼくは、原稿を読むふりをしながら、彼の奏でる音楽を楽しんだ。

2駅を過ぎたところで、彼はメンソレータムの小さな缶を(おそらくポケットに)しまい、指を鳴らし始めた。
もちろんそれは、素人の域を超えた指使いであり、先ほどとは異なった音色が、再び車内の人々の意識を男の指先に集中させた。


ぼくは、自分の降りるべき駅で立ち上がるのが惜しかった。
しかし、彼の演奏を聴き続けるのは、せつなくもあった。

どのような曲折が彼を電車内の演奏家に至らしめたのか、もちろん知らない。
しかし、彼は間違いなく音楽とともに生きてきたのだろう。

思いを振り切って立ち上がり、ぼくは気持ちの中で小さく会釈をした。
思わぬ場所でめぐり合った、素敵な音楽へのお礼のつもりであった。

彼は、相変わらず前方を凝視したまま、指で見事なリズムを刻み続けていた。

そのとき気づいた。
彼の青い大きなキャリーバックに、見事な彫刻のほどこされた一本の木杖が、彼が所有する他の品々とかけ離れた荘厳な印象を振りまきつつ、静かにぶら下がっていることを。