虫歯のようなものだ。
虫歯を耐える人は、その大きさにくるしみ、
しかし、いったん虫歯が抜かれてみると、
「こんなものが自分をあれほど苦しめていたのか」
と、その小ささに驚かずにはいられない。
・・・三島由紀夫が『金閣寺』にそんなことを書いていた。
「美」は、むしろ「愛」と言い換えられよう。
三島は、人を愛することのできない人だった。
もしくは、愛から常に逃げている人だった。
そうでなければ、そんなレトリックは考えまい。
愛を知る者であれば、
その「小さな虫歯」の大きさを理解している。
自分を離れてみれば、いっけんちっぽけなその、
「ほかの何ものにも代えがたい自分の一部」を、
いとおしむすべを知っている。
そしてまた、虫歯の痛みこそが、
自分が「生きている」ことを教えてくれる、
その逆説的ではあるが、かけがえのない重さを、
おののきながら、いつくしんでいる。
虫歯を耐える人は、その大きさにくるしみ、
しかし、いったん虫歯が抜かれてみると、
「こんなものが自分をあれほど苦しめていたのか」
と、その小ささに驚かずにはいられない。
・・・三島由紀夫が『金閣寺』にそんなことを書いていた。
「美」は、むしろ「愛」と言い換えられよう。
三島は、人を愛することのできない人だった。
もしくは、愛から常に逃げている人だった。
そうでなければ、そんなレトリックは考えまい。
愛を知る者であれば、
その「小さな虫歯」の大きさを理解している。
自分を離れてみれば、いっけんちっぽけなその、
「ほかの何ものにも代えがたい自分の一部」を、
いとおしむすべを知っている。
そしてまた、虫歯の痛みこそが、
自分が「生きている」ことを教えてくれる、
その逆説的ではあるが、かけがえのない重さを、
おののきながら、いつくしんでいる。