ぼくらは、明治5年(1872)12月に、自然のめぐりとわかちがたく結びついた旧暦(太陰太陽暦)を手放してしまった。
それ以後、季節のめぐりを暦(太陽暦=グレゴリウス暦)で感じることが難しくなってしまい、いまでも季節のはじまりだけは旧暦を用いる場合がしばしばである。
1年、というのは、本来四つの季節によって進む、「年の一生」であった。
春正月に新しい年が生まれ、夏に向かって成長し、秋に成熟して、そして冬の終りに死ぬ。
それが、「一年」というものだった。

「年」が「生」から「死」へと向かう時期だからこそ、秋は「哀しい」のである。
しかし、「年」が晩年を迎える「冬」になれば、また新たなる「年」の再生の気配が漂う。
だから、「冬」は、「秋」ほどには哀しくない。

「秋」の象徴である紅葉が一斉に散り、そして「冬」の象徴である「枯木」(そこには、新たなる「春」の象徴である芽が、ひっそりと息づいている)が目に付きはじめるとき。
それが、ぼくにとっての「冬」のはじまりだ。

って、今回はマジにこたえてみました。あー。肩凝った(汗)