わたしはフリーで仕事をしていますが

 

最近、パートで接客業もはじめました。

 

 

社会人になって、最初の就職が

レストランのウエイトレス。

 

そのあと、手に職をつけたいと

デザインの仕事に転職。

 

 

接客業は、だれにでもできる仕事だと、思い込んでいました。

 

 

 

だけど、同居して

 

こころから笑うことができなくなったわたしは

 

 

いつしか「心から笑いたい」と願うようになりました。

 

 

 

ほんとうは、泣きたいのに、泣けない。

 

ほんとうは、苦しいのに、苦しいっていえない。

 

 

笑っているつもりが、ひきつった顔。

 

 

 

まわりのひとは、すぐわかる。

 

 

「顔がこわいよ」

 

 

 

だんだん、人とあうことが億劫になり

ひきこもりました。

 

 

同居6年後に、子どもがうまれて

うれしくて

 

 

「今、どんな顔して、接してるかな?」とルンルンで

期待して鏡みたら

 

 

ぜんぜん、笑ってない!!!!!!

 

 

この6年間で、口は、への字に。

 

笑ってるのに、怒ってる。

 

 

 

「このままじゃぜったいやだ!」

 

 

 

それからは、ひとと会うのがこわかったけど

思いきって、外の世界をみることにしました。

 

 

少しずつ、笑えるようになって

 

 

「笑う」という、あたりまえのことが

どんなに、しあわせなことか。

 

 

特別なことをしなくても

ただ笑っているだけで

 

じぶんも、周りのひとも、しあわせな気持ちになれることを、しりました。

 

 

 

接客業って、すごく素敵な仕事なんだなぁ♪

 

 

 

家にかえったら、つらいぶん、

 

外では、思いっきり笑いたい。

 

 

 

わたしは、じぶんを、笑顔で助けてあげたいのかも?

 

 

 

このブログをつうじて

きらいなひと(姑舅)を、きらいって正直にいえるようになったことも

 

じぶんにとって大きな一歩です。

 

 

いままでは、みんなと仲良くしなくちゃ、波風たてないようにと

平和主義だったから

 

じぶんの感情に、フタしてきちゃったけど

 

 

同居したことで、じぶんがされていやなことや

大事にしてる価値観にきづくことができました。

 

 

きらいに正直になると、好きも笑顔も、ふえるのかな???

 

 

そんなことを思いながら

 

接客業がたのしい今日この頃です♪

気持ちがラクになるなら

カウンセリングをうけてみようかなと思ってみた。

 

 

だけど、お金がかかるらしい(当り前だけど^^;)

 

 

今までも、カウンセリングやセラピー、

占いや心理学など、いろいろ手をだした。

 

 

でも、そのなかで、同居してるひとは、数すくなく

 

 

理屈まじりのアドバイスが

気に障った(ソーリー^^;)

 

 

 

なんで、姑舅とのことで、多額のお金つかわないとあかんの???と

 

損得勘定。

 

 

でも、超、解決したいよね。

 

でも、姑舅のことでお金つかうなら、洋服買うわい。

 

 

 

カウンセリングうけるなら

姑舅に、旦那に、請求書たたきつけてやりたい。

 

 

 

そんな、被害者モードの

みみっちい自分に、腹がたつ^^;

 

 

 

この悩みが、どこか遠くに消えればいいのに。

 

姑舅が、一刻も早く、しんでくれたらいいのに。

 

 

 

あと何年、待てばいいんだろう。

 

 

20年たってもこのままだったら?

 

と思うと、ぞっとする。

 

 

 

一時期、姑舅のことで悩まない

安定期があった。

 

 

それは、わたしがフリーで仕事はじめて

仕事と子育てに夢中だったとき。

 

 

 

だったら、仕事に夢中になって

いそがしくしてれば、いいのかな?

 

 

だけど、その間も、いやなことはつづいて

 

自分のモチベーションを維持するために

 

ずっと蓋して、見ないふり

悩まないふりをしてきたのも、事実。

 

 

だから、こうして12年たった今

同居した後悔と、姑舅、旦那への悔しさが、おさえられない。

 

 

 

カウンセリングうけたら

 

ちょっとは変わるかな?

 

 

いろんな考え方のひとがいて

見方や、世界がひろがるかも?

 

 

好奇心だけは、維持できてる。

そんな自分に、今日もよし。

「同居の悩みは、同居嫁にしかわからない」と思ってます。

 

 

 

同居してますというと

 

「大変だね、えらいね」というひとと

 

 

 

「おじいちゃんおばあちゃんいてくれるなら、助かるね」というひとに

 

わかれる。

 

 

 

いずれにせよ

 

「えぇ、まぁ・・・」と、わたしはいつも

あいまいな返事をしておく。

 

 

 

だって

 

 

「そうなんですよ、本当に大変なんですよ!」と愚痴っても、相手に気をつかわせるだけだし

 

「そうなんですよ、結構助かってて」なんて、口がさけても、いいたくない。

 

 

 

おじいちゃんおばあちゃんが

近くにいないひとは

 

 

「核家族もいろいろ大変だよ。

おじいちゃんおばあちゃんがそばにいるって、子どものためにも、いいんじゃない?」

 

 

というけれど

 

 

はいはい、その話は、聞きあきました~^^;

(気持ちを明るくしようといってくれてるんだろうけど)

 

 

 

だけど、今日。

 

お友だち同士でランチをしながら

 

 

そんないつものやりとりから

独身のおともだちが

 

 

「じぶんの親ならいくらでもいいたいこといえるけど

 

他人の親となると、そうもいかないね。大変だよ」

 

 

 

といってくれたのをきいて

 

 

 

あぁ、世の中には、わかってくれるひとも、ちゃんといるんだって

 

 

それだけで、気持ちがあったかくなった。

 

 

 

 

たのしいランチのあとでも、現実は待ってるし

早くこんな家でてやるって思う毎日だけど

 

 

そういってくれるひとが、ひとりでもいたら

 

 

なんか、一瞬、ほっとする。

 

 

 

同居の悩みは、同居嫁にしかわからない。

 

だけど

 

 

いろんなひとをみて

世の中には、いろんな考えのひとがいるって

 

核家族のひとも、核家族で大変なひとがいるかもしれない。

 

 

そのひとの苦労は、そのひとじゃないと計りしれないし

ほんとうの苦労はわからないかもしれないけど

 

 

ちょっと話しただけで

わかってくれるひとも、世の中には、いてくれるんだって

 

それだけで、がんばろーって思える。

 

 

 

今日は、ありがとう。

 

わたしも、あなたみたいなひとでありたいです^^

姑舅は、過干渉ですが

被害をうけてるのは、わたしだけでなく

 

ご近所さんも、ちょっぴり大変なようです。

 

 

お隣さんの畑を勝手に管理し

 

「この植え方じゃだめだ」と

お隣さんが仕事で留守のあいだ、掘り起こしたり

 

 

収穫寸前の野菜を、勝手に収穫したり。

 

 

 

また、ちがう日には

ほかのご近所さんを呼び出し

 

 

近くの坂道に、ミラーをつけるべきと思うが

どう思うか?と、夕飯の時間に、長々2時間・・・。

 

 

 

姑がとめてくれればいいものの

いっしょになって話してるから

 

 

逃げ道がありません。

 

 

 

「未来さん、ちょっと・・・大変ですね」と

ご近所さんに声かけてもらうこともしばしば^^;

 

 

 

 

あのね、お義父さん、お義母さん。

 

 

きらわれてますですよ。

 

 

 

そんなに、相手してもらいたかったら

 

そんなに「すごいですね」って賞賛されたいなら

 

 

 

市議会選挙にでも、立候補すればいいんだよ。

 

政治家になって、世のためひとのために、はたらいてくださいませ(笑)

 

 

そんなにエラいなら、どうか、お外で活躍してくださいませ。

 

 

お願いだから、家にずっといないで、おおいに出かけてくださいませ。

そういえば、明日は、舅のおたんじょうびです^^;

 

毎年、がんばって(?)お祝いしてましたが

 

今年は、なにもしません。(キッパリ)

 

 

 

なぜなら・・・

 

 

昨年のわたしの誕生日。

 

実家の父と母から届いたプレゼントを

 

舅が勝手にあけちゃったからです。

 

 

 

ほんとうに、どこまで過干渉なの・・・

 

 

 

実家の両親は、わたしが中学生のとき、離婚しています。

 

 

父と離れてから20年以上、

ずっと疎遠でした。

 

 

だけど、子どもが生まれたとき、ふと

「お父さんに、孫の顔をみてほしいなぁ」と思いたち

 

 

父をさがしました。

 

 

 

再会できたときは、ほんとうにうれしかった。

 

 

 

 

その父から、20数年ぶりに

わたし宛の誕生日プレゼントがとどきました。

 

 

年老いた字と、たしかに、父の名前。

 

 

 

しかも、母からのプレゼントも、同時に配達され

 

 

 

玄関には、父と母、そろってプレゼントが並んで

 

なんてしあわせなんだろう♪♪♪

 

 

とびあがるほど、うれしくて。

 

 

 

 

ところが

 

ちょっと玄関から離れたスキに

 

 

 

舅が、勝手にあけてる。

 

 

 

「は???!!!!」

 

「なにしてるんですか????」

 

 

 

と、いったときには、もう、中身がみえていました。

 

 

 

 

あけるかふつう????

 

 

 

 

悔しくて悔しくて

激怒して、ご近所さんの目もはばからず

 

 

泣き叫びました。

 

 

 

くそじじい、なんてことしやがる

土下座してあやまれ

 

なんでお義母さんは、そばでみてるのに、とめないんですか?

 

 

 

だけど、案の定、

 

なにいっても、物をなげとばしても

一度もあやまらなかった。

 

 

「なんだその口の聞き方は」「あけてなにがわるいんだ」

 

 

 

それから、家を飛び出し、1週間後に帰宅。

(仕事と保育園がはじまるのでしぶしぶ)

 

 

 

 

 

悔しい思いを重ねたおかげで

 

なにがあってもだいじょうぶな体力と自信だけは、着々とついています。

(いいんだかわるいんだか^^;)

 

 

 

いろんなこと起きるたびに

 

「じぶんを大事にしよう!」って

楽しいこと探したり、つかれたときは、部屋でゴロゴロしたり

 

 

寝たいときは、寝る。

怒りたいときは、怒る。

行きたくないところには、行かない。(遠い親戚の葬儀に、さんざん出席させられ)

 

 

感情のコントロールなんて、くそくらえって

 

 

今まで「いい子ちゃん」で、生きづらかった自分の人生が

同居をきっかけに

 

少しずつ、変わりはじめているのも、たしかです。

前回のつづきです。

 

姑舅を変えることはできない。だったら・・・①

 

姑舅を変えることはできない。だったら②「メールで一撃作戦」

 

 

 

ひとは、ときに、あきらめも必要です。

 

 

姑舅と争いつつ

それでもなんとか、わかりあうには、どうしたらいいんだろう?

 

少しでも、居心地のいい家にしたい、と

 

 

 

姑舅の過干渉を逆手にとり

 

 

仕事いっぱいして、予定バンバンいれまくって

おでかけしてる間

 

 

子どもをみてもらい

 

洗濯してもらい

 

雨戸しめてもらい

 

 

 

自然と、感謝のきもちがわいてくれば

多少のイライラはおさえられるかもしれないと

 

 

いろいろな手段をつかい

コミュニケーションをとってみた。

 

 

 

だけどやっぱり

 

 

 

だみだ〜

 

 

無理ですわ^^;

 

 

 

 

保育園でいいことがあると

 

「今日、こんなことがあったんですよ^^」と、姑舅に報告していましたが

 

 

 

 

卒園の1週間前

 

わたしに内緒で、園をおとずれた舅姑は

 

 

 

園の改善すべき点を

20個、手帳にかいて、提出したそうな。

 

 

 

 

園長から

 

「あのぉ、卒園前に申し訳ないのですが

お舅さん、園の不満を2時間、話していかれました。」

 

 

 

「ちょっとケンカ腰になってしまいまして・・・

申し訳ありませんが、正直申し上げますと

 

 

親御さんならわかりますが

おじいちゃんおばあちゃんがいらっしゃるケースは、初めてです。」

 

 

 

 

わたしは、保育園が大好きだった。

 

すごくお世話になって、楽しかった。

 

 

 

毎日笑顔で、6年間、かよった。

 

 

役員もさせてもらって、卒園式にむけて

みんなで一生懸命、準備してる真っ最中だった。

 

 

 

 

なのに、最後の最後に、頼んでもないのに

余計なことしやがって

 

 

悔しくてたまらない。

 

 

 

大声で泣いた。

 

なんでそんなことするんだ!って、くってかかった。

 

 

だけど、舅姑は

「園のためでしょ」と、ほこらしげにこたえた。

 

 

 

 

小学校にあがったら

 

もう一切、関わってほしくない。

 

 

 

それからは、完全無視。

 

 

 

入学のお祝いもいっしょにせず

あいさつもせず

 

なるべく顔をみないように生活してみたら

 

 

 

なんておだやかなんだろう・・・・・・

 

 

 

すごく、こころがラク。

 

 

安定。

 

 

 

こんなきもちで生活できるのは

何年ぶりかなぁと思うほど

 

 

 

今まで何度もケンカして

口きかないことあったけど

 

どこかで、仲直りしなくちゃとタイミングうかがってた。

 

 

 

だけど、同居12年。

 

 

「完全に、関わらない」を決めたら

 

すごくラク。

 

 

 

それだけ、本心がそれを求めてたのかなぁ。

 

 

顔をあわせなくちゃいけない、あいさつしないといけない、言葉かけなくちゃいけない、何かをたのまないといけない、感謝しないといけない、子どものために、楽しい毎日のために・・・

 

 

 

 

その後、子どもが小学校にあがり

 

 

姑は、フェンスから監視し

下駄箱で待ちぶせ。

 

 

舅は、通学路があぶないと、子ども会の役員をつかまえ

勝手に連絡をとってるみたいですが

 

 

 

わたしが、どんな態度をしても

 

「いやだからやめてください」といっても

 

 

姑舅は、変わらない。

姑舅を、変えることはできない。

 

 

 

だったら、常識とか体裁とか計算とか、もうやめて

 

 

正直なきもちのまま

 

「関わらない」。

 

 

 

いまのじぶんにとって、一番、心地いい生き方です♪

賞賛なんていらない。ただ、自由がほしいだけ。

 

賞賛なんていらない。ただ、旦那と子どもと暮らしたいだけ。

 

賞賛なんていらない。ただ、毎日をおだやかに暮らしたいだけ。

 

賞賛なんていらない。ただ、普通に「いってきます」「ただいま」っていいたいだけ。

 

賞賛なんていらない。ただ、気兼ねなく家でのんびりしたいだけ。

 

賞賛なんていらない。ただ、普通の生活を、普通に送りたいだけ。

 

賞賛なんていらない。ただ、自分らしくありたい。

 

 

 

「同居して、えらいね」

「すごいね」って、いわれることがある。

 

 

「えらいね」「すごいね」っていってもらいたくて

同居したわけじゃない。

 

 

賞賛なんていらない。けど

 

 

この小さな集団のなかで、がんばって

 

日常の、本当にささいなことで

歯をくいしばって

 

 

笑顔でのりきって

 

 

やっぱり、大いに、賞賛されるべきかも?なんて

 

 

どんなに鬼嫁になろうが

腹黒さが増そうが

 

 

じぶんがしあわせになることを、あきらめたくないから

 

 

ギャーギャーぴーぴーいいながら

今日も、好き勝手に生きています。

前回のつづきです。

 

姑舅を変えることはできない。だったら・・・①

 

 

同居しているお嫁さんは

姑舅にしてほしくないことや希望を、どう伝えていますか?

 

 

ビビリのわたしにとって、自分の要望をつたえることは

とても苦痛で、勇気がいることでした。

 

 

「わたしさえがまんすれば・・・」と思えたのも

2日まで。

 

 

同居3日目には、部屋にとじこもり

早くも限界^^;

 

 

これじゃあかん!と

どういったら伝わるか、言葉をえらびながら

 

やんわり伝えてみる。

 

 

 

「わたしの家事がいたらなくてすみません」

 

 

「お気持ちはありがたいのですが

 

ゴミをあさったり、洗濯物を干しなおされると

ちょっと気持ちが落ち込みます」

 

 

「わたしたちで、責任もって、家のことしますから」

 

 

 

あかるく笑顔でいってみたものの

 

 

 

「あなたたちのためを思ってやってるのに」と今にも泣きそうな姑。

 

 

「いろいろしてやってるのに、ありがとうというのが常識だろう」と舅。

 

 

 

夜中まで話しあっても

朝には、また干渉がはじまる。

 

 

 

どうしたら伝わるんだろうと

話し方教室に通い

 

 

いろんなバリエーションをためした。

 

(ハッキリいう、ケンカ腰にいう、キレる、やんわり言う、悟すようにいう、本をつかうなど)

 

 

 

・・・効果なし。(チーン)

 

 

 

 

なにしてもダメってわかってるけど

 

本当にやめてほしいことは、やめてほしいので

 

 

 

メールを送りつけてみた。

 

 

 

 

わかりやすく、的確に。

 

 

 

超、上から目線で。

 

 

 

 

 

すると、携帯電話にうとい姑舅にとって

 

 

メールでの一方的な文章は

カルチャーショックなのか

 

 

 

やめてほしいことを、しなくなりました〜 ←100%ではないけど、今までよりはだいぶ効果強し。

 

 

 

 

姑舅から

 

「メールは心臓にわるいから、いいたいことがあったら直接いって」といわれたけど

 

 

 

言ったって、聞く耳ないじゃんか。

 

 

 

姑舅が、旦那や親戚に

「こんなメールが、未来さんから送られてきた」とさわごうと

 

 

わたしからすれば

「こんな苦労をしてるんです!」とアピールにもなるという、計算高いヤツ^^;

 

 

あんまりメールすると見てくれなくなっちゃうから

逆鱗にふれたときだけ、送っています。

 

(つづく)

子どもが保育園に通っていたころ

 

突然、園長先生から電話で

呼び出されました。

 

 

子どもが何かしたのかと

いそいで保育園をたずねると

 

園長や主任、事務の方が

かなりご立腹の様子。

 

 

「晴田さん、どういうことですか?!」

 

「勝手に道を舗装しないでください!」とのこと。

 

 

 

状況わからず、よくよくきくと

 

 

舅が、園長に

 

「園の前の道を舗装したほうがいい」と何度かよびかけたが

 

園側は、周辺住民の許可が必要で

少し時間かかりますが、舗装します。

 

と、舅に返答していた。

 

 

 

しかし、公務員で

県庁や土木の役職だった舅は

 

なにかしらの権力?をつかって

 

市の担当に

強制的に道を舗装させた・・・

 

 

たしかにきれいになったけど

 

迷惑ですわ〜(- -;)

 

 

 

園長から

 

「お舅さん、ときどき園にきて、こうしたほうがいい、ああしたほうがいいと、長々話していかれるんです。

 

お嫁さんの立場でいいにくいかもしれませんが、やめていただくことはできませんか?」

 

 

 

そうでしたか、なにも知らずに

申し訳ございませんえん・・・(- -;)

 

 

 

帰宅後、舅にいうと

 

 

「なにをいってるんだ」

 

「ありがとうというのが、常識だろう」

 

 

 

そういうと思いましたわ^^;

 

 

 

 

今までも、やめてくださいといっても、やめたことはなかった。

 

話しあいをしても、なにもいいことなかった。

 

 

 

このひとたちを変えるなんて、できないし

 

もちろん、わたしだって、性格や考え方を変えるのは

むずかしいかもしれない。

 

 

だけど、このひとたちとの関わりで

がまんもいやな思いも、こりごりだな。

 

 

 

今までは

 

仕事でお迎えが間にあわないとき

舅にお願いしたり

 

 

保育園でたのしかったことを

姑舅に報告するようにしたけど

 

 

やめました。

 

 

過干渉のもとですわ。

 

 

「無視」「関わらない」が一番。

 

 

それから、わたしの生活は

少しずつ安定していったのでした。(つづく)

今まで何度も

くやしい想いをしています。

 

同居してるお嫁さんは

きっといろんなこと、いっぱい乗り越えてきたと思いますが

 

わたしの場合

とくに悔しかったのが

 

 

・改名をすすめられたこと

 

・職場の先輩に、相談していたこと

 

・霊能者の方に、わたしの両親について相談してたこと

 

 

です。

 

 

 

あっけにとられすぎて

 

怒りを通りこし

あきれるしかなく^^;

 

 

 

その出来事が起きたとき

なんだかよくわからないけど

 

 

怒ったら、かっこわるいみたいな気持ちになって

 

怒ったら、それを認めてしまうような気がして

 

 

 

いっしょうけんめい、ない頭つかって

感情をコントロールし

 

あくまで冷静に

 

 

「お義母さん、ご相談どうも。

両親のこと詳しく知るのはわたしの方かと思うんで

 

その方の連絡先を教えてくださいますか?」

 

 

と、霊能者の方の住所を教えてもらい

 

訪ねてみました。

 

 

 

すると、その方が、笑顔でひとこと。

 

 

 

「大変ですね~」

 

「あなたのご家族は、なにも心配いりませんよ^^」

 

 

 

「だけど、お義母さんと仲良くやろうとするのは、あなたのエゴです。あなたが、ただ、その家に参加してるだけで、立派なんですよ」

 

 

「染まる必要なんてありません。あなたから自立しましょう」

 

 

 

 

励ましをいただきました(笑)

 

 

 

わたしの相談ならまだしも

両親の相談なんて

 

 

なかなかやり手やのう〜(笑)ではなく汗

 

 

思い出すと、ムショーに腹がたちます。

 

姑に何もいえなかった、自分にも。

 

 

 

だけど、その出来事があってから

 

 

 

「世の中には、ちゃんとわかってくれるひとがいる」

 

 

「姑とわかりあおうなんて一生ムリ。じぶんのしあわせを一番大事に考えていこう」

 

 

「好きなことして、毎日笑顔でたのしくすごすんだ」

 

 

 

だれかの顔色うかがって

感情のコントロールなんてくそくらえ。

 

 

怒りたいときは、怒る。

 

泣きたいときは、泣き叫んで

 

笑いたいときは、思いっきり笑う。

 

 

 

ひととして、当然じゃないか。

 

 

 

悔しい体験も、姑への愚痴も

 

時間とともに、ネタとして笑い飛ばしていけたら

 

 

 

それが、いつのまにか

 

「芯の強さ」だったり

 

なにが起きても、あの悔しさに比べたらへっちゃら♪って

自分の武器や魅力に変わっていくことを

 

 

長い時間かけて、知りました。

 

 

人生、ムダなことはないっていうけど

しなくてもいい経験だった?

 

 

それにしても

よく乗り越えたねって

 

 

自分にも、どこかで悔しい思いをしているひとにも、声をかけたいです。