【起】
その土地の名産品として海の幸などと言う人間が時々いるが、やっていることは誘拐殺人と同じである。
鈴を鳴らしながら山に入る人間がいれば元々そこで暮らしていた熊は居場所を脅かされ、仕方なく町に逃げ出せば銃殺される。
後ろから追って待ち構えた者が仕留める、頭のいい人間の上手い連携戦術なのだろう。
SNSを覗けば焼肉とか寿司とか、動物の死体写真が蔓延る現代。
そういえば、命を大切にしなさいと言っていた小学校の先生でさえ平気で給食の肉や魚を食べてたっけ。
私は成長すると共に、人間は殺害することが好きな生き物なんだなとつくづく思うようになった。

【承】
十何年か前に核兵器を山ほど持つ国の大統領がノーベル平和賞を受賞した歴史を顧みれば兵器製造業が衰退することは到底考えられず、何度悲しい歴史を繰り返しても地球のどこかで戦争が始まることは必然的な事象なのかもしれない。
映画「猿の惑星」のラストで観た自由の女神像、あのシーンが現実になるのも近いのだろうと私は感じている。
そうなってから怒りで拳を叩きつけても遅いと個人的には思っているが。

【転】
趣味である行き止まり駅訪問の一環として門司港駅のホームに降りたのは秋の日没頃の時間帯、そのとき私はスーパーで買ったニンジンとリンゴを持っていた。
方向音痴の私は駅舎を出てからそれを探すのに数十分かかったと記憶しているが、ギリギリ明るいうちに目的の碑を見つける。


冒頭で書いたように、人間は殺害することが好きな生き物である。
そんな人間たちの自分勝手な都合で軍用にされた百万頭もの馬が、日本で最後に水を飲んで旅立った地、門司港。
その後帰国した馬は一頭もいなかったと記されており、碑の下にそっと供え物を置くときにも直後に海を眺めに行ったときにも私は涙が止まらなかった。


これを書いている今も涙が出てくる。

【結】
世界中にいる戦争をしたい人間だけを一ヶ所に集めて、生存者が最後の一人になるまで戦争を続けさせれば当然その後戦争はなくなると私は思っている。
ただ、今ではノーベル平和賞を受賞する輩なんて戦争推進派の糞人間だと思うようになったものの、上記最後の生存者には賞金を与えてもいいと私は考えているのだから他人から見れば糞人間なのだろう。
今回は海の幸と言って殺害を美化する者、鈴を鳴らしながら山を歩く者、SNSで死体写真を挙げる者などを例に、人間は殺害することが好きな生き物であることを示した。