アパートの狭い一室で、深夜の2時を回る頃。ヘッドホンから流れる自分の乾いた仮歌を聴き返しては、そっと溜息をつくのがいつもの日課でした。
宅録を趣味にしている人ならきっと分かってくれると思うのですが、自宅でのボーカル録音には常に限界が付きまといます。防音加工を施していない部屋では思い切り声を張ることもできず、限られた音域の中でなんとかやりくりするしかありません。特に、テンポが速く、感情をめいっぱい乗せるようなジャンルに挑戦しようとすると、自分の声の平坦さにどうしても絶望してしまうのです。
そんな時に、制作の閉塞感を打破するための選択肢として興味を持ったのが、海外のクリエイターの間でも話題になり始めていた AIハイパーポップ音楽ジェネレーター や、ラップのフロウを組み立ててくれる AIラップ生成 といった音声合成・楽曲生成のツール群でした。
歌声合成の進化と、私の期待
私たちがコンピュータに歌を歌わせようとする試みは、実は数十年にわたる深い歴史を持っています。古くは1930年代の技術から現代の高度なAIモデルに至るまで、歌声合成の歴史は常に「いかにして機械特有の不自然さを取り除き、人間のエモーションに近づけるか」という泥臭い試行錯誤の連続でした。
「今の生成AIなら、自分の狭いボーカルレンジの壁を越えて、もっと自由でトリッキーな曲が作れるかもしれない」
そう期待して、私はいくつかの生成システムに自分の書いたリリック(歌詞)を流し込み、BPM140のビートに合わせたボーカルパートの生成を試みました。しかし、そこで待っていたのは、AIならではの「手強い洗礼」でした。
息継ぎを忘れたAIと、突き刺さる高周波
実際に試してみて最初に直面した問題は、AIが「肺を持たない機械」であるという根本的な事実でした。
生成された高速なラップのテイクを聴いたとき、何とも言えない強烈な違和感に襲われました。AIは指定した言葉を極めて正確なピッチで滑らかに発音しているのですが、45秒間のバース(節)の中で、一度も「ブレス(息継ぎ)」を入れていなかったのです。息を吸う間もなく言葉がマシンガンのように連射されるボーカルは、聴いているだけでこちらが息苦しくなるような、不気味な非人間性を漂わせていました。
さらに、そのラップをHyperpop特有のピッチが高く金属的な質感にシフトさせようとしたところ、高音域の特定の帯域(具体的には4.2kHz付近)に、耳を突き刺すような鋭い金属的な共鳴ノイズが発生してしまいました。この耳障りな高音のせいで、数分間のモニタリングだけで急激な耳の疲労(Auditory Fatigue)を感じ、作業を中断せざるを得なくなりました。
この「機械っぽさ」と「耳障りなトーン」を解決するために、私は手動での泥臭い修正作業に入りました。
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手作業によるブレスの挿入:
DAW(音声編集ソフト)のタイムライン上に生成されたオーディオファイルを置き、フレーズの切れ目や文脈的に自然な箇所で細かく波形をカットしました。そこに約150ミリ秒の「無音(もしくはかすかな吸気音)」を一つひとつ手作業で挟み込んでいくことで、ようやく人間が歌っているかのような生命感を吹き込むことができました。 -
ダイナミックEQによるノイズの抑制:
耳に刺さる4.2kHzのノイズに対しては、ピンポイントでその周波数帯を狙い、Q幅(カットする範囲の狭さ)を5.0という非常に鋭い値に設定したダイナミックEQを適用しました。これにより、ボーカル全体の明るさを損なうことなく、不快な高周波の突出だけをなんとか抑えることに成功しました。
道具としての距離感
こうした一連のトラブルシュートを繰り返す中で、私は「ツールにすべてを委ねる」という考え方を捨てました。
例えば、作業のアイデア出しで行き詰まった時、私は試しに MusicArtというウェブプラットフォームにいくつかのプロンプトを投げて、大まかなメロディラインをスケッチしてみました。この段階では、出力されたものをそのまま完成品として使うのではなく、そこから「自分では思いつかないような突飛なメロディの跳躍」や「面白いスケール感」だけを抽出し、自分の手でDAWに再構築していくのです。このやり方に変えてから、創作のスピードと納得感が両立するようになりました。
ある音楽制作に関する意識調査によると、個人で活動するベッドルーム・プロデューサーの多くが、作曲や作詞そのものよりも、ボーカルのピッチ補正やノイズ除去といった「技術的なクリーンアップ作業」に制作時間の7割以上を費やしているといいます。AIツールは、そうした単調な初期作業をショートカットしてくれる下書き用のスケッチパッドとしては優秀ですが、そこに「聴き手の心に届く質感」を与えるのは、やはり人間側の耳と判断力に他なりません。
生成された音に、最後に宿るもの
AIは息を吸うことを知りませんし、スピーカーから出る音がリスナーの耳を疲れさせていることにも気づきません。ツールが提示してくれるのは、あくまで冷たい「確率の最適解」でしかありません。
だからこそ、あえて不自然な部分を削り、息遣いを加え、少しの「ブレ」を許容するプロセスが必要になります。
深夜のヘッドホン作業はまだ続きそうですが、以前のように自分の声に絶望することはなくなりました。不格好で、少しだけ面倒な手直しを愛せること。それこそが、テクノロジーの時代に私たちがものを作り続ける理由なのかもしれません。
