皆さん幼いときの夢は何でしたか?

僕は物心ついて覚えてる最初の夢は

『ダンプの運転手』

でした。

父が土木会社をしていて、毎日ダンプを運転しているのを見て憧れました。

次に憧れたのが

『プロレスラー』

長兄が初代タイガーマスクのデビュー戦を蔵前国技館で見て

『タイガーマスクが凄かった!』

と言ったので、金曜夜のワールドプロレスリングを見てみると

想像を越えたタイガーマスクの強さとカッコ良さに憧れ

『プロレスラーになりたい』

と思いました。

その後初代タイガーマスクが引退し、だんだんプロレス熱が覚めていき

次に憧れたのが

『プロ野球選手』

中学二年の時に野球好きな友達が出来た影響で放課後

公園のグラウンドに集まり毎日野球をやっていました
 
普通野球は9対9でやりますが

毎日そんなに人数が集まらないので

4対4か、5対5でやってました

普通の半分の人数しか守備についていないので、守りはスカスカ

バットに当てればどこでもヒットになりました。

『もしかして野球のセンスがあるんちゃうか?』

と勘違いしはじめました。

その頃西武ライオンズで活躍していた秋山幸二選手が

『高校から本格的に野球をはじめて、西武ライオンズにドラフト外で入団しホームラン王になった』

との話を知って

『じゃあ今からでも間に合うな!よし高校に入ったら野球部に入ろう!』

と思った僕は全く野球経験がないのに

高校で野球部に入り

プロ野球選手を目指しました
 
野球部に入部し坊主頭にして僕のプロ野球選手への道がスタートしました

が!

1週間も経たないうちに

『これはプロ野球選手なんてとうてい無理だ!野球を甘く見ていた!』

と気がつきました

まぁ『もっと早く気づけよ』って感じですけどね


『辞めるのはいつでもできるけど、続けるのは今しか出来ない。』

という思いと

『先輩が怖くて「やめる」と言いづらい』

こともあり、3年間続けました

入部するときに希望のポジションを書くのですが、本格的な野球をやったことのない僕は

『下手な人はライトを守る』

という変な先入観があったので迷わず

『ライト』

書きました

当時『ライパチくん』という野球漫画があり、読んだこともないのに

『野球の下手な主人公がライトを守る話』

と勝手に決めつけていたからです。

その後イチロー選手の出現により、ライトの重要性が世間に広まったのです

ちゃんとした指導者から野球を習ったことのない僕は、高校からはじめた野球に驚きの連続

相手バッターがサードやショートにゴロを打ったのに

ライトが密かにファーストの後ろまで走ってるなんて全く知りませんでした

サードやショートが暴投した場合にライトが予めカバーに入っていれば、バッターランナーの進塁を食い止める為なのですが

そんな…外野がそんなに動くポジションだったなんて

ある日、甲子園大会に出場していたある高校が、攻守交代の時にダッシュしているのをテレビで見た監督が

『今日からお前たちも練習の時から交代交代はダッシュで行け』

と言われ、ライトの守備位置の遠さに愕然としました。

補欠でサードコーチャーのレギュラーだった僕ですが、

たまーーーに試合に出させてもらったときも、もちろんダッシュ

ダッシュでライトまで行き

攻撃になったらライトからベンチにダッシュで戻ります。

次の回の最初のバッターの時は、急いでヘルメットを被りすぐにバッターボックスへ

『ゼーゼーハーハー』

息を切らせながらバッターボックスに入る僕は

『ただでさえ打てないのに、こんな状態で打てるわけない』

と思っていました。

その時点で自分に負けてますね。

そんな僕が高校時代に打ったヒットの数は




一本です!

まぁ息を切らせても打つ人は打つので、これが僕の実力だったということです。

そんな思い出の高校時代のメンバーがあつまる

第一回足立西高校野球部OB会が開催されたので参加しました

今は43期?

僕らは16期ぐらい?  

よくわかりませんが今の高校生から見たら

僕らはめちゃめちゃおっさんなんでしょうね!

僕も高校生の時に『40歳』と聞いたら

『めちゃめちゃおっさん』と思ってましたから

現役高校生球児+僕達おじさんチーム   
vs
最近卒業した部員+別の代のおじさんチーム

で試合をしました

硬式のボールを使うということに、ビビる僕たちおじさんチーム

1イニングだけ守りました

もちろんライト


最初のバッターが左打席へ入りました

マジかよ左バッターかよ~

と思っていると


カキーン!


いきなり打球が飛んできました

フェアかファウルが微妙なライナーは

ライト線上でバウンドしフェンスに当たる長打コース

跳ね返って来たボールをつかんで、投げようと振り替えったら

中継に来てるセカンドが

めっちゃ近くまで来てくれてる~

わかってるね~おじさんの肩の弱さを

ありがとうー!

そこまでなら届くよ

えいっ!

とボールを投げると


かなり近くに来てくれたのに

胸に投げれず、とりにくい場所へ投げてしまう僕

ごめんなさい

だがセカンドが何とかボールをキャッチし体勢を立て直すと、すぐさまサードへ矢のような送球!

すげー強肩!

これはアウトのタイミングだ!

と思いきやサードが

ボロリとボールをこぼしました!

おい!サード!

その後も異常なまでに左バッターが続くことに震えながら守る僕でしたが

幸いこれ以上ボールは飛んできませんでした

神様ありがとうございます。


1打席だけ立たせてもらいましたが

どん詰まりのピッチャーゴロ

悔しい!


同期の野球部のメンバーは僕を含めて

3人しか来てませんでした

なんでや!


卒業生が最後の挨拶で

『これから辛いことがあっても、野球部の練習を思い出して乗り越えて行きたいと思います』

と挨拶してました

『もっと辛いことあるよ』

と思いましたが、同級生の福田に話したら

『野球部の練習より辛かったことないよ』

と言われました

確かによく考えたら「精神的に辛いこと」「肉体的に辛いこと」はそれぞれありましたが、「精神的にも肉体的にも辛いこと」は野球部にいた時代が一番しんどかったですね

そんな時代を共に過ごした仲間との久しぶりの再会は、とても楽しい時間でした!

もっと時間があれば、ゆっくり食事でもしながら色々話したかったな~

次回もっと同期が沢山集まったときの楽しみにとっておこう!

福田、田中

ありがとう\(^o^)/

またね~!