前回途中で終わった僕がプロレスで怪我をした時の話の続きをかきます


生まれて初めての手術

全身麻酔をするので

手術室で口に酸素マスクをつけて頂き

『吸って~吐いて~』

と言われるがままにしました

『全然眠くならないやん』

と思っていたら


病室にいました

あれ?いつの間にか寝てたのね?

そして手術が終わったのね

体がとてもダルい

手術の次の日にツバサさんとこれからリハビリを診ていただくO先生が一緒にお見舞いに来てくれました

僕の生気のない顔を見て喜ぶツバサさんは

『普段こういうの食べてないだろ?これ食べて太れ』

と大量のお菓子をお見舞いに持ってきてくれました

全て美味しく頂きました

ありがとうございました!


手術後一番辛かったのはトイレ

大ではなく小のほう

ベッドで目が覚めたら

お○ん○んに管が入っていたのですが

それを抜いてもらってからの

トイレの小がキツかった!


管が入っていたことでおしっこが通る道に傷がついて

おしっこがお○ん○んを通る度に激痛がはしるのです

おしっこに行きたいけど

行きたくない

入院生活で一番辛かったです。



おしっこと言えば

メキシコのAAA(トリプレア)というメジャー団体で試合をしてたとき

選手バスで長距離移動という事がありました。

普段は各自がそれぞれ自分でバスのチケットを買って

バラバラのバスに乗って会場に行くので

選手バスでの移動は珍しく

バスの中ではしゃぐメキシコ人を見て

『この連中と同じバスで何時間移動するのだろう…』

と憂鬱になっていました。


その移動の車中

おしっこがしたくなってきました

外は真っ暗の山のなかを走っていて

バスは止まりそうにありません

ヤバい! 


しばらく我慢しましたが

ずっと真っ暗の道を走っていて

まだまだ止まる気配はありません


こうなったらメキシコ人がよくやる

『ペットボトルに用を足す作戦』

をやるしかない!

空のペットボトルを取り出し

お○○ち○を

ペットボトルの飲み口にあてて

『これで楽になれる』

と思いながら 

 
出そうとしました






あれ?
 
でない?

したいけど出ない!

体が拒絶反応をしているのか

出ない!なんでだ?したいのに出ない!

いよいよヤバい!


このまま漏らしてしまうのか?


どーしよー!!!

と思っていたらバスが止まりました


奇跡的に

青空トイレタイムになり

何とか生き延びる事が出来ました



あっ!

車で思い出したので

もうひとつ

メキシコにいたときの

車で移動した際の出来事を話していいですか?

1998年頃メキシコのメジャー団体 AAA(トリプレ ア)で

ロス・カミカゼスという日本人カルテットを結成し活動していた僕たち


メンバーは

ジライヤ(磁雷矢)

ゴクウ

シーバ(筑前りょう太)

トビカゲ(ビリーケン・キッド)

(敬称略)

の四人組でした。


ロス・カミカゼスとしてテレビマッチに出場しメキシコに我々の試合が流れると

毎週試合が組まれるようになりました。


モンテレイというメキシコ第3の都市で試合をして

その翌日は

メキシコから車で三時間ほどの場所にある

ラレードという都市で試合

が週に1回の巡業コースになっていたある日



ラレードでの試合を終え

メキシコ人ルチャドール(メキシコで「プロレスラー」の事)ブルーフィッシュの運転する大型車に10人ぐらい乗って

モンテレイへ戻る深夜の高速道路での出来事です

車の後方に座り

『毎週呼ばれてるけど、これ僕じゃなくてもいいんじゃない?日本人ルチャドールだったら誰でも良かったんじゃないかな?本当に僕は必要とされているのか?』

と自分自信に存在価値を見いだせず

悩んでいました。


目的地のモンテレイまでは約三時間

車は悶々とする僕を乗せ

夜中の高速道路を爆走していました。


すると

突然僕たちの車が止まり

バックし始めました。

辺り一面は野原

もちろん真っ暗

『ん?なんで?何で?まだ高速道路でしょ?なんでバックしてんの?』

と思っていると

車が止まりました

道の端を見てみると



顔面血だらけの白髪の老婆が立っていました。

直ぐに車に乗っていたメキシコ人達が降りて老婆の元へ行きました。

僕達ロス・カミカゼスも車を降り老婆の元へ


よく見ると老婆ではなく


血だらけの20代の女性でした

『車の中に子供がいるの!助けて!』


その女性の後ろには

完全にひっくり返った乗用車があり

1人の男性が車の中へ必死に声をかけていました

どうやら

運転をあやまり

道を外して事故を起こしたようです

白髪と思われた女性の髪は車が横転した際に着いた砂埃か何かなのでしょう


急いで全員で車の側に行き

全員で車を引っくり返し

元の状態に戻しました。


そして中から

血だらけの5~6歳の男の子が助け出されました

老婆だと思ったのは、この子のお母さんで

車の中に声をかけていた男性は、この子のお父さんの様です

子供は血だらけでグッタリしていました

お母さんが抱き抱えて泣いています


子供が助け出されるとお父さんは

『書類!書類!』

と言いながら暗闇の草むらの中へ何かの書類を探しに行きました

そうこうしているうちに救急車が到着

子供だけ救急車に乗せられ運ばれて行きました。


それを見送って

僕達も帰りました。

帰りの車中でシーバ(筑前りょう太)さんが

『救急車を見送りながらお母さんが「私達これからどうなるのかしら?」と言ったらお父さんが「わからん」と答えてたよ』

と話してくれました。


20年前の話ですが

きっと

息子さんも無事で

今でも

家族全員幸せに暮らしていると信じてます

あんな真っ暗で

めったに車の通らない場所で

事故に遭いなからも

運よく沢山人間が乗った車が通って

お母さんに気がついて

引き返して来たからこそ

子供を車から救出することが出来たのですから


運がいいのです。



もし1人で車に乗った人が気がついて

助けようとしても

車を引っくり返せなかったかもしれません

お母さんが諦めずに助けを求めたから

僕らが呼び寄せられたのだと思います。


僕達は


運がいいのですから!





メキシコでの思い出話が長くなってしまったので

僕の怪我の話の続きはまた今度

最後まで呼んでいただきありがとうございました!