思い出の三中野球部その8 | ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

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今回は、ショートで2番打者の柳沢君です。
彼は副キャプテンでもありました。

当時、日大三中は赤坂に校舎があり、軟式野球部の練習場はそのアスファルトの校庭でした。

だから真夏は、アスファルトの照り返しで暑さが5割増という中での練習でした。
おまけに、その頃の運動部の精神は“根性・忍耐・努力”が当たり前でしたから、どんなに喉が乾いても水など飲んではいけない時代でした(飲んだのがばれたら最後、先輩から容赦なくビンタや回し蹴りが跳んできました)。

そんな中で、特に1年生のときは、練習中に倒れる人間が続出したのですが(かくいうワタクシもその一人でした)、柳沢君はただの一度も倒れたことがありませんでした。

肌の色が黒く、目も真ん丸で大きかったことから、“柳沢はアフリカ人説”まで飛び出したほどでした。

長距離走が大好き(三中野球部のアベベ)で、みんながチョンボしようとしたときも、ひとり黙々と走り続け、結局みんなもそれに付いて行くといった
感じでした。


とにかく野球に対しては真面目で根性がある男でした。

そんな柳沢君との一番の思い出といえば、あれは中学1年の冬休みの練習でのこと。
その日は前夜からの降雪で、朝、学校に到着したときは、校庭は雪で辺り一面真っ白でした。

先輩たちが来るまでの一時間の間にダイヤモンドを雪掻きしなければならない。でも寒い。軍手を二枚重ねにしても、手が冷たい。だいたい雪掻きの道具がない。どうすりゃ良いんだ…、となったとき、柳沢君が提案しました。

「用務員さんにお願いして、ヤカンにお湯をどんどん沸かしてもらって、それをせめてバッテリー間だけでも撒いて溶かせば良いんじゃないか?」

と。


「なるほど」
「さすがヤナギ!」
「よしっ、決まり!」

どうしてこのとき、用務員さんにお湯ではなく、雪掻きの道具を借りなかったのか?……。

と、思っても後の祭り。


かくして、“雪溶かし作戦”は実行されたのでありました(余談ですが、この頃はやたらと“~作戦”と付けるのがブームでした)。


「ほらっ!」
柳沢がヤカンのお湯をホームプレートに注ぎます。降り積もった雪の層から勢い良く湯煙が上がります。

「うわっ、溶けてる!溶けてる!」

と長谷川。

ワタクシもご多分に洩れず、その現象を見て大はしゃぎした一人でありました。

ヤカンが次々と運ばれ、バッターボックス周辺、バッテリー間などを中心に撒かれます。


相変わらず氷つくような寒さの中、湯煙が上がるたびに、僕ら1年生部員の歓声が早朝の赤坂の空に響き渡ります。


ところが、2年部員が来るまであと10分となったとき、塁間にお湯を撒いていた山田と矢沢が声をあげました。

「凍ってる!」

「えっ!!??」

見れば、はじめに撒いたピッチャープレート付近のお湯が寒さで氷となり、カチカチに凍っているではありませんか!「うわっ、こっちも凍っている!」「………」「やばい!ここもだ……」

結局、僕ら全員、

「お前ら、アホか?」

と、2年部員から極寒の中、往復ビンタを喰うはめとなりました。


が、これもまた今となっては物凄く楽しい思い出のひとつになっています。

ホント、憎めないアホばっかり、それが僕ら三中野球部でした。