村旅行5日目。
この日に村を出発して、デラドゥン(ウッタラカンド州の州都)にある
ラメシュさんの親戚宅で1泊することになった。
村で過ごす最後の日、私はどうしてもモヌの両親と
話をしなければならないと思っていた。
それは、私たちが日本に帰任してからのモヌへの支援をどうするか。
(今年中には帰任になりそうな予定)
モヌは、私たち夫婦がインドに赴任してから
教育を支援している15歳の男の子のこと。
学生時代に1年間インドに留学していた私は、
夫の仕事で赴任になったら子供の教育支援をしたいと考えていた。
友人・ラメシュさんの紹介で、この村に住むモヌと出会った。
「デリーに行って勉強がしたい」という彼を約1年半
わが家で預かり、デリーの私立の学校に通わせた。
その1年半の間、本当にいろいろなことがあり、
現在モヌは、ウッタラカンド州のボーディング・スクール
(寮付きの私立学校)で生活している。
(詳しくは「モヌ」のカテゴリーの記事をご参照)
モヌが転校してから2年間は、ほとんど連絡を取っていなかった。
連絡を取ると、例えば
「学校で有志の旅行があるからお金を払ってほしい」とか
「靴が古くなったから買ってほしい」
など、彼からの要望を言われる。
転校するときにモヌのお父さんと話し合い、
私たちは基本的に教育面の支援だけをするということを伝えた。
学校全員が行くような修学旅行なら私たちも考えるが、
それ以外のオプショナルの学校行事や身の回りのものについては
両親ができる範囲でやってもらうことにした。
一緒にデリーで生活していて最も難しいと感じたことの一つが、
モヌの置かれた状況と彼自身の感覚に開きが出てしまうことだった。
モヌがデリーに来た理由は勉強をすること。
しかし、デリーにいると、周りにいる子供たちと同じものが欲しい、
同じような服を着たい、自転車に乗りたい、テレビが見たい・・という要望が出てくる。
いくら私たちが
「勉強のために来たのだから、そんなにモノはいらないはず。
村での生活を忘れてはいけないよ。」
と言ったところで彼には理解できないし、
自分のことが嫌いだから買ってくれないという気持ちにすらなってしまう。
転校してからも、あまり頻繁に連絡を取っていたら
同じことの繰り返しになると思って、しばらく連絡は控えるようにしていた。
昨年秋頃から少しずつ連絡を取り始め、
電話口ですっかり声変わりしたモヌの声に驚かされた。
その間も、節目ごとに学校からの成績表が送られてきて、
彼の学業の様子だけは把握していた。
あまり芳しいとは言えない成績ではあったが、
先月送られてきた学年末の成績は、今までよりもずっと良くなっていて、
彼の学習態度もかなり改善された、と先生からのコメントが書いてあった。
今まで、一部の不良生徒からいじめを受けていたのだが、
その生徒たちが落第し、モヌの学校からいなくなったそうだ。
去年は転校したいと言っていたモヌも、先月聞いた時には
「今の学校で頑張りたい」と気持ちを新たにしていた。
そうした報告を受けた後に、私は村に行った。
モヌへの支援は、インド赴任中だけにしようと考えていた。
何かが原因で話がもつれたときに、インドにいてもやり取りが難しいことがある。
まして日本に帰ったら連絡を取り合うことに加えて、
お金のやり取りもさらに難しくなるだろうと考えてのことだった。
しかし、4年ぶりに村に行き、モヌが通っていた学校を見たり、
モヌの両親に会ったりする中で、その考えが揺らいだ。
私の気持ちの中で、モヌとの共同生活は
失敗に終わったものとして捉えていた。
環境の変化によって、モヌが変わってしまうことに歯止めがかけられないのは
仕方ないことだったにしても、私のモヌに対する愛情不足も
うまくいかなかった原因の一つ。
結局自分が彼の全てを受け止められなかったことが
決定的な原因だと思っている。
そのことをずっと負い目に感じていたから、
モヌの両親に会ったときも、申し訳ない気持ちと
モヌを自分のもとで育てられなかったことに、後悔の念でいっぱいだった。
モヌの家には、デリーの学校に入学したときの
真っ白な制服に身を包んだモヌや、わが家での誕生日会、
アグラ―やジャイプールに旅行したときの写真が
大事そうに飾られていた。
それを見た私は、遠く離れた息子を大切に思い、
息子の成長を喜ぶ両親の気持ちを痛いほど感じて、
一度やると決めたことを貫けなかった自分を後悔した。
モヌがこの村の学校に帰ってきたら、どうなるのだろう。
今まで彼が頑張って培ってきた勉強の成果がムダになってしまう。
全くムダとは言えないまでも、せっかく軌道に乗り始めた学業が
ここでまたストップしてしまう。
これまで私たちが5年間支援し、モヌは今年から9年生になった。
高校を卒業するまでにあと3年掛かる。
あと3年・・。
やっぱりここで止めてはいけないと思った。
このままモヌが頑張ってくれれば、私たちが支援した以上のことを、
自分の家族や村の人たちにしてあげられるようになるだろう。
自分たちが少しくらい経済的に大変でも、
教育を継続することによってもたらすことができる成果の方がずっと大きい。
ここで止めたらモヌ本人にも両親にも、とても悲しい思いをさせる。
自分もきっとまた後悔するだろう。
遅れて村に到着した夫-寅次郎に自分の考えを打ち明けると、
少しも反対することなく、理解してくれた。
村で過ごす最後の時間、モヌの両親に自分たちの考えを話すと、
とても喜んで感謝の言葉を伝えてくれた。
モヌのことではいろいろなことがあり、
村の人に怒られたりして大変な思いをさせてしまったラメシュさんも
「今までいろいろあったけど、これが一番いい形だった。
本当にありがとう。」
と言ってくれた。
村を発つとき、モヌのことでずっと悩んでいたのが
初めて晴れたような、清々しい気持ちになった。
続けると決めてよかった。
高校卒業後は、自分の会社で働いてもらいながら
大学や語学学校など必要な支援をラメシュさんが請け負うつもりだ。
そうは言っても、モヌがどういう道を切り拓けるかは、
彼自身の努力にかかっている。
彼が人としてより良い人生を歩んでいけるよう、
支援を続けながら、これからも温かく見守っていきたい。
(すごく似てるけど、これはモヌの弟)




