遅くなってしまいましたが、

 

上矢印記事の続きですニコニコ

 

 

私の水泳人生は小学校卒業とともに

終わりを迎えました。

 

凡人、いや多分それ以下の私は

泳いでも泳いでも

もはやベストタイムを更新できなくなっていて

子どもながらに人には限界があることを知りました。

 

加えて進学する中学校に水泳部がなかったということも重なり、

半分魚のような生活は終わり、

陸上での平々凡々な生活が始まりました。

 

本当に「平々凡々」という言葉がぴったりな中学時代。

少しは勉強もして

塾にも一応は通って

水泳ほどは熱中できなかったけど

一応運動部にも3年間所属して。

 

友だちと遊ぶ時間も取れました。

 

この頃の生活は

傍目にはバランスがよくなったように映ったかもしれませんが、

自分としては打ち込めるものが見つからず、

充実感の得られない時期だったなあ。

 

 

大して熱心に勉強しなかった私ですが、

教科の中では英語と社会が好きで、

高校は縁あって

地元では英語に強いと言われている学校に進学することになりました。

 

ここから私のセミリンガルへの道が始まりました。

 

まず高校では海外志向の強いクラスメートに囲まれました。

充実した英語教育を謳っている学校だったので

ホームステイや留学に興味があったり、

洋画が大好きだったりという子がとても多かったのです。

 

そんな周囲からの影響もあり、

自分もいつかは海外を渡り歩きたいという願望を持つようになり、

遅すぎる英語のインプットが始まりました。

 

といっても大したことはしていませんアセアセ

 

当時はまだインターネットがなく、当然Amazonもなく、

(年齢がバレますね笑い泣き

ちょっとした洋書を手に入れるのも困難な時代でした。

 

YouTubeで世界中の動画が見られるようになる日がやってくるなんて

想像すらもできない時代。

 

そもそも手に入れられる英語素材が限られているうえに、

高校生にはお金がないという問題まで加わります。

 

そんな当時の私たちの間で流行ったのは

洋画を使った英語学習。

 

英語の先生に「とりあえず同じ映画を100回見なさい」と

アドバイスされたのがきっかけだったような・・・違ったかな。

 

まあ、簡単に言うと洋画を見るだけです笑い泣きアセアセ

 

お金がなかったので、洋画のビデオを買う夢は叶わず、

代わりにレンタルビデオを使っていました。

 

そしてやはりお金がないので、

一度に何作品もレンタルするなどということはできず、

1作品を1週間繰り返し鑑賞して、

また次に1作品借りるというスタイルに落ち着きました。

 

今娘とやっているおうち英語と比べると

「何それ??」という質のインプットでしたが、

 

最初は全然聞き取れなかったのが、

次第に単語を拾えるようになり、

徐々に文章も聞き取れるようになったので、

 

上質なインプットでなくとも

続けさえすれば多少の成果は見込めるものなのかもしれません。

 

こうして当時セミリンガルなんていう言葉を知る由もなかった私は

「小学生時代は水泳で高度な学習言語習得の機会を逃したのだから、今からでも日本語のインプットを増やさなければ!」とはならず、

日本語よりも英語に重きを置いた高校生時代を送ってしまったのでしたガーン

 

そして私のセミリンガル状態を決定的にしたのは大学時代だったと思います。


英語熱の冷めなかった私は英語に力を入れていると言われていた大学を進学先に選びました。

 

長くなったので大学時代の話はまた次回!