娘の誕生とともにバイリンガル育児を始めて早5年。

 

自分なりにセミリンガル問題も意識しながら

生活の中に英語を取り入れてきたわけですが、

 

バイリンガル育児やおうち英語に取り組まれている方のブログを読み、

 

どのレベルをセミリンガルと呼ぶのか、

 

どこまでの言語理解ができて、言語による自己表現ができれば

母語で十分な学習言語能力が育っているといえるのか、

 

本当に複雑で難しい問題だと改めて思うようになりました。

 

 

これまでは娘がセミリンガルに育たないかどうかが一番の関心事で、

セミリンガル問題は重要であるものの

ある種他人事で自分自身の問題だとは認識してなかったのですが、

 

今回、そこそこの時間を英語に費やしてきた自分自身の学習言語能力についても

考えるに至りました。

 

私のこれまでの言語発達を一言で表すとタイトルの

「学習言語能力の低いモノリンガルからセミリンガルに育った」ということになると思います。

 

そのように育って私自身は今幸せなのか、不幸なのか、

生い立ち振り返りながら考えてみたいと思います。

 

まず、私は勉強にあまり関心のない両親の下で育ちました。

ここから他のバイリンガル育児に取り組まれているお母さん方とは違うかもしれません。

 

時代もありますが、幼児教育という発想すらもない家庭で、

幼稚園からもらってくる絵本を時々読んでもらうくらいの幼児期を過ごしました。

図書館に通う習慣もなかったと記憶しています。

 

そして学習言語が育たなかった一番の原因となったのはおそらく小学生時代の過ごし方。

 

私は子どもの頃から自他ともに認める運動音痴なのですが、

どういうわけかスイミングにハマり、

小学生時代の何年間かはスイミングの選手コースに属していました。

 

選手コースに入るとどんな生活が待っているかというと

1日2時間(日曜日は5時間ポーン)×週6の練習に追われる生活ですポーンポーンポーン

家から少し離れたスイミング・スクールに通っていたので

往復の時間や着替えの時間を含めると1日に3〜4時間は水泳に費やしていました。

 

そうすると起きている時間は

学校で過ごす時間以外ほぼ水泳。

 

友だちと遊ぶ時間も、本を読む時間も、テレビを見る時間もなく、

勉強面も自主勉強どころか宿題さえも疲れてできない日がよくありました。

 

水泳は日本語で習っているとはいえ、

水泳で使う表現はものすごーく限られているので

教育熱心な家庭で育った子と比べると

学校以外での日本語のインプットはないに等しかったと思われます。

 

年齢的に日常言語から学習言語に言葉が発達していく時期に

このような生活を送っていたのだから学習言語能力は当然低くなりますよね。

 

ということに今さら気づいた次第です笑い泣き

(夢中になれることに出会えた小学生時代に後悔はありませんがウインク

 

 

学習言語能力の問題について考える時、

バイリンガル育児をしているとどうしても

〈日本語の時間〉vs〈英語の時間〉問題が頭に浮かんでしまいますが、

 

自分の人生を振り返ると

学習言語発達の敵は英語だけではないことに気づかされます。

 

やはり1日は24時間、1年は365日と決まっているわけですから、

何かに集中的に時間を費やせば

他を削るしかないわけで、

 

私の小学生時代の過ごし方では

学習言語の発達、そして学力が犠牲になったと言えます。

 

これは私に限ったことではありません。

 

生まれ持った能力と努力で

二兎を得る人生を送っている人もいますが、

 

スポーツなり、芸術なりに相当な時間を費やし、

学力は・・・という人も多いと思うのです。

 

一度部活動が大変盛んな学校で働いたことがありますが、

何かの競技で全国大会に行くような生徒は

たいてい地頭もいいです。

ちょっと会話したら分かるくらい。

 

でも、学校の成績は振るわなかったりもします。

 

能力の問題ではなく、

そこにかけてきた時間が圧倒的に少なすぎるのです。

 

私のスイミングなんていうものではなく、

その競技なり芸術に時間を割いてきた人たちですから。

 

子どもの頃から宿題も食事も

車での移動中に済ませていたなんていう話も聞きました。

 

こういう生まれ持った能力が高く、努力もできる子たちは

その熱量が勉強に向いていれば勉強でも成功していたに違いありません。

 

でも1日は24時間、1年は365日しかないという非情な現実においては

有能な彼らでさえ十分な学習言語を習得できないし、

学業で優秀な成績を収めるのは困難なのです。

 

こんなことを考え始めると

一つの言語を高いレベルで習得するには、たとえそれが母語であっても

本当に多くの時間と努力を要することを実感します。


ある程度のレベルを求めるなら

バイリンガルを育てようというのは

もはや奇跡を起こそうと同じ意味になるのではないかとさえ思います。


こんなこと私にできる?


できない、できないえーん


たまたま親の意向と子どもの関心が重なって

家庭でインプットの時間が十分に確保できたとしても

母語において高いレベルの学習言語を確立するだけでもまずは大変。


何か夢中になれるものに出会えて

そこに多くの時間を費やすようになれば

母語でも高い学習言語を身につけるのは極めて困難。

バイリンガルなんて夢の夢。


となるんだろうな。


その時になってみないと分からないけど、

親として子どもの学業、高度な学習言語の習得をすっかり諦めるのは簡単なことではないだろうと想像します。


それでも、娘自身に自分の人生の主人公になってほしいキラキラ


だから、人生の先輩としてできるアドバイスはしたいけど、どんな道に進むかは

最終的に娘の判断に任せたいと今のところは考えてます。


それが高度な学習言語習得につながらなくても

バイリンガルにつながらなくても。


いつの日か、

英語はきっぱり諦めるしかない日が来たとしても、

それを受け入れられるよう心の準備をしておかないとなあ。


英語を手放す覚悟。

これまでにかけてきた時間を捨てる覚悟。

母語でも高い学習言語の習得を諦める覚悟。


本当は先のことを見通して

こういった覚悟を持ってバイリンガル育児を始めなければいけなかったのだと

今さら気づきました。


言語習得って本当に難しい笑い泣き



まとまりませんが、次回はセミリンガルについてつぶやいてみたいと思ってます。