10代20代ぐらいの若い頃は、

「わからない」は未成熟な証、

「わからない」と言うことが恥ずかしいと思っていました。

 

 

 

歳を重ねて豊富な経験を積めば

自然と「わからない」は減っていくと

思い込んでいたからかもしれません。

 

 

 

わからないのは、経験が浅いせいだと思っていたのでしょうね。

 

 

 

ですが、歳を重ね、多少経験も増えた(と感じた)ある時、気づきました。

 

 

 

「わからない」が日々更新されていくことに。

 

 

 

日常の小さなことから社会問題といった大きなことまで

「疑問」や「わからないこと」が増えていく...

 

 

 

「わからない」が減るどころか、逆に増えていく現象が起きました。

 

 

 

そんな経験をして

「知ってる」「わかる」を増やすことを意識するよりも

「わからない」(無知)を自覚したほうが視野が広がるのではないか、と

考えるようになりました。

 

 

 

そんな中、私が個人的に注意したいと思っている言葉に

「それ知ってる」があります。

 

 

 

聞いたことがある程度の「薄く知ってる」だったら

もう誰もが(AIなどを使えば)瞬時に知ることができる。

 

 

 

そして、「知ってる」と「わかる」には

大きな隔たりがあると思うのです。

 

 

 

さらに「やったことがある」は、天と地ほどの雲泥の差があります。

 

 

 

シャンパン知る:知識

 

シャンパンわかる:理解

 

シャンパンやったことがある:実践

 

 

 

会話や文字、言語化すると、

解像度の違いや理解の浅さ、深さが明らかになるので

安易に知ってる、と

思わないように、言わないようにしたいなと。

 

 

 

「知ってる」ことで、なんとなくわかった気になってしまうから。

 

 

 

「知らない」「わからない」ということ以上に、

「知ってる」「わかる」は、

思考の穴(バイアス)を招いてしまう危険性が高いと考えています。

 

 

 

言語化してすぐにわかったことにすることで

伸び代や思考の可動域が狭まる可能性もあります。

 

 

 

知らない、わからない、と自覚しているからこそ

先入観を持たずにニュートラルにいられたり、

常識や思い込みを手放し

まっさらな気持ちで真摯に

一次情報を集めたり取りに行ったりできます。

 

 

 

そのプロセスを経ずに真の意味で「わかる」ということは

ほぼないのではないかと思うのです。

 

 

テーマによっては一生、「わかる」という状態は来ないのかもしれません。

 

 

 

人は感情から老いるとも言いますから、

未知なるものへの探求心を刺激し続けるうえでも

もしかしたらその方がいいのかもしれません。

 

 

 

前述した、わからないことはわからないと自覚していること

(わからないと正直に言えること)に加えて、

 

 

「ペンディング力」=安易に分かったことにしない力、

判断材料やタイミングが揃うまで、あえて待つ力、宙ぶらりんに耐える力

 

今のような混迷を極める時代、

実はけっこう重要なスキルなのではないかと思っています。

 

 

 

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私も日々、ポートフォリオ思考で

情報収集したり

(すぐに決められないことは)ペンディングして

意思決定しています。

 

 

 

今日も1件ペンディング(来週には確定予定)があります。

 

 

 

 

 

ポートフォリオ思考で俯瞰しながら

自分や他者、社会との接続、理想の未来へのつながり方

といったことをごいっしょに考えていきませんかキラキラ

 

 

 

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