ビツキヨです。

帰省して4日目の4月3日 水曜日

本日は、大阪に戻る日です。


午前中は、PCを立ち上げて仕事。


父から

病院から電話があって

お医者さんと面会後に話したい事があると

連絡あり。

なんか余り良い事では無いような気分に

なりながら、帰るための準備します。


夕方17時初の飛行機に乗るためには

鹿児島中央駅近くの高速バス乗り場を

15時までに出発する必要があります。


お昼ご飯を食べ、

面会開始時間の13時に間に合う様に

病院へ移動。


面会待合室に

いつもより多い人が待っています。

いつもより待ち時間が長い。

30分ほど待ってやっと面会可能に。


母とお話ししました。

明日は、上の子供の大学入学式。

参加出来なくてごめんと話す母。


数年前は、80歳まで行きたいと思っていたけど

80歳を超えると

85歳まで生きたくなったと話す母。


等々、色々と話して

最後に2回ほど握手をして

また来るね

と話して面会を終わりました。


面会後は、

担当のお医者さんと

母の病状の説明があると

別の部屋に父と呼ばれて

お話を聞きました。


お医者さんに入院後の状況を聞くと

ステロイド投与

(3日投与、4日やめる投与方法)

で少し改善したが、

4月1日に入院当初より

肺の写真が悪化しているので、

ステロイド投与を開始した。

かなり息苦しい感じで

入院当時より

X線撮影では、肺の状況が悪化している。

通常ならステロイド投与で良くなる筈だが

改善の兆しが全く見えない。

昨夜も危なかったらしい。


今日中に以下の2つの方法

①気管挿管か?

②モルヒネ等の薬剤投与で痛みを軽減させるか?

を決めて欲しいとの事でした。


①は、気管挿管すると痛みがひどいので

意識が無くなり、肺炎が改善しなければ

そのまま息を引き取る可能性がある。


②は、モルヒネで寝ている事が多くなるが

意識はあるので、

面会した時に話す事ができる。

本人が痛みが少なくなる様に

モルヒネ投与するが

本人は辛いかと思うとの事。


私は、

お母さんはおしゃべりが好きなので、

意識を無くして話せないまま

息が出来なくなるより、

②が良いのでは?と父に話した。


お医者さんからは

今すぐに決めて欲しい

と言われましたが

仕事をしている弟と妹にも

話して意見を聞く必要があるので

夕方遅くに連絡する事で病院を出ました。


その後、駐車場に行くと

父が携帯電話が無いと話し

病院中を探すと

落とし物係で見つかって

ホットしましたが

高速バスの時間がギリギリ。


なんとか15時の高速バスに乗って

鹿児島空港へ移動でき

バタバタとした移動になりました。


空港では大雨。


お土産は

薩摩蒸気屋の かすたどん

明石屋の かるかん

ツキアゲ

壺漬け

さつまいもスイートケーキ

を買い荷物を預けました。




手荷物検査して搭乗口は向かいましたが

飛行機が強風で着陸ができず

上空を旋回中とのアナウンスがあり

出発時刻が1時間遅れ。


なんとか関空へ飛行出来ました。


鹿児島空港ダウン


関空到着して飛行機から降りた時ダウン


南海電車で自宅まで移動しましたが

鹿児島空港へ行く高速バスから

凄く悲しい気持ちの中の移動でした。


母は、色々と話せたのに

体は凄く悪いとは感じず

そのギャップでなんとも言えない気持ちです。


母が元気になることを願っていますお願い