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きまぐれ短編小説(風)シリーズ

自由な文章を書きたい欲求にまかせて、日常を短編小説風に書いています。
気まぐれ更新となりますが、楽しんで読んで頂ければ幸いです。

重苦しい黒い闇の中に、微かに黄色みを帯びた銀色が、鈍く光る。まるで磨きかけの焦げた鍋底のようだ。

夜を司る神は、時にこうして自らの内に蠢くものを映し出すかのような景色を作り出す。

一筋の月光もない闇夜ならば、闇が全てを覆い尽くし、深く、いさぎが良く、そして滑らかだ。

今夜のように奇妙に明るい光のコントラストがある夜は、禍々しく、妖しい。胸の底にある透明な壁が、ぐにゃりと曲がり、内側から突き上げてくるかのような不快感が沸き上がる。

命の芽吹き、成長。新しい出会い、ワクワクする予感。
それらが春の表の顔だとするならば、今、目の前にある景色は、裏の顔だ。

光の奥に潜む濁った…淀(よど)み、澱(おり)が、まだらに浮かび上がり、闇の裏で、月は鈍い色を放ちながら、不規則に、不愉快に黒い静寂をかき乱す。

春が人を惑わせるのは、きっとこの光のせいなのだと、私は無意識にわかっていた。
 

彼を初めて見たのは、葉桜ばかりが目立つようになった4月半ば、昼間の天気から一転して、少し不穏な風が吹き始めた日の夕方のことだった。大学の学食に向かう途中にある『未来に手をかざす若者』像の前で、彼は、手に持ったスマホの画面をぼんやりと眺めながら、佇んでいた。

「今どきの」という言葉がまさにぴったりの「チャラい」感じの男のコだな、と、一瞬で思った。当然、私の好みのタイプではなかったから、興味なんて微塵も感じなかった。

新しく始まった専門課程の授業が予想以上にハードなスケジュールで、バイトとの両立に四苦八苦していた私にとっては、毎日どう時間をやり繰りするかだけで、頭がいっぱいだった。

次に彼を見かけたのは、それから数日後のやはり夕方だった。最終の授業が終わり、急いでバイトに向かおうと駅に向かっていた私の前を、ゆっくりとした足取りで若い男の人が歩いていた。

小走りに近い速度でその人を追い抜いた瞬間、見たことがあるような人だな、と思った。

あ!この前のチャラい男のコだ。突然、スマホを眺めていたうつむき顔が、私の目の奥で、映画の予告シーンのようなインパクトで甦る。

彼の存在を斜め後ろに感じながら、駅へと急ぐ。
同じ大学の人だろうけど、何年生だろうか。今まで全く見たことがない顔だし、私より年下っぽいから、新入生なのだろう。にしても、やっばりチャラいコだな。

それから、頻繁に彼を見かけるようになった。ある時は、校内で。ある時は、駅で。また、ある時は、お昼時のファミレスで。何度も何度も。
彼と知りあいになることも、話すこともないのに、ただ偶然同じ場に居合わせる回数だけが増えてゆく。

私の中で、彼の存在が大きくなることに、物理的な距離も時間も、ましてや、私の好みなど、何ひとつ関係なかった。
彼の姿を見ない日は、不幸せな一日であり、彼の姿を見た日は、幸せな一日だった。それは、絶対的なルールだった。例え、彼と私が完璧に赤の他人でしかない関係であっても。

私の中で、理由を説明できない想いが鈍い光を放っていた。これを一般的には恋と他人は呼ぶのかもしれない。
でも、そんな安易な言葉で表現できるような生易しいものでないことを、私は知っていた。
恋などではなく、ただ彼の存在が私を魅了しているのだ。圧倒的な力をもって。人が海に、山に、空にひかれるがごとく。
本能的に。抵抗などできるわけもなく。

そして、空気が生温かい湿度を帯び、初夏の訪れを感じた新月の夜、私の狂おしいまでの想いは、突然、跡形もなく消え去った。まるで、真夏の炎天下のコンクリートの上に撒いた水のように。元からそこには何も存在などしていなかったのだと信じられるほど、あっさりと。

名も知らぬ彼は、『名も知らぬどうでもよいオトコノヒト』であると、私の心が告げていた。

何事もなかったかのように日々は流れる。
名も知らぬオトコノヒトを今も時折、見かけることがある。チャラいコだと思う。好みでもなんでもない。


今宵は満月だ。すっきりとして、わかりやすく、爽やかな夜。
レモンイエローの清清しい月の光の中、お気に入りのアーティストの新曲を小さな声で口ずさみながら、私は夜道を歩く。

もうすぐ本格的な夏が来る。全ての人に等しく。
私達は、ただ季節の移ろいの規則正しさと気紛れに従うしかないことを、太古の昔から知っている。