きまぐれ短編小説(風)シリーズ

きまぐれ短編小説(風)シリーズ

自由な文章を書きたい欲求にまかせて、日常を短編小説風に書いています。
気まぐれ更新となりますが、楽しんで読んで頂ければ幸いです。

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世の中には、相も変わらずダイエットの情報が溢れている。改めて考えると、運動をして痩せる運動系は元より、食事制限系、サプリメント系、はたまた道具系等々、無数のダイエット法があることに驚くばかりだ。

 

昔、一度だけ超ハードなダイエットに挑んだことがある。とにかくカロリーを制限し、ひたすら体を動かす、極々単純なもの。ダイエット期間は、半年もなかったように感じるのだけど、その効果は本人の予想を上回るものだったらしい。…らしいと言うのは、いかんせん当の本人に自覚がなかったからで、結局のところ、ダイエットに異常に注力した結果、いわゆる摂食障害になった。当時は、今ほど摂食障害に関する情報も多くなく、本人は痩せて喜ぶばかりだし、周囲の人達は何をどうして良いのかわからぬまま「病院に行った方がいいんじゃない?体調悪そうだよ」という台詞を皆が揃って口にした。

 

何故そこまで力を入れてダイエットをしたかというと、当時付き合っていた男性(ひと)が、テレビに映るアイドルやモデルを見ながら、私に向かって「あんな風にスタイルの良い人がいいよね~」と事あるごとに私につぶやいていたから。今思えば、その時点でアウトな発言なのだけど、まだ若かった私は、彼のしょうもない言葉をまともに受け止めてしまった。

 

そうこうしている間に、彼としばらく遠距離恋愛をしなくてはならない状況になり、何度も耳にした屈辱の言葉を彼に撤回させるべく、彼が近くにいない間にこっそりダイエットを開始することにした。当時の私は、人生で一番体重が重かった時期で、自分でも体重が増えたことを非常に気にしており、ダイエットにハマるようになるまでに、大して時間はかからなかった。体重が減るのが、面白くて嬉しくて、どんどんストイックになった。そして、ある一定のラインを超えた時、今度は10gでも体重が増えることに恐怖を感じるようになった。後は、もう坂道を転げるように体重が減り続け、誰が見ても異常な痩せ方をしていたらしいのだけど、その辺りの記憶は定かではない。ただひたすらどれだけ少ないカロリーで一日を過ごせるか、どれだけ多くカロリーを消費できるか、が重要だった。

 

もっとも、私の場合は少しばかり特殊だったようで、多くの摂食障害に見られる過食症状は全くなく、ひたすら拒食のみ。これが、プラス要因だったのかはわからないが、医者の強制入院宣言を無視して在宅で克服し、今に至る。もちろん回復するまでには紆余曲折あるし、何よりも私の昔からの親友の全面的なサポート無しには、回復は望めなかったと断言していい。

 

しかし、私は摂食障害の回復記を人様に語るつもりもないし、(そもそも記憶があいまいなので、語れるわけもない)過剰ダイエットへの警告を鳴らしたいわけでもない。

 

私は、今も摂食障害を「克服した」とは思っていない。回復はしたけれども、いつまた同様の状況になるか、わからないし、ならない自信はみじんもない。今も体重計の針が、少し多く時計周りに触れると、とても恐怖に感じる。

 

 

人の心は、とても強くて、同時にとてももろい。人の言葉に己の弱さに多分に左右される。だけど、その強さと弱さが同時に存在するから、私は私なのだ。己の心の矛盾に悩み、翻弄されながら、でもその矛盾をふんわりと抱きかかえて、しなやかに生きていこうと思える時、私は私のことを最も愛しているのかもしれない。

 

 

そんなことを漠然と考えていたら、「新年のカウントダウンの音がテレビからひと際、大きく聞こえてきた。さて、年越しの紅茶も飲み干したし、そろそろベッドへと移動しよう。明日(もう今日だけど)の朝は、実家へ行って両親と兄、妹たちと久しぶりのお正月を過ごす。

 

・・・この一年が、全ての人々にとって優しい年でありますように。

 

2018年が、始まった。