ひとりごと | ここから これから いっぽいっぽ

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『座右銘』
暮らしは分(ぶん)が大事です
気楽が何より薬です
そねむ心は自分より
以外のものは傷つけぬ
      堀口大學

私の実父は、くも膜下出血で急逝しました。71歳でした。無口で厳しい昭和の父でしたが、晩年非常に丸くなり、孫を可愛がる姿は別人のようでした。今、父のことを思うと、良い思い出ばかりが浮かびます。

でーもー、深掘りすれば、嫌な思い出は山ほどあります。小学生のときのクリスマス、さあケーキを食べましょう!というときに酔って帰ってきて、「なにがクリスマスだぁ‼︎」と暴言を吐きまくったのちコタツで寝た父の横で、涙をこらえて静かーに食べたケーキの味。

もう成人になってから「風呂に行け」と言われ、「この番組を見てから」と返事したら、「ワシの言うことが聞けんのか‼︎」と平手打ち。たかがこれくらいのことで娘に手を上げることに怒った私、黙って睨みかえしたら、再び平手打ち。更に睨んだらまた一発。それでも負けずに睨んだら、父が部屋から出て行きました。私の勝利〜クラッカー
 この手の話、まだまだあります(笑)

でも晩年の父が、ほんとに「優しいおじいちゃん」になってくれて、私が結婚してからは良い思い出ばかりです。その思い出で上書きされて、嫌な思い出はどこかに吹き飛んじゃいました。

一方、実母。私が認知症の母のキーパーソンとなってからの晩年の4年5カ月、この間の記憶が壮絶すぎて、今でも母のことを思い出すと辛くなります。

この4年5カ月の間、頭が壊れた母の言動に苦しむと同時に、後から後から思い出す幼少時からの母との負の記憶に、心がやられました。

自分でもびっくりでした。執念深く小さなことまで覚えていた自分に。それまですっかり忘れて思い出しもしなかったのに。

母の思い出は、晩年の頭が壊れ別人となった母の思い出と、忘れていたのに思い出しちゃった負の記憶で上書きされ、母が亡くなって2年たっても、母が母らしくあった頃の良き記憶だけを思い出そうとしても、それが難しい…。

そして義母様…。日々負の記憶を更新中なり〜〜。うぉ〜もう逃げ出したいえーん