皆様こんにちは。モトクラシックの天野です。前回投稿から少し期間が空いてしまい申し訳ありません。今回からまた、イギリスの若者文化紹介を再開します。

さて、今回は「Punk(パンク)」についてご紹介します。

なかなか過激でファッションに反映しづらいイメージもありますが、皆様のファッションの中でも取り入れやすいポイントも含め、彼らのスタイルを紹介していこうと思うので、是非最後まで楽しんでいって下されば幸いです。

 

Punk(パンク)とは

1970年代中頃からバンドの「セックス・ピストルズ」を筆頭に若者の間で流行したスタイルで、戦後イギリスで興った数々の若者文化のスタイルや歴史の解釈を一度破壊し、そして新たに再構築されたのがパンクでした。ここでも出てきた「セックス・ピストルズ」ですが、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウェストウッドが関係しています。二人は71年に「レット・イット・ロック」という小さな店を構え、当時流行していたヒッピースタイルの風潮に対する反発から、50年代に流行していたスタイルの服を売り始めました。1973年に「That'll Be the Day」や「American Graffiti」などの映画がヒットすると、テディ―・ボーイ・スタイル(次回紹介の若者文化)が再流行し、二人は店の名前を「Too Fast To Live,Too young To Die」に変え、今度はロッカーズ・スタイルやズートスーツ(極端に太いシルエットのスーツ)などを売り始めました、しかし、その後も店名を変え、最終的に「SEX」へと落ち着きました。

「SEX」という新たな店は社会を挑発し、大衆や若者のリアクションを引き出すことが狙いで、ポップカルチャーへのメッセージをデザインしたTシャツが二人の最初の商品でした。

(マルコム・マクラーレン) (ヴィヴィアン・ウエストウッド)

 

75年マルコム・マクラーレンはアメリカのパンク・ロックバンド「RAMONES(ラモーンズ)」に影響され、彼らの凶暴性、単純さを持ったイギリス的パンクバンドを作ることを考えていました。そして、「SEX」に後の「セックス・ピストルズ」のリードボーカルとなるジョン・ライドンが入ってきたとき、マクラーレンのバンドへと勧誘し、「セックス・ピストルズ」が結成されました。

彼らの行動は反発対立を示すばかりのもので、それがステージの観客たちを魅了しました。それから「アナーキー・イン・ザ・UK」や「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」といったアルバム、それに付随する過激な出来事があり、更にパンクスタイルは加速し、広がりを見せました。

「セックス・ピストルズ」を中心として発展したパンクのファッションはやはり彼らの目立ったスタイルが取り入れられていて、なおかつ今まで興った若者文化の要素が新たに解釈し直されて両方が組み合わさったようなものになりました。

テディ―・ボーイズの要素が取り入れられたパンクファッション。

 

ロッカーズの要素が取り入れられたパンクファッション。

 

このように彼らのスタイルは前述した通り、凶暴性や反発の姿勢今までの若者文化に織り交ぜて新たに再構築されたものでした。

 

ここで、最初に述べたように、皆様でも日常に取り入れやすいようなパンク発祥のファッションのポイントをご紹介します。その名も「クラッシュ折り」。

これはダブルのライダースの襟を半分だけ折って立たせるといった着方で、パンクバンドの「The Clash」がこのような着方をしていたことでこの名前が付きました。

そのまま立たせると襟が大きく主張が強いですが、クラッシュ折りをすることで、スタイリッシュにライダースジャケットを着ることができます。

 

終わりに

今回はPunkについてご紹介しました。今まで紹介してきた若者文化は社会やそれまでの若者文化の風潮に対して、同じマインドを持った若者たちが結束して反発する事を起源として、さらに同調することでその広がりを見せましたが、それとは似て非なる広がり方、つまり、ヒッピースタイルに対する二人の反発を「店」という形であらわしたことを起源とし、その店から「セックス・ピストルズ」が生まれ、彼らの社会に対する反発や凶暴性に同調した若者たちによってその広がりを見せた、ある意味自然発生ではないような形を見せた点とファッションがパンクの非常に興味深い点でもあります。

長くなってしまいましたが、次回は要望のあった「Teddy Boys」についてご紹介しようと思いますので、是非お楽しみにお待ちください。

 

参考文献:イギリス「族」物語 /ジョン・サベージ 著/岡崎真理 訳 (第一刷1999年2月5日 発行:毎日新聞社)