自転車がくれた贈り物~ピナレロバトルレポート第三部
そうそう、ひとつ書き忘れていたことがある。ピナレロ君ことピナレロ・アングリルのハンドルのことだ。
実はこれ、ウィングシェイプのものに交換されている。時期は約3ヶ月ほど前。目的はポジションをもっと“遠く”するため。
ステムを130mmの“最長”タイプに換えたことは以前にも書いたが、実はこれでもちょっとだけ近いかなぁ…という感じだったので、よりリーチの長いタイプのハンドルバーに換えてみた。
結果から書くと、これ、なかなか具合が良い。このフレームサイズではもはや限界とも言える“遠さ”にまでハンドルが遠くなったので、これでも近すぎるとなるとフレーム交換しか手がなくなってしまう…という瀬戸際だったが、なんとか“今現在のベストポジション”がこれで出せたように思う。まずはめでたし…といったところか。
さて、話は2週間ちょっと前の日曜日にまで遡る。
そう、例のピナレロ2台のバトルの話だ。
まずはこのシーンから。
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【前々回のブログからの続き】
★シーン5
私のピナレロ・アングリルのすぐ前方を行く白いピナレロ・パリカーボン。乗り手は“走り屋”の異名をとるヒデ氏。レースにも出場している彼は実際問題かなり速い。この登り基調のワインディングロードを平地並みの速度でグイグイと進んで行く。
ちょっとでも車間距離が開いてスリップストリーム効果が薄れてしまうと間違いなく追いつけなくなる…そう思った私はなんとか必死の思いで食い下がる。
車間距離は約1メートルを保ったまま、2台のピナレロ製ロードバイクは時速30km/h前後という、上り勾配を計算に入れたら充分に“速い”と思われる速度で、この美しいワインディングロードを走り続ける。
遠目から見ると、2人とも一見気持ち良さそうに走っている…ように見えるに違いない。
だが現実は全く正反対だった。
少なくとも私にとって、この速度域でのこの勾配での走行は苦行以外の何ものでもない。
心拍数が相当に上がっている。苦しい…。
ちょっとでもラクをしたい…と思ってしまったら、こんな負荷レベルでの走行は到底維持できない。
だが今日に限って、私の心は悲鳴を上げそうになっても、私のアシは不思議なことにまだ悲鳴を上げてはいない。
体内感覚でそれはわかる。
確かに疲れてはいる。だがまだ力は残っているようで、もうちょっと、もうしばらくだけだったらこのまま行けるかもしれない…そんな感じが下半身から伝わってくる。
ならばスローダウンするに足る理由などあるはずがない。私はさらに自分に鞭打った。
相変わらず前方のパリカーボンは高速を維持し続ける。
どこまでこのペースで行くのだろう…。
そんなことを考える余裕もなく、私は精一杯力を入れてペダルを回し続けた。
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【B夫の解説】
そう、ここまではある意味快調だった。確かに苦しくはある。だが、なんとか前を行くヒデ氏に付いて行ける状態だった。
そんなギリギリの走行がしばらく続いた。実際には数キロ程度の距離だろうか…。あるいはそれより短い距離だろうか、長い距離だろうか…。
いずれにしろしばらくその状態が続いた後、私の頭の中にある疑念が湧いた。
今にして思うとこの“疑念”こそが私自身を引っ掛ける罠だったのだ。
その疑念はこんな内容だった。
「もしかしたらヒデ氏は余裕しゃくしゃくでこの速度を維持しているのかもしれない。後ろから見ている限り特に彼の走りから疲労を感じ取ることはできない…。きっとそうだ。そうに違いない。」
そんな“推測”がなかば確信を持って感じられてしまったのだ。
「だったら私は、ある意味、“遊ばれている”ようなもの…これ以上のがんばりは無意味かもしれない…。」
これこそがスローダウンの罠!
これこそが私の中で私に休憩をさせようとする、かなり巧妙な“自己正当化”の論理だったのかもしれない。
結果として以下のようなこととなる。
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★シーン6
確かに私の疲労感は無視できないレベルに達していた。苦しい、キツい。
もしかしたら今の私を支えているのはわずかばかりの“根性”だけなのかもしれない。
前方を行くヒデ氏はまだまだ余裕があるように見える。
これ以上がんばり続けるのは全く無駄なことかもしれない…。
私は約数秒間迷った。
このまま苦しくてももうひとがんばりすべきか、それともスローダウンしてサイクリングを楽しむ走りに戻すべきか…と。
そして私はあまりに魅惑的な後者を遂に選択してしまった。
「あぁ、疲れた!」
私はヒデ氏に聞こえる声の大きさでそう言うと、ペダルに込め続けてきた力をゆるめる。
安堵感と安楽感が身体を包む。
足が楽になる。呼吸も楽になる。
予想された通り、ヒデ氏は振り返ることもなく、速度を緩めることもなく、そのままの速度で高速走行し続ける。
あっという間に距離が開く。
彼はそのままの速度でコーナーへと突っ込んで行く。
私もゆるゆると後を追うがもはや速度差は相当に大きい。私がコーナーを抜けたとき、ヒデ氏は前方で相当に小さくなっていた。
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【B夫の解説】
言ってみれば、これこそが本当に罠だったのだ。
この後ほんの1km、いや7~800メートルも行けば、私は後方で撮影を続けているはずのtaka-c氏を待つための道路分岐ポイントに到達することになる。私はその場所を休憩ポイントに設定していた。だからそこまでの短い距離をほんのもうひとがんばりすれば休むことができたのだ。
それを知ったとき、私はちょっとの後悔を正直感じた。
だが、そのときはそれだけだった。少々の後悔…5分後には忘れてしまうくらいのほんの小さな後悔だった。
だが、その後峠を登り、甲府トンネルの先で待つヒデ氏と会話したときに、私は驚きの真実を知ることとなった。
ヒデ氏も相当にキツかったというのだ。彼こそが実は“根性”で走り続けていた…というのだ。
もちろん、私はヒデ氏のすぐ後ろでスリップストリーム効果の恩恵を受けて走っていたわけなので、先頭を行くヒデ氏の方がキツいに決まっている。だからそれはある意味当然のことのだが、ここで明らかな私の判断ミスが浮き彫りになった!
余裕しゃくしゃくだと思っていた相手は、実は思っていたよりずっとキツく感じていたのだ…と。
自分がキツいときは相手もキツい。だから差を生むのは気力の差でしかないのだ…と。
誤解しないで欲しいのは、私がヒデ氏と同じ実力だと言いたいのではない。彼は先頭をずっと引き続けて来た上に、さらにその後も高速走行のまま山頂までノンストップで走り続けられるだけの余力を残していたから、どう見ても彼の方が実力は数段上だ。
だが私は思い知ったのだ。
私はヒデ氏の実力に負けただけでなく、自分自身にも負けたのだ…と。
あのとき、「ヒデ氏は余裕で走っているに違いない…」などという根拠の薄い思い込みを理由に、スローダウンしてラクする方の道を選んだのは間違いなくこの自分。
あとほんの800メートル、このままの速度を維持すれば分岐点にまで自分史上最高レベルの走りで到達できたのに…それをしなかった。
確かにキツかったけれど、かなり疲れていたのは事実だけど、あと800メートルがんばり続けられなかったはずはない。
そこには大した違いはないのかもしれないけれど、でもその違いこそが、“普通のアマチュア”と“本気のアマチュア”を分ける境界線となり、そしてそれがやがて“プロ”と“アマ”を分ける境界線になる…そんな意味を持つ違いなのかもしれない。
あぁ、なんということ…。
正直に話そう。私はかつて一度も“根性派”であったことはなかったし、これからも決して“体育会系根性派”になることはないだろう。
だが、“根性派”ではなくても“本格派”ではありたい。
“なまくら”であるよりは“シャキッと”していたい。
“半端”であるよりは“一人前”でいたい。
サイクリング中のほんの些細なできごとだけれど、私にはこれは非常に重要な意味を持つ出来事となった。
このことをきっかけとして特に何かが変わる…ということはおそらくないだろう。だが私はしっかりと心に刻んだ。
最後の最後までベストを尽くすとはどういうことか…。
9回裏、27個目のアウトとなる最後の打者をしっかり打ち取るとはどういうことか…。
もっと大きく言うと、“最後まであきらめない”とは一体どういうことなのか…。
実のところ、私は何もわかっていないのかもしれない。ただ単にちょっとした失敗から何かを学んだような錯覚に陥っているだけなのかもしれない。
でも、少なくともこれは言える。
世の中に、“意味のある失敗”と“意味のない失敗”の2種類あるとしたら、これは間違いなく前者だと…。
いや、この経験を“失敗”などと呼ぶこと自体、大きな間違いかもしれない。
自転車はまたしても私に小さな“贈り物”をくれた…。私は密かにそう思うことにした。
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次回は、安全性の話。題して、自転車の安全性を大きく高めるための知恵!
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