とりあえず生きてますよ〜
元気ですよ〜
万年寝不足なんですけどね
で、久しぶりの鹿児島
なんだか情けないんだけど
仕事に迷いとか、逃げたいとか
疲れてる時には「鹿児島」
今も支え続けてもらって情けないかな
あなたが残してくれた言葉はとても支えになってて
あぁ、いい加減はダメだって
きちんとしっかり看護をしなきゃって
逃げてはいけない
でもね、やっぱり日本の医療では「心」は一生救われないのかなぁと思う
どんなに頑張っても
どんなに考えてあげても
本当に「患者」の人生にとって良いことを提供することはできない
家族の受け入れや
高齢であること
長生きしたからもう、これ以上の積極的な治療はしないと言うこと
「死」を待つだけの看護なら
自分自身の「心」は救われない
あと、考えてるのは「死を受け入れる」ってどう言うことかなぁ
数ヶ月前にお見送らせていただいた患者さんは
自分自身にとって理想のお見送りだった
配偶者が最後の最後までそばにいて
手を握ってて
その瞬間が来るまで
間に合って良かったと思うし、患者さん自身も最後の際まで意識があって
看護師人生の中で一番のお見送りだったかもしれない
ぞろぞろ親族が来るわけでもなく、二人きりで
あんな穏やかなお見送りが看護師として理想であり、達成感というか(表現がダメかな??)
満足感と言うか
もちろん患者自身とご家族はどうお思いになられてるかなんてわかんないけど
それでも、壮絶に苦しんで亡くなるよりは
良い結果ではないかなぁと
そんなことが毎回できるわけでもない
だからホスピスってどうなのかなぁと
「死を受け入れ」、その患者をお見送りする
どうなんだろう
今の職場は「もう高齢だし、積極的な治療はしません。」と家族と医師で決める
だったら看護師いらないよね?
血圧と熱測って記録だけしてればいいんじゃない??
って考えに行きつく
採血結果見て
「先生、採血結果があーだ、こーだ、そうだ、そうした方がいいんじゃないんですか?」
って言ったところで・・・
普通さ、看護ってさ
血圧と熱測ってりゃいいってもんでもなくて
でも、田舎ってどこか「先生様々」があって
「看護師が口挟むんじゃねぇ感」が半端ない
そこで諦め、辞めようかなぁと思っちゃう
けど、折れそうな時も、辞めたいときも
患者から逃げ出したいときも
あなたが残してくれた言葉がずっと頭の中にあって頑張れるのかもしれない
いつかそっちの世界へ行った時に
胸を張って
看護師頑張ったよって言える自分でありたい
上手くいかないときも
辞めたいときも
先輩じゃなく
相方さんじゃなく
ムスコくんじゃなく
患者さんじゃなく
あなたが残してくれた言葉が支え
二度と会えなくても
それでもずっとずっと忘れれなくて
なんとか前へ進めてるのかなぁ
ありがとう