なぜ自己否定をするのか??

 

 

 

だって、プライドが高いから。

 

 

 

わたしはすごいの!!

わたしは何でもできるの!!

わたしは優秀なの!!

 

だから、何もできなくて、

何もなくて、何者でもないわたしはわたしじゃない。

 

目標を達成しても、

何かを身に付けても、何かを持っても、

どんなに勉強しても、まだ足りない。

 

頑張っても頑張っても

まだまだダメ。

もっとやれ!!もっと身に付けろ!!

 

この社会の、

この世間の優等生を目指して、

プライドをどんどん高くして、

登りつめたプライドの山富士山

 

 

 

けど、プライドの山の頂上には何もなかった。

 

山が高くなれば高くなるほど、

人がいなくなるし、できることもなくなっていく。

 

 

実際の山も、

高くなれば高くなるほど、

登る人も少なくなるし、人も住んでない。

 

山の頂上でできることもそんなに多くない。

キレイな景色は見えるかもしれないし、

自然もあるかもしれないけど、

高ければ高いほど、

食べるものもないし、環境も厳しいし、

そこで、生きていくことは難しい。

 

 

 

だから、プライドを高くすればするほど、

まわりに人はいなくなる。

 

なぜなら、人がいない方が楽だから。

 

優等生を目指して社会で生きてると

できなきゃいけないことが

次から次へと出てきて、

その度に勉強して、取り繕って、

できるように見せていく。

 

できない自分じゃダメなの。

持ってない自分じゃダメなの。

必要なものをすべて手に入れてないとダメなの。

 

だって、この社会の優等生を目指してるから。

 

けど、だんだんと、

できないことが多いことを知っていく。

持てないものがたくさんあることを知っていく。

 

だからと言って、

できない自分は見せられないし、

何もない自分は見せられない。

 

 

本当の自分を人には見せられない。

 

 

 

プライドが高過ぎれば、

完璧に自分を隠す方法に辿り着く。

 

 

それは、

まわりに人がいないところに行けばいい。

 

 

 

そしたら、自分を隠す必要もない。

 

楽になる。

 

自分でいられる。

 

 

 

今まで、本当の自分を隠すために

プライドを高くして、

プライドを持てば持つほど

自分を見せられなくなって、

結果、まわりに人がほとんどいなくなった。

 

 

 

 

でも、人がいない頂上ではやることがない。

やりたいことがない。

自分がやりたいことが何もできないことに気付いた。

 

 

 

 

 

だから、そろそろ下りようと思った。

 

暇だし。

 

 

 

じゃぁ、どうやったら、

プライドの山を下りられるのだろうか??

 

 

 

 

人と出会うこと。

 

 

人と関わること。

 

 

 

 

 

プライドを高く高くしていって、

辿り着いた世界にはまわりに人がいなかった。

 

けど、そこにあったものは、、、

 

 

 

 

 

本当の自分。

 

 

 

 

何かを身に纏うこともない、

何かを持つ必要もない、

何者でもない、

 

ただのわたし。

 

 

 

わたしは何者でもないし、

わたしは何もできないし

わたしには何もない。

 

 

それがわたし。

 

 

 

そんなわたしで山を下りていく。

そんなわたしで人と出会っていく。

 

 

 

これからは、そうしていく。

 

 

 

片山秀美