この辺りの地区では15mの津波が起こったそうです。
高台に病院があったのですが、
その病院の1Fまで津波が来たそうで、
その下に広がる街はほぼ全壊。
さぞかし丈夫だったであろうビルの
鉄骨だけが、
役目を終えたロボットのようにそびえたっていました。
その1Fを津波に襲われた病院に行ってみました。
2週間前は避難所になっていたその病院が、
今回はけがをした人や病気の人の治療をする場所になっていました。
つまり病院に戻ったのです。
そしてそれぞれ学校や公民館などに分かれて
避難しているそうで、その表を見せていただきました。
そして、人数が多いところほど、ボランティアや支援を
受けているということもお聞きしたので、
小規模の避難所へ行こうと思ったのですが、
スケジュールがタイトだったため、
帰り道の途中にあった
〜女川勤労青少年センター〜
に行くことにしました。
「あのぅ、物資を持って来まして、
何かお渡しできればと思って立ちよったのですが・・・」
受付の方に話しかけると、
少し驚いたような、なんともいえない表情をされて、
「なにがありますか?」
と聞いてこられたので、
「レトルト関係と、トイレットペーパーと、カップラーメンと・・・」
と答えました。
すると少し顔をほころばせて、
「ありがとうございます。いただけるんですか?」
と言うので、トラックから特に食べ物を
お渡ししました。
バケツリレー方式でどんどん出していくと、
カップ焼きそばに女性の方がとれも嬉しそうな声で、
「あ♪嬉しー!カップ焼きそばだ!!」
と言ってくれました。
僕は恐る恐る
「いつもは何を食べていらっしゃるんですか?」
と聞くと、パンとお答えになりました。
僕が聞けたのはそれだけでした。
水道も復旧しておらず、
給水車が水を届けに来るそうです。
一緒に写真を撮ってくださいました。
こういった写真を撮ることも気が引けましたし、
不謹慎なようにも思えます。それは今でも。
それでも快く、笑顔で対応してくださる皆様の笑顔に
はたしてどんな想いが秘められているか、それは
僕には想像することもできません。
ただし、かわいそうだとも思いませんでした。
数少ない人と少しだけ触れ合って、仙台の方々もそうですが、
僕たちの師がここにいる、と思いました。
近い未来、東日本で震災の被害にあわれた方からのお話を
他の地域の人が生きる道しるべにする未来をイメージしました。
体験した方だけに宿る何かを感じました。
帰りに道に水が浸食していました。
「わぁー!すごい!」
なんて無邪気に見ていたのですが、
その後で、仙台の千鶴さんからの留守電で、
「じゅくちょー、女川は17時に潮が満ちて道がふさがるから、
気をつけてくださいねー。」
・・危なかったー!
知らないことは危ないことですね。
間一髪、戻ってくることができました。
続きます