昨日、
荒川の花火でした。
近づくほどに、浴衣の彩り、屋台の赤ちょうちんの色合いが濃くなり、フランクフルトや焼き鳥片手にビール片手にぎゅうぎゅうに寄せ集まって川に近付く。
今自宅が隅田川沿いで
14Fなもんで
マンションから一望できて壮観なのだ。
僕も類に漏れず帰り道すがら、我慢できずに買った焼き鳥と
ビールと缶チューハイで家路を急いだ。
家には母の友人、妹の友人、祖母など10人少しいた。
ジャージに着替えて外に出る。
13Fから
「たまやーたまやー」
の大合唱。
3、4歳の声。さっき親から習ったのかな?
いつになく親父と祖母も寄り添っている。
…花火があがった。
体を壊している祖母が
「手摺りが邪魔でよく見えない」
と言って立ち上がった。
花火は稀に見る4次元芸術。時間軸をも考慮された美しさは、
マンションの住人を1つにし、日本人を団結させる。
後半、気のせいなのかもしれないし、計算なのかもしれないが、
数個の花火が1つの綺麗な丸をかたどった。
最後の花火は、
走り回る少年たちの足を完全に止めた。
最長でもおそらく5秒程度しか咲くことのできない夏の花火。
桜とともに日本で愛されるのは、
日本人が時間の有限さに芸術を見るからだろうか。
自分も走り回る少年たちの足を完全に止めるような、
鮮やかで美しい人生を生きたい。
エゴだけどそう感じた。