美塾のキホン 3 | 美塾塾長 内田裕士オフィシャルブログ「人のために美しく生きる」Powered by Ameba

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焼肉もりもり



たしか時給は670円だった気がします。



そんで学校帰りに週4日くらい働いていました。

スゲー嫌々働いてたなぁ。


いつも放課後バイト始まるギリギリまで牛久駅でたまってたなぁ。

スケボーやったりとかして。


バイト中もタバコ吸ってサボってたし。

まかないはめっちゃ美味かったけど。



そんでそこの常連さんの

豆腐屋さんの中西さんと仲良くなるんですよ。



「おまえ、カッコいいじゃん♪ サーフィンとかやんないの?」


いつも奥の座敷で楽しそうに

たくさん飲み食べしていてカッコいい大人の中西さんは

サーファーで僕にサーフショップを紹介してくれた。


それで柏の「アリゲーター」っていうショップに

自分の板を置かせてもらってお休みになると早朝店まで行って

みんなと一緒に海に行く・・・という生活になった。


高2の夏のこと。



またそこで僕は中塚さんという

肩から腕にかけていかついタトゥーの入った

当時憧れの車アストロに乗った10歳年上の人と

仲良くなるのです。



彼とはほぼ隔週ペースで海に行ったかな。

そんでしょっちゅう柏でナンパしていた。


彼の家2部屋だったし。



また、それと同時期に中西さんの豆腐屋さんの朝の

バイトがいなくなったので手伝うことにした。



そこで一緒になったのが

朝の豆腐屋のバイトから

パチンコ西友に毎日通うパチプロ


永澤さんだ。


また同級生でやはりパチンコ好きの福崎。


この2人の影響で僕もパチンコ業界に

足を踏み入れた。


2人とも収支は+。とても心強い。


僕は最初から勝てるノウハウしか聞いていないので

順調に稼いだ。



高校生にしてはリッチだったと思う。

バイクも原チャリからスティードになったし、

当時流行りだったスニーカーもたくさん持ってたし。


カバンに私服をいれて帰りにコンビ二で着替えて

パチンコ屋に行ってた。月10万くらい勝ってたかな?



そんな中、地元の繁華街の学園都市に興味を持った。


通称エクセルと呼ばれているその周辺は

夜になると若者が車でグルグル回って女の子の車を見つけたら

パッシングをして止まって話をして、お互い気に入ったら

遊びに行く、

というなんとも強烈なルールが定められた変わったゾーンがあるのだ。


そんなだから若くて活きのいい連中はこぞって

そこに繰り出していた。


そんな地域に憧れがあってそのど真ん中の

「やぐら寿司」

にバイトではいった。



そこのやぐら寿司にはなんと僕と同じ年の子供がいて

彼は霞ヶ浦高校、通称かす高生のやんちゃグループだった。


しかも彼もサーファーで何回か一緒に行ったりした。


また、地元の友達も僕にナイショでサーフィンを始めてて

そのつながりで地元の先輩とも仲良くなりその人たちとも

サーフィンに行くようになった。


高3はとにかくパチンコ、サーフィン、女だった。



そんで夏にそのサーフィン旅行に勝浦へ行くのだが

そこではしゃいで一緒に写真を撮った外人親子の縁で

僕は卒業後にアメリカへ行くことになるのです。


当時は進学も就職もしたくなかったので


漠然と「海外だな・・」と思っていたので

ホームステイ先を紹介してくれるなら

そんなありがたいことはない、と連絡を取り合った。



そして卒業後にアメリカへ行くのです・・・。