3ステップ!自分軸の作り方専門家ゆーや。さん

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なんで何をやってもうまくいかないの?
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「迷いながら強くなる」



迷いながら強くなる


これは棋士羽生さんの著作。
 
僕は将棋は指しませんが、
棋士として勝ち続けている羽生さんの
どんなことを考えているのか、興味があった。
 
たまたま、友達が本の断捨離をする中に
この本があったので譲り受けることにした。
 
特にこの本に惹かれたのは、
「迷いながら強くなる」というタイトル。
 
僕はよく悩み、迷い、行動を選択することに
躊躇することがあるからだ。
 
勝ち続ける人、決断を下し続ける人は
迷いなく決定しているものかと思っていた。
 
けれど、あの羽生さんでさえ、迷いながら
一手一手を決めているということを知った。
 
それなら僕が迷っていながらも、
一歩ずつでも進めるようになるために、
この本から学ぶために開いた。
 
 
いくつか心に響くことがあったのでシェアします。
 
玲瓏の項
 
玲瓏とは富士山の頂上から眺めるような
風光明媚な景色、またはそのような心境。
 
富士山には登ったことがある。
 
そこからはの景色はなんといったらいいのかな。
 
今まで知っていたつもりだった場所。
山中湖とか、沼津漁港とか、伊豆の山々とか。
 
行ったことがあるし、どういう場所か
知っていたけれど。
 
富士山から一目で見下ろした感じは、
(あぁ、こうなってたんだ。。)
と改めて感じた。
 
今までそれぞれの場所で別々だった場所が
全体の中の一部であって、それぞれが
繋がって全体を作っている。
 
そういうことが一目の世界に入って
全体感といういものを初めて感じた。
 
そんな感じ。
素晴らしい感じでした。

そんな玲瓏の境地に至るために、自分の意思で
そこへ向かって歩き出すこと。
 
そして無駄な恐れをもたず、
減らすアプローチも進めること。
 
新たなスペースが生まれることで
新たなことを取り入れ、解決できる。
 
自分の持っている知識も日々劣化していることも
受け入れること。
 
僕は玲瓏に向かえているだろうか?
 
知識が日々劣化しているとは
あまり考えたことがなかった。
 
今までの僕を成長させてきた言葉や知識は
原則や本質だと信じているから。
 
そりゃ一朝一夕で別人にはなれないけど、
時間をかけながらも進んでいけると思っている。
 
だからその知識を捨てる必要性など
考えたことはなかった。
 
でも言われた通り、今は新たな学びが
入っていかない感じもする。
 
スペースがいっぱいだし、
今までの考えと反対のものは受け入れがたい。
 
世の中には色々な考えがたくさんあるし、
その中で自分の体験と共感するものを
迷いながら取り入れてきた。
 
それをやり直すとなると非常に億劫だ。
 
けれど。
 
やはり目の前に課題はあるわけで。
 
それを解決するには新たな考えや方法を
取り入れる必要があるのもわかる。
 
知識が劣化することを受け入れること。
 
大変なエネルギーが必要だけれども、
常に知識や考えを新陳代謝して
毎日進化成長する。
 
そういうことも必要なんだと思うと
正直ゲンナリした。
 
そういう自分はやはり成長より、
同じ考えのままでいたい安定を望んでいるのか。
 
成長の喜びや感動も知っているつもりだけれど、
変化を嫌う安定も強いことに気がついた。
 
勝ち続ける羽生さんは変化し続けている。
 
強いものが生き残るのではなく、
変化に適用できるものが生き残る。
 
そんな言葉ともリンクしているなと
感じました。
 
今まで僕を助けてきてくれた考えや知識を
これから先へ進むために捨て去る時。
 
最初のページから取り入れにくい課題と
ぶつかることになりました。
 
 
同じ課題のこととしてもう一つ響いたのが
「初見の視点」という話。
 
過去にどうだったから、今回もこうする。
 
人は経験に学ぶものだから、どうしても
過去の成功体験や失敗体験を参考にする。
 
それは当然だと思うのだけれど。
 
反面、執着やしがらみともなってしまう。
 
過去とつなぐとやりにくい手、
一貫性から見るとやりたくない手でも、
「初見ならばどうするか?」という視点。
 
その視点でもって打開することもあるという。
 
朝令暮改の良い意味があるように、
朝決めたことが望ましい結果じゃなければ
夕方には変更する柔軟性を持つ。
 
人は一度決めたらそういう自分を肯定する
ために、なかなか修正しにくい面がある。
 
昨日までNoと言っていたのに今日はYesという。
 
一貫性の重力を振り切るって、
他人からどう思われるか?を気にしやすいと
余計に取りにくい行動だ。

でも。
 
今までの自分を正当化するためではなく、
目的のために今は何を選択するか?
 
この初見の視点というものを
身につけていきたいなと感じました。
 
 
先入観の項目で共感したのは
「自分の価値観と思っていても、
他の人から聞いて知ったものである」という点。
 
この自分の価値観を見つけるということは
よくセミナーのワークでも出てくるもの。
 
本当の自分を知るためにってやつだよね。
 
僕も何度も取り組んでいる内容だけれど、
自分の感情をセンサーにして、自分の価値観を
見つけているつもりだけれども。
 
本当は今まで取り入れてきていいなと感じた
「誰かの価値観」だったりするわけです。
 
特に価値観を言い表す言葉。
 
本当の自分の価値観を見つけるためには
自分の言葉を見つけなくちゃいけない。
 
例えば大切な価値観の中には
「家族」とかありますよね。
 
でも「家族と一緒にご飯を食べる」とか
「子供と手をつないで公園を歩く」とか
「妻と子供と同じ体験をして笑いあいたい」とか。
 
家族が大切という価値観の中にも
きっと人それぞれの思い描いていることがある。
 
この胸の中に思い描かれているイメージを
言い表す言葉を生み出す。
 
それができるときに、他人の価値観ではなく
自分の価値観になる。
 
適した言葉を頭から思い出すのではなくて、
腹の底から生み出す。
 
そんなふうに感じます。
 
そのためには感情に許可を出していないと
できないのだけれど。
 
世間では「感情的になるな」
「男の子なんだから泣かないの」
なんて言われて育つから。
 
感情は心の奥の押入れにしまいこみがち。
 
感情を無視する練習を続けて大人になるから
何が好きなのか、嫌いなのかもわからなくなる。
 
だから今度は我慢をやめて
素直な欲求に許可を出す練習をしていく。
 
社会てきには適さない行動は切り離すけど、
そう感じることには許可を出す練習をする。
 
限界を超えて走りきった後に出会う
嗚咽するような感動を体験するのもいいと思う。
 
言葉じゃ説明できない感動や涙も存在する。
 
思考じゃわからないけど、
心の琴線には触れているもの。
 
それこそがあなたの中にある
価値観だと思うのです。
 
 
評価の項目には面白いことが書いていた。
 
「課題の分離」という言葉を知った後でも
社会的に、物理的には他人からの評価の世界で
生きていることになる。
 
理屈ではわかっていても
相変わらず気になってしまう僕。
 
自信がないから他人からの評価で確認にしたい。
その通りだなと感じました。
 
ところが羽生さんは評価を絶対的な判断と
受け取る必要はないと書いていました。
 
評価をしている側の人だって
よくわかっていない部分があると。
 
確かに、神様じゃないんだから
人のことなんて全てわかるわけじゃない。
  
評価は作られたものさしがあって、
そのものさしだけで測られた部分だけを見る。
 
当然測れない部分、測る必要がない部分も
たくさんあるから、それが全てではない。
 
価値観が合う人合わない人。
共感する部分が多い人、少ない人。
理解してくれる人、理解してくれない人。
 
当然あると思う。
 
そうじゃなくて昨日の自分より
進化した自分かどうか?が実体のある評価だと。
 
僕は昨日の僕より進化できているだろうか?
 
 

僕の研究テーマである自信の項目もあった。
 
僕は自信はあればあるほどいいと思っていたけれど。
 
羽生さんほどの人でも絶対の自信などなく、
「自信半分、疑い半分」なのだと知った。
 
修正が必要になるかもしれないということを
考えながらも進んで行くのだそうだ。
 
確かに世の中には絶対なんてないし、
勝負の世界でなおさら絶対勝てる
というものもない。
 
僕がここで気がついたことは、
自信をもって選択したいということの裏に
修正が必要なことまで考えるなんて嫌だということ。
 
そうしたら考えることが2倍になっちゃう。
そんなところまで頭も体ももたない。
 
そんな風に感じたのだけれど、
やはり羽生さんはそこまでやるエネルギーを
出しているからこそたどり着いてる境地なのだと。
 
改めてすごさを感じました。
 
また、失敗は自信を失うために使うのではなく、
振り返って分析をして総括する。
 
適切な総括を終えたらさっぱりと忘れる
とありました。
 
確かに、失敗という言葉や現象だけを見ると
できるだけ避けたいものだと思うけど。
 
分析して次に活かせることに気づき、
成長の糧にもなる面もあるとするならば。
 
普段は他人のせいにして
逃げたくなるような失敗も
受け入れやすくなりそうだ。
 
理屈ではわかる。
 
だけどやっぱり人間痛みは
2倍の感度で見てしまう。
 
総括の後はさっぱり忘れるとあるけれど、
そうしたいと思うことはたくさんあるけれど、
忘れようとすればするほどできない。
 
嫌なことばかりを何度も思い出して
追体験してしまうんだよね。
それが無意味だとわかっているのに。 
 
脳は否定語を理解できない通りの現象になる。
 
「忘れたいこと」にフォーカスしても
忘れたいことが出てくるに決まってる。
 
だから、そのためにも「やりたいこと」を
思い浮かべることがいい。
 
そのための具体的な方法が、
「わたしのやりたいことは何だろう?」
と自分へ質問することだ。
 
痛みに反応してしまう自分。
何度も思い出してクヨクヨしてしまう自分。
それはわかった。
 
じゃあそんな自分のやりたいことは何なのか?
 
「コントロールできない他人にしてほしいこと」
ではなくて。
 
「自分が主体的にしたいことは何なのか?」
やはりそこにたどり着くことになる。
 
自分の目的があって、そこに向かうための
必要な経験ということであるならば。
 
環境のせいによる痛みではなく、
自分が選び、成長のための
経験という意味づけになる。
 
・・・っとまあ、理屈では言えるけれど
やっぱり失敗や痛みは感情的には嫌だよね。
 
理屈は理屈で支えになるからそれも利用するとして。
 
感情を忘れるには味わい尽くすのが一番近道。
 
感情は自分がそう感じていることを
わかってもらいたいだけだから。
 
そんなことを思い出しました。
 
 
迷いの項目。
 
僕は迷うことがたくさんあるのですが、
迷っている時は頭の中では忙しくしているけれど
行動は止まっているという状態。
 
結果が出ないから次に進めない。
結局時間を浪費することになる。
 
それに対し、羽生さんは
「とりあえずやってみる」が最短コースだという。
 
たしかに、ちょっと人に聞けば
簡単に済むことってたくさんある。
 
でもちょっと聞くができない僕もよくいる。
 
「こんなこと聞くなんて迷惑かな。。」
「失礼にあたらないだろうか。。」
「怒られたりしないだろうか。。」
 
こう見ると、ほぼ「恐れ」からきている。
 
自分にベクトルが向きすぎている
からこそ生まれる恐れ。
 
きっと必要な質問は
「どうすればこの課題をクリアできるか?」
だ。
 
いろんな知識は仕入れてきてはいるけれど、
意識をしないと自分フォーカスになる。
 
そんな自分も自己受容しつつも、
意識してベクトルを変えて、
行動を選択していきたいと思いました。
 
それから、もう一つ引っかかった一節。
 
「迷っている時というのは、それとは全く
別のことで何か不満を抱えているのです。」
 
まさしく、自己受容とつながる話だと感じました。
 
自分には欠けているところがある。
他人と比べて価値がない。
 
他人から掲げられた100点の理想の姿に届かない
減点された価値の低いわたしがいる。
 
その欠けている心のスキマを埋めようとして
モノを買ったり、食べ物で満たそうとしたり、
自己重要感を満たそうとしたりする。
 
全て自分の心のスキマを埋めることに
フォーカスしてる。
 
ここを不完全な円形でなくても
いびつな形がわたしだとしてしまえば。
 
凡愚なるわたしを受け入れてしまえば、
そのままで満たされていることになる。
 
もう自分を満たす必要はないのだから、
他人へ矢印が向いていく。。
 
まずは自分を満たすことと
自己受容は同じ目的の話なんだな。
 
・・・うーん、胃のあたりがモヤモヤする。
 
理屈ではわかっているのだけれど、
そんな境地にたっていない僕。
 
ただ、時々そんな状態になったことはある。
 
例えば苦しかったマラソンでゴールした時。
共に走った仲間と祝福の気持ちでハグをする。
感動で胸がいっぱいで他に何もいらない瞬間。
 
例えば大好きな仲間が集まるセミナーや勉強会。
愛のエネルギーで満たされ、尊重され、
何か仲間の力になりたいと感じる時。
 
そういう瞬間は満たされているとわかっているのに。
 
どうすれば維持できるのだろうか?
 
 
・・・うーん、わからない。
 
ただ、安心して魂が裸になっている感じがある。
 
思考も理屈もなく、むき出しの魂のままの状態。
 
だけど普段はそれなりの常識の服を着て
魂が傷つかないように鎧も着る。
 
そういう他者との分離感が、

「みんなと同じじゃなきゃいけない」
「頼ってはいけない」
「やっぱりダメな自分」

というような欠けている感じを生み出していく。
 
そんな風に感じます。
 
それに、そういう仲間のいる場では
みんな心の扉が開いているのだけれど。
 
世の中全ての人や場所がそれを望んでいるか
と言えばそうじゃない。
 
理論と効率と利益の追求で
お金を生み出し、存続すること。
 
多くの企業はそういう場所だと思うし、
僕たちもお金が欲しいと思うから、
そういう場所が必要とされている。
 
だから、望まれていない場所で
それをやろうとすることは難しい。
 
だから、そういう場所を自ら作り出すか、
そういう場所に行くことで、繰り返し
満たしていくしかないかな。
 
本にはよく小さな感動や感謝で心を満たす
ということが書いてある。
 
道端の小さなお花に感動し、
ご飯が食べられることに感謝し、
今生きていられることに感謝せよと。
 
理屈ではその通りなのだけれど、
やはり慣れてしまうもので、
そこへの感動や感謝を忘れてしまう。
 
そして不満や痛みにフォーカスしてしまう。
 
わかっていてもその繰り返し。
 
それでも。
 
大変だけど、そこは意志の力を使って
そういうところに感謝を見つける
練習をしていくしかないみたい。
 
心屋さんも「満たされていることを知れ」
と書いていました。
 
自然と不満を探してしまう自分も受け入れながら、
感謝を見つける訓練をする。
 
そんな風に感じました。
 
 
さて、投稿前に改めて読み直したけれど、
なんとも自分の意見が多いなと感じました。
 
意見があることは良いことと思う反面、
学ぼうと出会った知識や言葉を飲み込めない
言い訳のようにもなっている。
 
最初の知識の劣化と捨てる課題に戻るわけだ。
 
同じところをぐるぐると回っているのだろうか?
 
おっと、自信半分、疑い半分で良いんだった。
 
明確な答えを見つけて楽をしたい僕としては
なんとも釈然としない状態だけれど、
迷いながら強くなるしかないのだろうね。
 
一緒に迷いながらでも進んでいきましょう。
 
 

ではでは。
祐也。
 
 







「あなたを取り戻す呼吸法」

呼吸法
 
おはようございます!
走る自分軸つくり方専門家
井上祐也です。
 
先日マラソン練習で70km走ってきました。
富士五湖マラソンまでもうすぐですからね。
 
そのときに幾つか気づきがあったので
それをシェアしようと思います。
 

今、心を整える呼吸法というものが
ありますよね。
 
呼吸というのは、無意識にしてるものだけれど
意識して変えることができるもの。
 
 
だから呼吸を通じて体の無意識の部分、
感情とか、副交感神経とか、心臓の鼓動とかに
アプローチしていくもの。
 
ヨガや瞑想にも出てきますよね。
 
慌てているときや、緊張しているときには
深呼吸して心を落ち着かせる。
 
鼻らか4秒吸って、4秒止めて、
8秒かけて口から細く長く吐く。
 
 
驚いたときや、起きたことを理解するために
思考に集中しているとき、気づくと
呼吸を止めてるときもありますよね。
 
僕はよく焦ることもあるし、
オロオロすることもあるから、
そんなときはよく深呼吸します。

 
ただ。
 
時々その深呼吸がうまく作用しないときがある。
 
例えば疲れているのに寝つきの悪い夜に
(深呼吸して落ち着かせなきゃ)
と繰り返すのだけれど、意識が強くなりすぎる。
 
(あ、今の呼吸は浅かったな)
 
(もっと長く履き続けなきゃいけないのかな)
 
教科書に書いてある正しい呼吸にとらわれて
逆に焦りが募ることがあります。
 
 
そういうときって、どんなときなのか?
 
今の自分の体が必要としている呼吸と
ずれているときなんだと気がつきました。
 
 
よく、今ココに戻ってくるために、
今の呼吸に集中するという話があります。
 
過去のことを思い出して悲しんだり腹を立てたり、
今度はまだ起きていない未来のことを心配したり。
 
意識は過去も未来も自由に飛来します。
 
だけど済んだことを後悔しつづけたり、
未来の不安におびえ続けるのは意味がない。
 
進む方向を決めるために一度は考えるとしても、
決めたら今どのような一歩を進めるか
今ココに戻ってきて進むしかない。
 
過去も未来も想像の世界。
あるのは今だけ。
 
だから今ココを生きることの集中する。
意識を今ココに呼び戻すために、呼吸に集中する。
  
そういったことを学んできました。
 
確かにその通りだと思うし、
素敵な話だと共感しているのだけれど。
 
頭ではわかっているのに、
無意味だとわかっているのに、
嫌なシーンを思い出して追体験したりします。
 
(忘れよう)
(思い出さないようにしよう)
 
だけど脳は否定語を理解できない。
 
嫌なことを忘れようとする前提には、
嫌なことを覚えていることになる。
 
だから結局思い出してしまう。
 
よりによって布団に入って寝る前とかに。
 
 
そんなとき、同時に息が止まっていたり、
呼吸が浅くなっていることにも気づく。
 
(イカンイカン。呼吸で戻ろう。)
 
そう思い出して、深く長い呼吸をするのだけれど。
 
(スー、フーーーー・・)
 
(まだ短かったかな。。)
 
(スー、フーーーーーー・・)
 
(長すぎて息くるしいな。。)
 
(スー、フーーーーーー・・)
 
(呼吸の音がうるさいな。。)
 
(スー、フーーーーー・・)
 
(ドキドキ心臓の鼓動も収まらないし。
 
 こんなごちゃごちゃ思考がうるさくて
 全然副交感神経優位にならないじゃない。)
 
だからなかなか呼吸で
状態をコントロールできなくてね。
 
 
ここでようやくマラソンの話に
戻るのだけれど。
 
そんな悩みを走っているときに
ふと思い出したんです。
 
で。
 
走っているときだから
息は弾んでいるのだけれど。
 
心臓がドンドンなって、
強制的に呼吸を求める。
 
思考を超えて体が呼吸を呼び戻してくれる。
 
そして気持ちはとても落ち着いていたんだよね。
 
なぜなのか?
 
それは、
「体が必要としている呼吸に合わせたから」
ということに気が付きました。
 
僕はこれまで外に答えを求めてきた。
 
きっと唯一の正しい呼吸があるにちがいないと。
 
 
だけど、そうじゃなかったんだな。
 
 
自分に必要な呼吸というのは、
自分の体が必要としている呼吸だったんだ。
 
頭ではわかっていなかったけれど、
体は最初からわかっていたんだ。
 
全ての必要なことは
最初から全て自分の中にあったんだ。
 
 
誰かの作った正解に合わそうとして、
自分の呼吸を否定しなくてもよかったんだ。
 
そんなことに気がつきました。
 
 
だからあなたがもし、呼吸法で悩んでいたら
今のあなたの体が必要としている呼吸を
してみてください。
 
具体的には、軽いジョギングをしてみる。
 
例え短い距離でも少し呼吸は早くなる。
それがあなたの体が必要としている
あなたにあった呼吸ということ。
 
体と呼吸が一致してくると
呼吸に関する違和感は消え去って行きます。
 
そして緊張して息が止まってしまった
嫌なシーンも流れる周りの景色に溶けていく。
 
そんな風にも感じました。
 
どんな呼吸にも間違いなどありません。
否定する呼吸など一つもない。

あなたの体が求める一番心地よい呼吸を
してみてはいかがでしょうか。
 
 
ではでは。
祐也。
 
 



「人は自然の美しさに感動するは本当か?」
 
理想の花
 
おはようございます!
走る自分軸つくり方専門家
井上祐也です。
 
 
TDLシリーズその3。
 
ディズニーランドといえば掃除。
 
今日はそこから感じた疑問
について書いていきたいと思います。
 
ディズニーの掃除について
たくさんの本が出ていますよね。
 
理想の世界を維持するために気をつけていること。
 
それが清潔な世界を維持すること。
 
キャストがほうきとちりとりで落ちているゴミを
早急に回収していくのは見ての通りだけれど。
 
閉園後の夜間にはパーク全体を
ホージングと言って水洗いしている。
 
それくらい清潔さと美しい景観には
気を配っている。
 
だからこそ素敵な演出を始める土台になる。

 
でね。
 
 
今回ふと花壇に目がいったのだけれど。
 
見事なまでにチューリップが咲きそろっていた。
 
もちろんキレイだな~
と思ったのだけれど。
 
 
あまりにもキレイすぎるなとも感じたんだよね。
 
あなたがもしガーデニングで
チューリップの球根を植えたことがあれば
わかるかもしれない。
 
チューリップって、同じ日に植えたって
2~3日くらいは咲くのに差が出る。
 
 
それに葉っぱの先っちょが痛んだり、
背が低かったり、花が歪んだり。
 
色々と個性ってものが出てくる。
 
まあ、僕の育て方が
雑だからってこともあるけどね。
植えたらそれっきり放置だし。
 
だけどディズニーランドで見たチューリップは
キレイに咲きそろっていたんだよね。
 
 
もしかして、最盛期のチューリップを
昨晩に植え替えたのか?って思うほど。
 
怪しんで近くで花壇の土を観察したけれど
掘り返したばかりの様子も見つけられず、
正直よくわからなかった。
 
だけど僕が思うに、いつもディズニーランドは
完璧さを維持している。
 
花が散って花弁だけになってる姿なんかないし、
枯れたままになってる花もない。
 
いつ行ってもキレイな「花ざかり」の花だけが
咲いているような記憶がある。
 
 
でね。
 
 
そのゲストのために最高の状態を維持する
という姿勢には感服するのだけれど。
 
はて。
 
それではしおれ始めた花はどうなってるのか?
 
そう考え始めたら少し切ない感じもした。
 
あれだけの品質というか環境を維持している世界。
 
花にしてみれば、9部咲き~満開だけが
存在を許されているようなもの。
 
80点の花や、ピークを過ぎている花は
 
「最高のおもてなしをするには
 お前じゃ役不足なんだよ」
 
と言われて除去されてしまう。
 
そんなシーンが頭をよぎりました。
 
 
競争に勝ち続けたエリートだったら
そういった山の頂点だけに
フォーカスするのだろうけれど。
 
・・・どちらかというと落ちこぼれて
めいいっぱいの負けを経験している僕としては
取り去られてしまう花が気になりました。
 
 
華やかなステージに立つことはできなくても
どこかで誰かを和ませる花であってほしい。
 
ただ、ゴミとして、存在価値のないものとして
捨てられていたら悲しいから。。
 

まあ、そんなこと僕が言っても仕方ないけれどね。
 
 
それからもう一つ。
 
マークトゥエイン号に乗って
トムソーヤ島の周りを一周した時に気付いたこと。
 
 
水がさ・・・
 
キレイなんだよね。。
 
いや、もちろんいいことなんだけれど。
 
普通さ、よどみってできるじゃない?
 
たとえ海に向かって流れ続ける
川であっても、川の端っこに
ちょっとした吹き溜まりはできる。
 
そういう吹き溜まりに
藻やら、カエルの卵やらがたまる。
 
むしろそれが本当の自然じゃない?
 
だけど、ディズニーランドの池の水には
そういう汚いものが溜まっている場所がない。
 
あれだけたくさんの木々も植わっているし、
少しは枯葉が浮いていたのは見えたけれど。
 
本当だったら毎日枯葉がたまっていって
流れの悪いところに吹き溜まっていくのが
自然だと思うんだ。
 
だけどそういう場所がなかったんだよね。
 
きっと。
 
夜間の清掃の時間に湖のそういう吹き溜まりまで
さらってキレイにしているんだろうけれど。
 
もしそうだとしたら、それって自然の美しさなのか?
 
とてつもなく人工的なものじゃないのか?
 
そんな気もしました。
 
一方で、そういう清掃の行き届いた環境にこそ
人が感動するのだとしたら、自然じゃなくて
人工バンザイなのか?
 
そしてさっきの花壇のチューリップも思い出して、
「ありのまま」の自然の美しさでは不足していて、
「意図的で人工的な」美しさが求められるのか?
 
やっぱり「ありのまま」の僕じゃダメなのか?
感情は隠して書籍から借りた言葉で
人工的で立派な外面を作る必要があるのか?
 
 
そんなこと言ってる僕がここディズニーランドに
再来している理由は、意図的で人工的な美しさ
に感動しているからではないのか?
 
 
 
そんなことを考え始めたら
またグルグルと迷いの森に入ってしまいました。
 

やれやれ。 
悩むのが好きなんだねって言われる所以だ。
 
 
いやね、理屈では答えはわかっています。
 
何も使っていない部屋だって、
放っておいたらホコリも自然とたまります。
 
キレイに保つようにたまには掃除をする。
 
人間も同じように、自分の欲求100%に
食う、寝る、遊ぶ、だけじゃなく。
 
心に自然とたまってしまうホコリは掃除する。
 
心にジャンクな情報をインプットするのではなく
美しく生きている人の生き様をインプットする。
 
「先に与える人になりましょう」
 
「悪い面ではなく、良い面に着目しましょう」
 
そんな理想的な人であるように、
理が通る行動をとる。
 
あるがままだけじゃなく、
意図的に、人工的に自分を磨く。
 
そういう磨いた自分は人工の自分ではなく、
成長した自分である。
 
 
まあ、そんなところ。
頭ではわかっているんです。
 
だけど頑張れないときはたくさんある。
 
そんな僕自身を肯定するために
書いているようなものだけれど。
 
 
成長目指して挑戦したり、
努力するのは素敵なこと。
はなまるです。
 
だけど時々サボってしまう僕も
僕の一部です。
 
自分を否定していても始まらないし、
別な人間にはなれない。
 
僕から始めるしかない。
 
だから、サボる僕にもまるをつける。
 
どこまでも、自分に一を足していくしかない。
 
そんなことに思い至りました。
 
 
あなたも、まずは自分をゆるし、
まるをつけて元気になったら
少し磨くことに挑戦する。
 
また、本音を隠して建前を装うことができるのは
ある意味ディズニーランド的なものでもあり、
おもてなしのやり方でもある。
 
それはそれではなまる。
 
そんな風にゆっくりと前に進んでいけば
良いのではないでしょうか?
 
 
ではでは。
祐也。
 
 


「笑顔になると楽しくなるは本当か?」
 
笑顔の奥

おはようございます!
走る自分軸つくり方専門家
井上祐也です。
 
 
TDLシリーズその2。
 
ふと感じた疑問点。
キャストの笑顔についてのこと。
 
いつも素敵な笑顔をくれるキャストだけれど。
 
いくつか種類がある感じがしました。
 
パレードダンサーの笑顔は表情筋を
100%使った全開の笑顔。
 
見せるためのショー用の笑顔。
自然な笑顔とは少しちがう。
 
多分これを維持するには
すごくエネルギーがいる。
 
終わった後は顔が痛くなるくらいだろうな。
 
 
それから。

例えば、パレードコースの準備をしている
キャストの笑顔。
 
真剣な眼差しでコースをチェックして、
時折気がついたときにゲストに向かって
笑顔をつくる。
 
そう、まさに作った笑顔という感じ。
 
口角は上がっているけれど、
気持ちと笑顔が繋がっていない感じ。
 
だけど笑顔で迎えなきゃという気持ちは
感じとることができるので、
迎えてもらう側としては嬉しい。
 
基本的にはほとんどのキャストは
この「歓迎してますよ」の笑顔になる。
 
よく言えば、意図的だけれど
先に与える笑顔とでもいうのかな。
 
 
だから安心してキャストにトイレの場所や
アトラクションの場所を尋ねることができる。
 
 
それから、ゲストの楽しそうな顔を見て
嬉しそうな笑顔になっているキャスト。
 
楽しい雰囲気の中にあって、
笑顔が笑顔を呼ぶ感じ。
 
特に子供が喜んでいる姿を見ているキャストは
その子供から喜びを分けてもらって
いるんだろうね。
 
これはとても自然な笑顔になってる。
 
 
ざっくり3種類の笑顔があるなぁと
感じました。
 
 
で、そんな中、ぼんやりと考えていたのは
(本当は笑顔になれない気持ちの人も
いるんだろうなぁ)ということ。
 
 
本で読んだだけだけれど、キャストの裏側は
それだけのサービスを与える側の仕事。
 
それだけ厳しいルールや基準もある。
 
ルールや基準が存在するということは、
そこに達しなければミスにもなるということ。
 
ミスがあれば叱られたりすることにもなる。
 
まあ、叱られて楽しい人はいないよね。
 
 
だけどゲストの前に立てば笑顔が必要。
 
だから気持ちと乖離していても笑顔をつくる。
 
 
それにプライベートな時間だって
365日楽しいことがあるわけじゃない。
 
恋人に振られて落ち込んでいる日もある。
 
親や子供との関係で悩んでいる日もある。
 
財布を落として凹んでいる日もある。
 
けれどそんな本当に沈んでいる心にフタをして
笑顔を作らなくてないけない。
 
 
そんなときに、よく成功法則や心理学で
書いてあることが頭をよぎる。
 
「楽しいから笑うんじゃない。
 笑うから楽しいんだ。」
 
体(表情筋)を変えて、
感情にアプローチする方法だ。
 
 
もしもこれが本当に効果ある方法ならば
キャストは全員が100%幸せ
だということになる。
 
 
・・・僕はキャストじゃないので
そこはわからないけれど。
 
 
後日たまたま温泉のサウナ室で
流れていたテレビ番組で
井上和香ちゃんが写っていた。
 
 
「カメラの前では笑顔じゃなきゃいけない。
でも本当は辛くて、家ではポロポロ泣いていた。」
という話だった。
 
それを見て、やっぱり笑顔になれば楽しくなる
というのは100%効果がある方法じゃないんだな
と改めて気が付きました。

もちろん、世の中に絶対なんてないし、
僕は体の状態を変えて気持ちを変える方法を
実際によく利用しているのだけれど。
 
 
だから、キャストの笑顔の裏には
悲しい気持ちが隠れているかもしれない。
 
だからこそ、道を教えてもらった時には
精一杯のありがとうを送ってあげたいし、
手を振るキャストには僕は手を振る。
 
少しでも元気をお返しできたらいいなと思うから。

 
 
で、またその疑問をくゆらしていると
じゃあディズニーキャストはどこで心を満たすのか?
ということ。
 
 
心減らしてサービスし尽くした後は
今度は心を満たして欲しくなるのが人間だから。
 
きっと苦しさを感じたディズニーランドでは
癒すことはできないんだろうな。
 
だからってUFJに行くのだろうか?
きっと直感的にサービス内容が気になって
心休まることにはならないだろうね。
 
まあ、そこは考えても仕方ないところ。
人それぞれちがうだろうしね。
 
 
そして、やっぱり感情はたっぷりと感じ切る。
 
それが一番大切いい。
 
悲しい気持ちを見知らぬふりをするわけじゃなく。
5分なのか、1時間なのか、わからないけど
自分が感じている感情を正面から受け入れる。
 
感情はあなたに「わかってもらいたい」だけ。
 
しっかり受け止めれもらえないと
感情はずっと追いかけてくる。 
なんども記憶を再生して追体験させる。
 
だから感情は感じ切る。
 
どんな気持ちか友達に話を聞いてもらうのもいい。
 
余談だけれども、解決志向の男性性よりも
共感志向の女性性に聞いてもらった方がいい。
 
解決志向は物事と理屈は解決できても、
気持ちの問題は解決できないからだ。
 
他人の心は変えられないから。
 
聞いてもらる人がすぐに見つからないなら、
独り言でもいいから言葉にして出す。
 
グルグルと頭の中で考えていたことも
言葉にして出して、自分の耳に聞かせてやると
スッキリしたり、忘れて次に行くことができる。
 
 
嫌な感情を体の中から全て吐き出してしまえば
自然と新たな感情が入るスペースが生まれる。
 
 
そんな風に思います。
 
 
話は随分脱線してしまったけれど。
 
自分の気持ちはしっかりと味わった上で、
それでも口角を上げる歓迎する笑顔は
最良のコミュニケーションの一つ。
 
 
今日は意識して取り組みたいと思います。
 
 
ではでは。
祐也。
 
 
「夢の国が必要とされる背景」
 
心を満たす場所
 
おはようございます。
走る自分軸作り方専門家
井上祐也です。
 
 
先日、春休みだし、小学校始まるし、
暖かくなってきたということもあって
久しぶりにディズニーランドに行ってきました。
 
イースターというテーマは僕には馴染みが
なかったのだけれど。
 
パレードはテンション高く楽しげで
(もちろんダンサーはいつも楽しそうだけど。)
とても晴れやかな気分になりました。
 
そこでまた気付いたことを
シェアしていきたいと思います。
 
 
(ディズニーランドは無くならないだろうな)
 
ぼんやりとそう感じました。
 
なぜなのか?というと、
心を満たしてくれる場所だからです。
 
僕たちは、より便利なもの、より効率的なもの
より省エネなものを求めます。
 
もっと燃費のより車とか、
もっと消費電力の少ないエアコンとか。
 
そういうものが発売されて、
経済的なメリットがあれば買い替えます。
 
理由は浮いたお金を違うことに使いたいから。
  
だから、企業はそのニーズに応えるために
同じ製品を売り続けるのではなく、
日夜商品開発を続けるわけです。
 
特に製造業の話になるのかもしれないけれど。
 
で。
 
つまりそれは人間の感情の領域ではなくて、
燃費とか、消費電力とか、手間がかかる時間とか、
物理的な計測できる理屈の部分になる。
 
だからそれを追い求める時は自然と、
数字や理屈を追い求めることになる。
 
作る人側の好き嫌いとか、面倒臭いとか
そういう感情の部分は切り離して
理屈で仕事をすることになる。
 
 
だから。
 
 
本当にそれがやりたいこととして
仕事をしている人以外は、ある意味
感情を抑えて仕事をすることになる。
 
自己重要感を満たすのではなく、
結果を出す機能だけが求められる。
 
本当の自分が感じる心にフタをして、
やりたくないことも我慢しながら仕事をする。
 
それが心をすり減らしながら
生きることになる。
 
 
だから、心をすり減らして生きてる人が
心を満たす場所を求めることになる。
 

それが、
 
「あなたは大切なゲストです」
 
「最高のおもてなしをいたします」
 
「あなたがどれだけ受け身でも、
 新しい変化と楽しさを手渡します」
 
という場所。
 
つまり、ディズニーランドということ。
 
 
少し脱線するけれど。
 
ディズニーランドは
ホスピタリティー産業ともいわれる。
 
ライバルは遊園地ではなくて、
ホテルだということ。
 
だけど、多くの家族はホテルには行かずに
ディズニーランドに行くと思う。
 
なぜなら。
 
自分が何もしなくても音楽と踊りと
アトラクションで楽しませてくれるからだ。
 
ホテルは自分でやりたいことがある時には
とても素晴らしい場所になるけれど。
 
食事以外の時間に目的がなく、
暇で持て余してしまう人には適さない。
 
普段心をすり減らして生きる人であれば、
休日くらいはエネルギーを使って創造する
ことから離れて、受動的でも楽しめる場所を選ぶ。
 
まあ、格好悪い話ではあるけれど、
それは僕の話なんだけれどね。

 
そして、話は戻るけれど。
 
 
だからこそ、この先どれだけ便利になっても、
技術が進んでも、ディズニーランドはあり続ける。
 
ガストのホールの人が二人になっても、
ディズニーゴーカートのキャストは12人。
 
効率ではなく、ゲストに寄り添い、笑顔で
手を振る時間をできるだけ多くとるために。
 
乗り物がある遊園地なら他にもたくさんある。
 
けれど「あなたは大切なゲストですよ」と
笑顔を向けて手を振ってくれる場所は他にない。
 
結局、ディズニーに行く人はそういう
ソフトの部分を求めて行っていることになる。
 
 
もしも世界が技術ではなく、心を満たすために
どうすればいいかという価値観にシフトし、
毎日の生活に満たされるようになれば。
 
わざわざ大金を払ってディズニーに行く人は
いなくなるだろう。
 
 
毎日自分が大切な存在として扱われ、
またそのことに慣れない感性を磨いていれば。
 
 
もう一方で。
 
ディズニーランドがお金を出しても買えない
「心を満たすもの」をお金を払えば
提供してくれているという事実もある。
 
科学技術でも心を満たすことはできないし、
最新の医学や薬学でもそれは不可能だ。
 
 
けれど。
 
 
ディズニーは音楽や踊りや笑顔で
毎日何万人という人たちの心を満たし、
「また来たい」という夢や希望も手渡している。
 
 
それはそれですごい。
 
そこにお金を払っていいという価値を感じるから
多くの人はディズニーランドに行くのだろう。
 
 
そんなことも感じました。
 
そういうわけで、これから先も
ディズニーランドはあり続けると感じました。
 
そんな世界を創りだした
ウォルトディズニーはすごいよね。
 
 
さてさて。
 
いろいろ勝手なことを書いてみたけれど、
面倒臭い理屈はおいといて、
ディズニーランドは楽しかったです。
 
楽しく過ごせる場所があるって、
素敵なことだよね。 
 
イースターのパレード良かったから、
あなたも遊びに行ってくださいな。
 
ではでは。
祐也。