3ステップ!自分軸の作り方専門家ゆーや。さん -2ページ目

3ステップ!自分軸の作り方専門家ゆーや。さん

なんで何をやってもうまくいかないの?
なんでお金を稼ぐノウハウ作業も結局続かないの?
なんでわたしは自分のやりたいことも分からないの?
私のミッション・使命って何なの?
人間関係もビジネスもミッションも、すべて自分軸があれば全てうまく行きます!

いったい誰が、愛という言葉をみつけたの?

どうやって、そういう概念を言葉に生み出すことができたの?

貢献じゃなくて、愛。

行為だけじゃなく、自分がしたくてすること。
自分がうれしくなるからやるけれど、相手もうれしくなるからこぼれた嬉しさがまた他者へと流れ出て循環していく。

うーん、愛って言葉は一文字なのに、言葉で説明しようとしてもとても全部を説明できない。

ただ。

子供やおしゃべりしている時、これが愛ってことを全身で感じて感動します。

ありがとう。
「折れると得する山のイメージ」
 
山
 
おはようございます。
走る自分軸つくり方専門家
井上祐也です。
 
自分軸が折れたという状態なんだけれども、
凹んでいるのは確かだけれども、
歩みを止めてしまえば何も変わらない。
 
休憩しながらでも、もがきながらでも
ゆっくりでも進むことにします。
 
 
さてさて。
 
あなたは、凹んだり、心折れたり
したことはありますか?
 
誰もがそういう体験は
したことがあると思います。
 
そういう状態って、

「どうせわたしはダメなんだ」

「ダメ人間の僕が全て悪いんです」

って世界も自分も呪って自暴自棄になる。
 
自分がダメだということを言い訳にして
行動も思考も止めてしまう。
 
自分の殻に閉じこもって嵐が過ぎ去ることを
何もせずに待ち続ける。
 
でも実際には自分が変わらないからこそ
同じ嵐がやってくることになる。。
 
そんな体験したこともあると思います。
 
 
感情を抑圧しても結局長引くだけだから
凹んだ感情は正直に味わっていいと思う。
 
でも、その後いかに心を持ち直せるか?
が生きていくために必要だと思う。
 
じゃあ、どうすれば心を早く持ち直せるか?
という疑問にぶつかるのだけれど。
 
 
先日、子供と茅ヶ崎の海辺で砂遊びしていた時に
「こういう折れ方のイメージならいいな」
という気づきがあったのでシェアします。
 
子供と砂の山をせっせと作っていました。
もちろん、山を作った後はトンネルを掘ります。
男の子なら誰もがやった遊び。
 
で、山を大きく、高くするためには
集めて高くした砂山の頂上をパンパンと叩き
山のすそのを押し広げてからまた砂をつむ。
 
そうすることで山はだんだん大きくなっていく。
 
その時に、
「ああ、こういう感じがいいんだな。」
と気がつきました。
 
 
どいういうことか?
 
今までの僕の軸というイメージは
柱のようなまっすぐなイメージ。
 
ただ硬いのではなく、できれば釣竿のように
しなやかに周囲の違いも受け入れ、受け流し、
調和して存在する。
 
成長とはその軸を太くしていくようなイメージ。
 
そういう感じでした。
 
だから軸が折れた時は
その軸がポキリと真ん中から折れ曲がり、
全てが無意味に戻る。
 
生き方や感じ方、考え方が間違っていたと感じ、
また何をどう考えたらいいのかわからなくなる。
 
折れるということはそういうイメージでした。
 
 
でも、きっと違う。
 
時間は巻き戻せない。
 
人生は不可逆だ。
 
一度体験したり、感動してしまったら
それを知らないふりはできない。
 
心が動いてしまうから。
 
だから、似たような課題にぶつかっても
同じ過ちを繰り返しているわけじゃない。
成長していないわけじゃない。
 
成長した今の自分がより大きくなるために
新たな課題と出会う。
 
もし仮に、

「もう今輪際あなたに課題はなく、 
 苦難もなく、成長もしなくてよい。」
 
 今までの繰り返しでよい。
 死ぬまでそのままで。」

と言われたらどうだろう?
 
・・・苦しいのがないのはいいけれど、
変われない、成長できないのは嫌だと
僕は思う。
 
できないことができるようになるという
成長は、人間が感動することの一つだから。
 
 
少し話が脱線したけれど。
 
だからこそ、心折れる時には
軸が折れるというイメージではなく。

山の頂上をガツンとやられて凹んだけれど、
山の裾野は広がってより高くなる土台ができた。
 
そういうイメージがいいんだなと。
 
山を登るとわかるんだけど、
物理的に視点が高くなると
遠くまで見えるようになる。
 
地面を歩いている時には目の前の道が狭いとか、
電信柱が邪魔だとか目の前のことに心奪われる。
 
だけど山の頂上から遠くまで見渡すと
あの辺は緑が減ってきたなとか、
あの道路はもっとまっすぐな方が効率いいのにとか。
 
見えるものが変われば、
考えることも変わる。
 
だから成長や役割や立場という視点が変われば
考えることも変わってくるということ。

それから。
 
向こうの山はこっちより高いと
その向こうは見えない。
 
自分より高い山に登っている人が見ている景色は
自分の山からは見えないということ。
 
 
だから。
 
 
心折れるような事態になっても、
折れるというイメージはやめて。
 
山の頂上を押しつぶされるけれども
裾野が広がるイメージに変えていく。
 
より高くて広い山になる準備。
 
たった一つだけの哲学に執着するのではなく、
今までの哲学も含み、それ以外の新たな
哲学も許容し、包括できる山になる。
 
他者を拒絶する断崖絶壁の山ではなく、
より多くの人を乗せられる
より広くて大きな山になる。
 
そんなイメージがいいなと感じました。
 
 
一緒に大きな山になっていきましょう。
 
 
ではでは。
祐也。


「自分軸が折れました」

おはようございます。
折れた自分軸の作り方専門家
井上祐也です。


「おいおい、どした?なんだそれ?」

「自分軸が折れた奴の話なんてききたかないよ!」

という人もいるかもしれませんが。


最近ずっと書けていなかったのは
改て現実の課題とぶつかって悩んでいたから。

今までこれがベスト!って思い込んできた
自分軸の考え方で上手くいかないことがあって、
それに自信が持てなくなったんだよね。


だから一貫性をもって話すことができないし、
やっぱり考え方は正反対なのかも?
って自分に疑問を感じて始めて。


つまり、自分軸が折れたってことです。


まあ、笑ってやってください。



で。


まだ立て直しはできていないのだけれど、
一つ気づいたことがありました。


それは、今までの僕はまだまだ
カッコつけていたのだということ。


自己受領だとか、平凡を認めるとか言いながら
人より辛い経験をして、人より大きな挑戦をして、
少しくらいはマシな人間になったって思いたかった。

そういうカッコつけた体裁を取り繕っていたから
迷ったり悩んだりしている姿を開示できなかった。

こういう風に見られたいという理想と
本当の自分の姿が離れているから
書けなくなってしまったということ。



「じゃあそんな落ち込んだ状態から
どうするつもりなの?」

という問いにぶつかったわけだけど。


やっぱりそんなダサい姿の自分も認める
という自己受容からやり直すことだった。

今までも理屈ではそういうことを言っていたし、
僕自身すでに自己受容してきた側の人間だって、
伝える側の立場に立ちたかった。

けれどそれはやっぱりまやかしで、
まだまだ受容できずに隠していることが
あるんだなと気がつきました。

そして、こういうことはこれから先も
何度も繰り返し起きるんだろうなと感じます。

経験や成長が一歩進めば、
また新たな出来事にぶつかる。
失敗したり迷惑かけたりもする。

その時に、

「僕はもう自己受容した側の人間だ。
 だからこんなことはおきないはずだ。」

なんて思い込んで体裁を作ってしまうと
そこで成長がとまってしまうんだろう。

だから一度その言葉を通ったからと言って
今後は不要ということではなく。

経験や成長、挑戦や失敗とともにあり、
常に自己受容もし続ける必要があるものだと
認識を新たにしました。



そして。

考え方や現実からの否定にぶつかって
落ち込んでいたり、いじけていたりしても
自分も世界も変わらないわけで。

改善して成長して、挑戦して失敗して、
生きていく以外にありません。

そもそも大した実績を出しているわけじゃない
僕の少ない人生経験でこれがベストだなんて
考えていることがイケてない。

今のあり方、感じ方、考え方が
今の自分の状況を作っているわけだし、
これがベストで伸び代がないならむしろ悲しい。

そう考えたら少しは悩みも楽になりました。


そして。


愛する家族がいて、健康な体がある
今の幸せを忘れて、そんな悩みを拡大して
ダークサイドに堕ちる凡愚な僕ではありますが。

一番大切な資産となる時間を割いてもらって
読んでいただけるあなたに1mmでも役立てるよう
また勇気を持って書いていきたいと思います。

いいねやメッセージは本当に励みになります。
これからも応援よろしくお願いします。

いつも読んでくれてありがとう。

ではでは。
祐也。
「2つのDがつくる盲点」
 
プライドとブランド
  
おはようございます!
走る自分軸つくり方専門家
井上祐也です!
 
 
あなたは、現実をありのままに
見ることができていますか?
 
 
ありのままの現実って、
人それぞれ考え方が違うだろうけれど。
 
 
今の僕にとっては、それは、
 
「現象をあらゆる視点や立場から見る」
 
ということだと思う。
 
 
「そういうあんたはできてるのかよ?」
 
 
と言われれば、
到底そんなところには至れていない。
 
 
そりゃあもう、ものすごく偏っている。
 
 
僕にとって都合のよい方へ
現象に意味づけをしたりする。
 
 
自分バイアスがしっかりとかかっている。
 
 
 
ではなぜ?そんなことになるのか
考えていたところに、
引っ掛かった言葉があった。
 
 
それが、
「プライド」と「ブランド」
だ。 
 
タイトルに掲げた2つのDとは、
似た響きを持つこの言葉のこと。
 
 
まず、プライドというのは。
 
 
「自分自身の存在価値」とか、「尊厳」
という意味づけしている人が
多いんじゃないかな?
 
 
バカにされたり、批判されたりすると
プライドが傷つく。
 
 
もちろん、そういうプライドを保つために
努力を続けたり、一貫性を保ったり、
いい面もある。
 
 
 
それでも、プライドがあるといことは、
他人からどう見られているか?
を気にしているということ。
 
 
つまり、周囲の他人と比べた
自分自身の評価のこと。
 
 
自分に矢印が向いている状態だよね。
 
 
他人がどうしてほしいか?をフォーカス
するのではなく、自分がどうみられるか?
ばかりを気にしている。
 
 
 
だけど、評価するのは他人だから
結局は他人の判断基準に準じることになる。
 
 
アドラー的に言うと
他人の人生を生きることになる。
結構苦しい生き方になる。
 
 
なんとも残念な感じだけれど。
 
 
まあ、それって僕のことだ。
やれやれ。
 
 
 
もう一方のブランドというものは
「価値がある有名な名前、肩書き」
という意味づけがあると思う。
 
 
ヴィトンやエルメス。
 
トヨタやソニー。
 
ロレックスやオメガ。
 
 

ブランドには素敵なストーリーがあって、
そこに価値を感じるから、身に着けたい、
一緒になりたいと感じるよね。
 
 
好きなブランドを身に着けているときは
ウキウキして、気分良く過ごせる。
 
 
で、そういうものって何かというと、
自分の表面上を飾るものだったりする。
 
 
だけどそれも、価値あるストーリーと
同化した自分が価値ある存在だと
見てほしいという部分もある。
 
 
ストーリーのない無名のブランドに
ワクワクしないのはなぜなのか?
 
 
特別な価値を感じないからだ。
大勢の中の一つであって、
それを選ぶ理由も意味もないからだ。
 
 
つまり、特別なものがあってほしいと願う。
 
 
つまり、それを見つけた自分が無意識に
特別な存在でありたいと願っているから。
 
 
しかし、特別な存在かどうかはやはり
他人からどう見えるか?にかかってる。
 
 
だから、結局はブランドも
自分がどうみられるかどうか?
という自分に矢印が向いている状態となる。
 
 
 
・・・ブランドが大好きな直感タイプの僕
としては身もだえしながら書いている。
 
 
 
プライドはココロ。
 
ブランドはモノ。
 
 
どちらも他者の判断基準に生き、
自分に矢印を向けている状態だ。
 
 
たった一つの矢印だけでは、
やっぱり物事は一面だけでしか
見ることができない。
 
 
それが原因で、世界を自分の都合よりに
歪めて見てしまっているということ。
 
 
 
「じゃあどうしたらいいんですか?」
  
  
「どうすれば世界をありのままに
見ることができるようになるんですか?」
 
 
 
と、自分でも思うので
自問自答することになった。
 
 
 
プライドやブランドの自分矢印とは
反対方向に行きたいということだよね。
 
 
だから、プライドの反対語を調べてみたら
自尊心という言葉が出てきた。
 
 
プライドと自尊心。
 
 
パッと見、同じような意味かと思うけれど、
調べたら結構興味深いことが書かれていた。
 
 
プライド。
英語ではPride
 
プライドは他人との比較。
自分の劣等感に基づくもの。
 
 
対して、自尊心は
英語ではSelf-Esteem
 
自尊心は、自分を尊び、欠点も含めて
ありのままを受け入れること。
 
他者との優劣や上下関係は登場しない。
自信は自尊心に基づくものである。
 
 
自尊心をもっているのならば、
他者に見せびらかしたりする必要はなく、
自分の中に充足を感じていればいい。
 
アドラーの哲人がそう言っていたことを
思い出しました。
 
 
たしかに、自尊心や自信を持っていれば
自分がどうみられるか?
を気にする必要もない。
 
 
欠点も含めて自分を認めてしまえば
欠点を隠す必要もなくなる。
 
欠点への指摘に反論する必要もない。
 
 
その上で、自分がどうしたいのか?
にフォーカスし、行動していけばいい。
 
 
理屈は分かる。
 
 
僕自身、ずっと自信や自己受容について
研究してきたことだから。
 
 
でもなんで、いまだに
そういう状態にいるのだろう?
 
 
「自己受容が足りないんだよ」
 
「もっと自分を許してあげればいいんだよ」
 
 
という人もいると思う。
 
 
そういう言葉は嬉しいし、居心地もいい。
 
 
僕だって変わってきた部分もあるし、
マラソンだって走れるようになった。
 
 
それでも変われていない部分
もあるのも事実。
 
 
 
 
その上で、どうすればいいのか?
 
 
それは、 
自尊心が不十分であることも受け入れる
ことだと気がついた。
 
 
自己受容が完璧でないことも受容する。
 
 
僕は過去にそこを通った人間。
だから自己受容を理解し、
できている側の人間でありたかった。
 
自己受容を知り、まだ知らない人へ
メッセージを送る側でありたかった。
 
もうその時点で上下のつながりを
無意識に持ち出していたわけだ。
 
弱ったなぁ。
なんとも恥ずかしい。
 
 
自尊心が不十分だから、
もっともっと取り組まなきゃ!
 
という状態は、自分の中の欠点に
根ざしていることから始まる。
 
 
だからその理由を原動力に走り続けても
常に自尊心の不十分が背中について回る。
 
 
自尊心が足りないことに恐怖を感じてる。
 
 
常に矢印が
「自分の自尊心が十分かどうか?」
に向いていることになる。
 
 
何だか堂々巡りのような話だけど
そういうことだ。
 
だから、自尊心が不十分な自分にも
OKを出す。
 
そんなことに気がつきました。
 
 
話をまとめると、
プライドとブランドによる盲目の世界から
抜け出すためは、自分向きの矢印を
相手側にも向けること。
 
そのために、自尊心を持つこと。
 
だけど自尊心に完璧を求めず、不十分でも
よいということを受け入れること。
 
まだまだ自尊心が足りない。
もっともっと自己受容しなきゃ。
 
いやいや、もうそんなに自尊心に
執着しなくてもいいでしょ!
 
そんな風に自分へ突っ込むことに
なりました。
 
 
・・・読み直してみても
なんだから劣等感でいっぱいの立場から
書いた記事だなぁ。
 
 
 
まあ、そんな僕も僕の一部なので
公開しておくことにします。
 
 
 
ではでは。
祐也。
 
 
 
 
 

 
「湿度とおせっかいの不思議な関係」
 
湿度

 
おはようございます!
走る自分軸つくり方専門家
井上祐也です!
 
 
今日は温かさについてお伝えします。
 
 
と言うのも、先日、ふと
感ずることがあったからです。
 
 
さてさて。
 
 
 
今はとても寒い時期ですが、
いかがお過ごしでしょうか?
 
 
うちではエアコンの暖房を使っています。
 
設定温度は24度くらいかな。
 
 
それでもじっとしていると
肌寒くも感じることがあります。
 
 
 
一方で。
 
 
同じ温度設定なのに、
何だかあたたかいなと思う時もある。
 
 
それはどんな時か?
 
 
・・・・
 
 
引っ張るほどのことでもない。
 
それは、洗濯物が部屋干ししてある時だ。
 
 
つまり、湿度が高い時ということ。
 
 
部屋の湿度が高い時は
同じ温度でも暖かい。
 
 
なぜ温かいのか?
 
 
人は普段生活している中でも
皮膚から水分が発散されている。
 
運動してしたたるほどの汗をかかなくても、
見えない分の水分が発散される。
 
 
冬は肌が乾燥するのは、乾燥した空気に
皮膚の水分が発散されていくから。
 
大げさに言えば、肌の水分を
奪われていることになる。
 
 
で、水分が奪われる時に
一緒に奪われるものがある。
 
 
それが、気化熱として使われる体温。
 
 
 
だから、乾燥している部屋では
体中の皮膚から水分が奪われる過程で
同じ温度でも肌寒く感じる。
 
 
そういうメカニズムだよね。
 
 
だから、乾燥した部屋の空気に
洗濯物から湿度を吸収してもらえば
人の皮膚から奪う量も減る。
 
 
湿気が僕たちから気化熱を奪うのを
防いでくれるということ。
 
 
だから温かくなるというわけ。
 
 
 
でね。
 
 
今日は別に部屋の乾燥対策の話を
したいわけではなくて。
 
 
このことが、人間関係のあたたかさ
にもつながっているんじゃないか?
 
 
なんてことに気がついたから。
 
 
湿気って、目に見えないもの。
 
 
そして、湿度の高い夏なんか
うっとおしい。
 
しかし反対に、湿度が低い冬は寒々しい。
 
 
僕たちははっきり体でわかっているわけだ。

(見えないものを体感できる超能力
 があるんだから人ってすごいよね。)
 
 
で、そういうのって、
人との関係でも、似てるものがあるよね?
 
 
・・・
 
 
うまい言葉がでてこないけれど、
「おせっかい」とか「世話焼き」とかかな。
 
 
特に親子関係で感じることじゃないかな。
 
 
あなたも子供のころ言われたことない?
 
 
「宿題やったの?」
 
「歯磨きしたの?」
 
「早く寝なさい!」
 
 
聞いたことがない人は
ドラえもんのママのセリフを
聞いてみるといいでしょう。笑
 
 
んで、そういうの聞くと、
 
(せっかくいいところだったのに~)
 
(なんで僕のジャマするんだよ~)
 
(干渉しすぎだよ!)
 
ってイラッと感じたことありませんか?
 
 
ドラクエで次の街へ行くダンジョン攻略中、
セーブできないんだから、
ちょっと待ってよ!
 
何度心の中で叫んだことか。。
 
 
 
うっとおしく感じたことがありました。
 
 
だけど一方で、社会人になり
一人暮らしを始めてから感じたこと。
 
 
誰もいない部屋に帰ってくる。
 
 
ゲームもパソコンもやりたい放題。
 
夜更かししても文句言われない。
 
好きなもの食べて、飲んで、ゴロゴロして。
 
夢に見た自由を満喫したけれど。
 
 
やっぱりちょっと寂しさを感じてしまう。
 
一人で過ごすことが寂しいから、
友達を誘って飲みに行ったりした。
 
 
この寂しさって、なんなのか?
 
 
それは、「無関心」だと思うんだよね。
 
 
愛することの反対語は無関心といわれる。
 
 
誰も干渉しないということの裏側に
誰からも関心をもたれない。
 
 
いても、いなくても同じ。
 
あなたがどうなっても構わない。
 
 
そういう状態となる。
 
 
いわゆる自己重要感を感じられない
状況になる。
 
 
一人になって得られる自由の裏側には
失った欲求があったわけだ。
 
 
その時欲しかったものは何なのか?
 
 
それは、
僕への関心であって、興味であって、
言葉がけだったり、そういうもの。
 
 
つまり、「おせっかい」なんだよね。
 
 
ありすぎてもうっとおしいけれど、
なくても肌寒く感じてしまうもの。
 
 
それがおせっかい。
 
 
おせっかいなんて、ネガティブなイメージ
しかないけれど、人間関係のあたたかさを
感じるには必要なものだったんだって。
 
 
きっと、愛情とおせっかいは同義語で
その頻度やバランスによって
良くも悪くもなる。
 
 
そんなことに気が付きました。
 
 
 
やりすぎはよくないし、
反感を買うこともあると思う。
 
 
けれど、それが人のあたたかさを
感じる要素でもある。
 
 
だから、あなたが「おせっかいだな」
と感じてることに関しても
少しだけ、寛大な見方をしてみても
よいのかもしれませんね。
 
 
そして、他人に対するおせっかいも
焼いてみるのもいいかもしれません。
 
 
快適な距離感でね。
 
 
 
ではでは。
祐也。