建物を建てる時

 

山の南側の斜面で育った木は

建物の 南側で 使用する。

 

山の北側の斜面で育った木は

建物の 北側で 使用する。

 

 

こういった こと を見聞きすると

僕は 腑に落ちる。

 

 

 

 

髪の理論も同じである。

電子顕微鏡では 観察できない事実も

当たり前に存在する。

 

 

 

あるノーベル賞 生理学者が云いました。

 

解剖学は、死体の科学である。

とはいえ

生きたまま

活動したままの命を

切り刻んで 学びとすることはできない。

 

生理学は

生きた人間を

外から観察した学問である。

 

 

生理と解剖もまた 陰陽であり

 

生理と解剖はまた に手につかぬものである。

 

 

 

 

 

科学がなんぼのもんじゃい。

 

 

 

髪や肌

 

大切なのは??

 

 

 

科学ではない部分かもしれない。

 

 

 

そんな 事実 だけを

商品にしている。

 

 

 

 

科学で

説明できなくても

 

 

腑に落ちることが多いかどうか??

 

 

 

 

それは

 

西洋哲学ではなく

 

東洋哲学の中にあった。

 

 

 

 

聞きなじみのいい話を

例にあげよう。

 

人の身体は

食べた物から出来ている。

人の体質は

食べたものの質となる。

 

人の心は

人から言われた言葉で出来る。

どんな言葉をなげかけられて

育ったか??で

心での想い癖

頭での考え癖が

出来あがる。

 

 

未来はどうか??

それは その口からでる言葉で

出来上がる。

 

 

 

 

腑に落ちる。

 

 

頭や心で意味不明でも

 

 

腸にはわかることがある。

 

 

 

人の身体はポーラス体

 

口から肛門までも空洞である。

 

肌と粘膜も一枚肌である。

 

 

お腹の調子が肌の調子

 

 

 

腑に落ちる。

 

 

 

逆説しよう。

髪や肌をいじめると

病気になるよ