私達の心って面白いもので
自分の捉え方次第で現実への反応が変わる。
もし、心に痛みを抱えたままだと
現実を冷静に受け止められないんだ。
わかりやすく言うと
繰り返す、家族=パートナーや子供への怒りは
愛されなかった記憶の痛みが暴れてるってこと。
この間こんな記事を書いたけれど
感情は芋づる式に暴れてくる
この気付きの後、母との心の膿は出し切ったので、ずいぶんと楽になったのだけど
些細なことで彼にカチンときては感情大暴れ。ってのが定期的にあって
だいたい、怒りになって現れた。
(ほんまごめんな、彼)
でもね
怒りの下には必ず悲しみがあり
それの多くは
愛されなかった記憶の痛みなの。
ただ、痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて、感じたくないものは、強い鎧みたいなもので覆って触らないようにしていたりする。
=終わった過去のことだしぃーみたいな?(笑)
でも、終わってないんだわ。
痛むうちは。
心が一個楽になると、どんどん、これも痛いよ!これも痛いよ!見つけて!とインナーチャイルド、つまり痛みは叫んでくるわけで
私はそこに向き合ってみることにしました。
(だって、好きな人に怒りを持つのはしんどいから。)
愛されなかった記憶の痛みをお手当て
愛されなかった記憶の痛み、とくにパートナーシップでの怒りや悲しみの根っこは、
幼少期の親との関係、もしくは
思春期の恋愛での傷!
私はこのケアがなかなか手付かずだったから
ここを一気に責めましたwww
高校時代好きだったIくん
仲良くしてたのに、付き合える!ってことにはオッケーが出なくて、最後は進学でフェードアウト。十分悲しさを感じてたけれど、ちゃんと大好きだったーって泣いて終わらせました。
次に出てきたのは、何故か小学校時代のMくんの映像。
最初は、え?この子は関係ないだろ
私の脳はなんの処理を訴えてくるんや!ってなってたけど、ちゃんと辿りついていて。
この子、小学校のとき毎日遊んでた幼馴染みたいな存在なのね。うちには当時ゲームが貰い物であったから、M君はそれを目当てに遊びに来ていて。
でもあるとき父がゲームを勝手に捨ててしまい
M君は、それを機にだんだん遊びに来なくなり
それと同時に思春期にさしあたり中学生からは全く無視されるようになっていて。
なんや仲良しだったと思ったのに
ゲーム目当てかよ!って
忘れていたけど、めちゃくちゃ悲しかったみたい。
好きだったなんて認めたくなかったし
思春期だったから、泣くのも嫌で、ギュ~とニキビを潰して、根っこは治さない!みたいにして放置してたんやな。
30年後、ちゃんと暴れましたよwww
私彼に、よくお金目当てなん?とか
働けない彼に突っかかてたんです。
でも、それは過去の悲しかった記憶の痛みから
あなたはあのときのM君みたいに
ゲーム(のかわりにお金とか、美貌とか?)私に利用価値がなくなったら、居なくなって無視するんやろ!!ムカつく!
と、勝手に暴走して怒り狂ってたわけです。
自分でもこんなに泣く?ってくらい泣けたので、あーこんな悲しかったんだってびっくりで。