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~なんだか、不思議。
.
さて、ひさしぶりに「あいうえおエッセイ」。
【ち】
この3日ばかり、明日の勉強会のために
今の物理学をネットなどでざっと読んでみた。
イメージできないのは、ネットの動画を見た。
11次元とか膜宇宙とか言われると、
動画の絵を見ても、なかなかイメージしずらい。
それにしても、物理学者たちはよくもこんなめんどくさいことを
考えたものだと思う。
答えがでないようなことに一生を費やし、
ついに答えを得ないまま亡くなった人もたくさんいるだろう。
3次元に通用する古い物理学は、目に見えるからわかりやすい。
でも宇宙とか10の-35乗のミクロの世界とか、目に見えない。
太陽や月、星が見えるくらいだ。
最新物理学はまだ確定されていないこともあるし、
ひっくり返ることもある。
確定されたとしても、そういう五感でとらえられないものは、
自分が頭の中でイメージしたものと
どう違いがあるのだろうと思う。
五感でとらえられないものは
真実あると言われても、自分にとってはないのと同じで、
自分の頭の中でイメージしたもののほうが
自分にとってはリアルである。
マクロの世界を見ても
ミクロの世界を見ても
ものごとは壮大で、
人はなんてちっぽけなんだろうと思う。
そのちっぽけな人間が、
目にみえないものを、
まだ実験もできないものを、
「数式」から解き明かして
いこうというのだから、
人というのはちっぽけでありながら、
けっこうすごいのだな、と思う。
で、
人という人種はすごいものだとして、
「自分という個人」はさらにちっぽけなものだ。
ちっぽけなのだけれど、
自分でも自分が把握しきれないものがある。
作家の平野敬一郎さんは、「分人」という概念を提唱しているけれど、
~ある場、人によって自分を使い分けることを薦めている。
人はほんとに多彩で自分も多彩だ。
たとえば私は、
歩きながらひまだなと思うと、関連がありそうな人に
平気で話しかけてしまう人なつっこさがあるのだけれど、
時に、
見知った優しい人たちの中で、
なにか話しかけられないような気分になることもある。
どちらも自分で、
いつどういう気分になるのか、自分でも把握できない。
宇宙も10の-35乗の世界もよくわからないけれど
自分のこともよくわからないのだ。
よくわからないけれど
自分特有の意思のようなものがあって、
それが「自分」を形づくっていくような気がする。
とにかく、不思議だ。
へんなエッセイになってしまった。
ではまたね。