朝の八ヶ岳

-8℃だけど

空がキレイ



もやもやとぐるぐる


帰省からの気づきは

ある意味

過去の自分を拾い上げ

そして

まっすぐに見て

不快を取り除くチャンスの種だ




人と比べる

(比較する)

ジャッジする


これは

以前の私の標準装備で

世の中を渡って行く為の

手段でもあった


自分を守る為に必要な装備。



けど

その根源が

頭の中の否定的な声(エゴキンマン)

だと知り

コツコツその声を

瞑想などで小さくしていった



そんなおり

帰省の為

実家に帰ると


いつも自動的に発動する

ジャッジをせずに居られる自分に気づいて

「安心」を

実感していたんだよね



これは

自分の頭の中が

これは良いけど

これはダメ

あれはダメ



など


自分へのジャッジの言葉ばかりが

飛び交っていて

その視点のまま

世の中を見てるから


自分自身にも

世の中にも

裁く視点になってた


その頭の中の戦争が終わって

軽くなり

そんな風に感じられる自分で嬉しい!

と思ったの




帰省から戻り

気づきがとめどなく溢れてくる中で




何故か



人と比べる

が出てきて

もやもやぐるぐるして

気分が悪くなってる自分に気づいた


あの人のほうがすごい

あの人のほうが経験がある

あの人のほうが好かれてる

あの人のほうが才能がある



どう考えても

これはエゴキンマンの仕業だけど


これ、どこから

そのスイッチが入ったんだろ?

絶対どこかに

引き金はあったはずだ


人を見ないで

その起こったパターンのみを

よくよく見て行く





よくよく見てみると

引き金は親戚



いや

正解に言うなら

小さな頃の時の記憶と感情



私は一人っ子だったけど

近くに親戚がいた為

歳の近いもの同士

姉妹、兄妹のように遊んだり

家を行き来していた



私が一番年下

年が離れているから

みんなで鬼ごっこしても

みそっかすの状態で遊んでた




そんな中

おばさんが何度も言うセリフが

未だに残っている



「うちの娘はすごい

うちの娘は優秀」




小さい頃の私は

そのセリフを

何故か

こう変換したのだ


「うちの娘はすごいけど

あなた(私)はすごくない」


「うちの娘は優秀だけど

あなた(私)は優秀じゃない」


この間違った捉え方を

ここでセットして


比べたりジャッジしたり

するようになっていったのだ!


あの人と私を比べて

あの人は良いけど

私はダメ




首をがっくり落として

悲しくて寂しい気持ちが

そこに

シーンと置いてあるのを見つけた






やばー


ここに発生源があったとは



ってか

今回だから

気づけたのかもしれない


ようやく

あの小さい頃の私の気持ちに

寄り添うことができた




私よりももっとすごい人がいるから

私はその人を超えられない

とゆう思い込み


これは数秘術の

考えクセ「2」を持っている私だから

なおさらかもしれない




勝手に高い高い壁に感じて

自分には力がないと

思い込んでいたけど


何も

そのすごい人から

データをもらえば良いじゃんね?









あの人のほうがすごい

あの人のほうが経験がある

あの人のほうが好かれてる

あの人のほうが才能がある




だから



私も

すごいって言われたい

今回本音が出たことで

(ここを直視した)



私が私をすごいね!と

応援してあげること

(だいたい

よその人がすごいと思う時は

自分が自分に応援してもらいたい時)



そして


もっと自分とも

みんなとも調和して生きていきたいと思う


これが望みだ







Webショップ らぶあーす

 




インスタグラム

 




YouTube