鹿児島県大隅半島の北西部,
曽於市大隅町は,
巨人伝説の「弥五郎どん」で知られます。
KEYも、ちょっと気になってました。
というのも、この間 TVでやってました。(笑)
なんでも、気になる悪いクセです。
道の駅 おおすみ弥五郎伝説の里 がある
町の中心地の小高い丘には,
身の丈15メートル,
腰の大刀9メートルという,
巨人像が東を向いて建っています。
遠くに巨大像が見えてきました。(笑)
で・でかぁぁぁ・・・
り・・立派です。
かなり、きてます(笑)
さてさて、
弥五郎どんとは,いったい何者なんでしょうか。
気になります。
いくつかの説があり,古くは熊襲の時代に遡る。
★大隅隼人の酋長説
最後まで大和朝廷に服従しなかった
大隅隼人酋長の大人弥五郎のことである。
★熊襲タケル説
日本武尊の熊襲征討を迎え撃った熊襲タケルのことである。
★武内宿弥説
武内宿弥という人は,天皇六代に仕えた長寿者で,
現在,弥五郎どんを祭ってある
大隅町岩川八幡神社の祭神の一人で
海幸彦・山幸彦兄弟の親戚筋に当たる人らしいが,
景行天皇から仁徳天皇まで六代というと
300歳になるなど実像ははっきりしない。
★鎮西八郎為朝に討たれた熊襲の末裔説
明治の初めに発行された「鹿児島神社誌」に
鎮西八郎為朝が熊襲の大人弥五郎を追討にきて,
その戦いぶりが記載されているという。
★720年の隼人反乱の首領説
中央政府の圧迫に隼人族はたびたび
反乱を起こしているが,
このときの隼人の首領が
大人弥五郎ではないかという。
その土地その土地の伝説って、
歴史も絡まって、本当に面白いねぇぇぇ・・・
でも真実はひとつ。
でも、解き明かせないんだろうなぁ(笑)