慶応元年(1865)夏頃、薩摩藩や長崎商人・小曽根家の援助を受け、
日本最初の商社(カンパニー)といわれる「亀山社中」を結成しました。
この団体は、龍馬らが最初に拠点を構えた地「亀山」と、
仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう呼ばれました。
亀山社中の最大の業績は、
慶応2年(1866)に、長州藩のために薩摩藩名義で
大量の小銃や蒸気船ユニオン号の購入・運搬に成功したことです。
そのことが、慶応2年(1866)1月の薩長盟約締結へとつながり、
新しい時代をひらくための足がかりとなったのです。
亀山社中跡 には、
龍馬が使っていた銃(模造)
ブーツや
着物
などが、展示してありました。
部屋も、当然ながら民家のようで、
狭く、ただ、この庭からの景色を龍馬達もみていたんあろうか?
と思うと、感慨深いものがあります。
行儀のあまりいいとは言えない、
龍馬は、
柱にいつももたれかかっており、
どこの場所に、いたんだろうか???
ちなみに、この建物は、
戦争では、燃えてなく
土台などは当時のままのものを使用して、
復元された と言われてました。
龍馬さん 高知に続き、
会いにきました。