藤原ヒロシという人
マニアックな読書家でレコード愛好家で音楽家。
好きなモノだけにこだわって日々生活する革命児、それが藤原ヒロシという人。
音楽プロデューサーにしてアーティスト、そして裏原宿系ファッションのカリスマとしても知られる。
専門学校進学のため上京したものの、3週間で退学。
夜な夜なディスコに出没していた彼は、ツバキハウスという伝説になってるディスコで催されていた『ロンドン・ナイト』のファッション・コンテストで優勝。
副賞としてロンドン行きのチケットを獲得、本場のクラブ・シーンを目の当たりにすることになる。
またその後に渡ったN.Y.では、本場のヒップホップも体験。
そして帰国後、現在のクラブ文化の先駆けとして本場仕込みのDJプレイを繰り広げた。
84年に『スネークマン・ショウ』(ボックス・セット)のボーナス7インチにDJとして参加、それが日本初のメガ・ミックス・レコードになる。
86年には、いとうせいこうのアルバム用ラップ・ユニット、いとうせいこう&TINNIE PUNKS(藤原ヒロシ&高木完)を結成。
ちなみに、当時この3人が生み出した、アディダス・ジャージ+ボンデッジ・パンツ+カンゴール・ハット+ヒモなしのアディダス・スーパースターという、ヒップホップとパンクをミックスしたファッションは画期的だった。。。
その後、藤原ヒロシ自身も創設者のひとりとなった日本初のクラブ・サウンド・レーベル<メジャー・ホース>より「LAST ORGY」を発表。
以降も同レーベルより自身名義&その他で作品リリースを重ねていった。
90年代に入るといとうせいこうとのユニット・SUBLIMINAL CALMやTOKYO NO.1 SOUL SETの川辺ヒロシとのユニット・HIROSHI II HIROSHI、宮崎泉(DUB MASTER X)とのユニット・LuvMasterXなどでの活動と並行して、小泉今日子、藤井フミヤ、UAなどのプロデュースも展開、音楽プロデューサーとして活躍していった。
そして94年には、満を持しての初ソロ・アルバム『NOTHING MUCH BETTER TO DO』をロンドンでレコーディング。メロウでアコースティックなサウンドに、ネナ・チェリー、テリー・ホール、キャッシー・スレッジら錚々たる名シンガーたちをフィーチャーしたその処女作は、ヒロシが歩んできた足跡からは意外ともいえるほどジェントルな魅力に溢れるスタンダード・チューン。。。
その後も彼独自のペースでアルバムをリリース。。。
最近ではエリック・クラプトンとのコラボレーションが新しい。。。おそらくスマップにクラプトンが楽曲提供した際に藤原ヒロシが橋渡し役になってたことは間違いないだろう。。。
なんでまた藤原ヒロシかって???
こないだ買った12インチがね~、けっこう良くてね~。。。
steph pocketsのニューアルバムから『my crew deep』の12インチ・リミックス。。。
試聴はコチラ↓
http://www.zooooo.jp/?pid=1337731
steph pocketsはね、実は父ちゃんがあのボブ・マーリーなんですね。。
ボブ・マーリーの娘なんだから悪いわけがない!
steph pocketsのHPはコチラ↓
http://www.handcuts.com/steph/
そんなボブ娘と藤原ヒロシが手を組んだんだけど、なかなかイイですね!
すんごくメロウで美しい曲。。。まぁ、藤原ヒロシっぽい曲。。。泣かせる曲。。。
今後も藤原ヒロシの活躍は期待してる。。
目が離せない!