いつも・BLOGを読んでくれてありがとぉございます

こんにちはぁ

今日は室内に居ると・太陽がポカポカして気持ち良いデス

寝てしまいそぉ・・・

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えぇ~・・・
珍しく季節ネタのBLOGを書いてみようと思います


それこそ・どうかした訳でわありません

今日は 1月15日「小正月」デス

昨日のBLOGにも書きましたが・・・
「小正月」と「どんと焼き」と「新月」について追ってみたいと思います

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当店でもお正月に飾らせて頂いた「お飾り」を
地元の歴史ある大井神社




http://www.ooijinjya.org/index.html
(HP内の「巫女さんBLOG」というのが非常に気になる






島田の【Blues' Man】と言えば・知らない人がいない位のBlues'マニア

が


その本業と言えば・・・
何と



ここら近在のお祭り用ちょうちん~お飾りまでの
一切を担う「ちょうちん屋の老舗」




http://www.at-s.com/bin/yell/yell0020.asp?id=F788211506

「ちょうちんのオーダーお待ちしてまぁ~す

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さて・・・。
そもそも「小正月」とは何でしょぉ



無知なワタシの つおぉ~い味方

「ウィキペディア」にて検索

小正月(こしょうがつ)とは

中国式の太陰太陽暦が導入される以前、望の日(満月の日)を月初としていたことの名残りと考えられている。
なお、この小正月までが本来の松の内<正月の事>であり、関西や近畿地方では現在でも1月15日の小正月までが「松の内」である。



15日の朝には小豆粥を食べる習慣があった。
古くは『土佐日記』や『枕草子』などにも、小正月に小豆粥を食べたことが記されている。現在でも東北地方の農村などに、左義長<どんと焼きの事>の前に小豆粥を食べる習慣が残っている地域がある。これらの地域では、元日から小正月の期間中に小豆(あるいは、獣肉を含む赤い色をした食品全般)を食することが禁忌とされている場合が多い。


年神や祖霊を迎える行事の多い大正月に対し、小正月は豊作祈願などの農業に関連した行事や家庭的な行事が中心となる。本来は人日まで竈を休ませるはずの松の内に、忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、女正月という地方もある。
(大いにねぎらってもらおうじゃないの


かつて元服の儀を小正月に行っていたということから、1月15日は成人の日という国民の祝日となった。しかし、その名前から小正月との関連がわかりづらく、かつ、小正月自体がなじみが薄いものとなったこともあり、2000年から成人の日は1月第2月曜日に変更されている。
じゃぁ。
何で15日に「どんと焼き」でお正月のお飾りを燃やすの



「どんと焼き」とは

とんどを爆竹と当てて記述する文献もある。
これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろう。
<どんと焼きの事を「左義長」とも言うんだよぉ

何が由来しての火祭りなんだろ



1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を三四本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。
その火で焼いた餅を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。
また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。
道祖神の祭りとされる地域が多い。

民俗学的な見地からは、
門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。



『弁内侍日記』建長3年正月16日、『徒然草』にみえるから、鎌倉時代にはおこなわれていたらしい。
起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。
小正月(正月十五日)、平安時代の宮中で、
清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり、その年の吉凶などを占ったとされる。
すなわち、山科家などから進献された葉竹を束ねたものを清涼殿東庭にたて、そのうえに扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付け、陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。
『故実拾要』によれば、まず烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒2人が笹の枝に白紙を切り下げたのを持ち、立ち向かって囃をし、ついで鬼の面をかぶった童子1人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、ついで面をかぶり赤い頭をかぶった童子2人が大鼓を持って舞い、ついで金の立烏帽子に大口を着て小さい鞨鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。
毬杖(ぎっちょう)三本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。
これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。どうして現在一般的な「左義長」という字があてられたのは、不明である。
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今頃・・・。
大井神社の空の下、ミンナのご多幸・長寿・ご発展を願ってお正月のお飾りが天高く、
萌えて・・・



長々と・お付き合い・ありがとぉございました

ビグブル*弥生