Roots of TWO-J #14 "パンスト"
"快心の一撃" 的な初ライブをすることができた後、
自分のラップが想像以上にウケがよかった事を自分なりに実感していた。
当然、酷評もあったに決まってるけど、
自分に届く声はリアルな賛賞の方が多かった。
届く声はね。それだけでも十分ありがたい話だ。
こうなると俄然やる気が前へ前へと進むもので、
次なる動きに取り掛かった。
この曲たちを、レコーディングしてデモテープを作りたかった。
といってもまだ"ド"のつく様な素人だし、レコーディングスタジオを使う様なレベルや知識もない。
といってもこの2001年頃であれば、容易にデジタルレコーディングを行えるプロスタジオなど各地にいくらでも存在していたのだが。
けど、自分の地元には無いし、プロじゃ無いし。
今でこそ極端に言えば、パソコンひとつでレコーディングなど完結出来てしまう時代だが。
当時自分の友人に少し年下のDJ がいた。
彼は地元で昔からDJを真剣にやってたやつで、スキル面やHIPHOPの話などの面でも高度なレベルで対話できた数少ない友人だった。
この男は後の未来に New Trick Battle 2014,2015,そしてSJCの初代といった、
スクラッチの日本一を選出するDJ大会で 3つチャンピオンに輝くことになる男。
後のDJ TOYODA-STYLEだ。
(以下豊田と呼ばせてもらう。)
当時、豊田に相談した、
"レコーディングしたいんだけど、出来る?”
豊田 " う〜ん、一応出来ますよ。僕もラップは録った事ないけど、やってみましょう"
そして豊田の家でレコーディングする事になる。
当時豊田はMTRという機材を使い、自分のDJ MIX等を録音してデータ化していた。
MTR
今、MTRを使ってる人はほぼいないに等しいとは思うが、当時のDJやビートメイカーが録音を行うための必需品だったのがこれだ。
これを使えば、ミステイクを何回でも取り直せるのは勿論、録音したもの
の上からさらに他の録音を重ねて収録も出来るし、一度録った素材を使って切り貼りもでき、録音素材にいろいろなエフェクト効果をつける等の作業もこれ一台で完結出来た。
まあ、今となればそれが当たり前かつ数秒でできてしまうのがPCにおける制作環境だが。w
さて、ここから豊田とのレコーデイングが始まるわけだけど、取り敢えずマイクに向かい歌うわけだけど、ここからが面白い。
レコーディングの風景として、マイクの前に歌い手が立ち、ボーカルを録音するわけだが、その時に、マイクとボーカルの口の間にメッシュ状の丸いものがあるのを見た事がないだろうか?(写真1)
これは、ポップガードと呼ばれるアイテムで、用途としては、声をレコーディングする時に、言葉の破裂音(バッとかブッとか)で生じる(ポップノイズ)風というか空気音を録音しないために取り付けるもの。
といっても声など基本録音する事のない豊田の家にいきなりこれがあるわけもない。
けど、こだわりばかり先行型の俺には、このポップガードは今回レコーディングするにおいて絶対必要なアイテムなわけで。
こんな言葉がある。
"無い物は作れば良い"
このポップガード、メッシュ部分がきめ細かな布製で出来ている。(金属製もあるが)
フレームは鉄とかプラスチックで、長いアーム部分は曲がって可動する言わば太い針金だ。
"作っちゃおうよ"
豊田 "どうやって作ります?”
"ハンガーとストッキング無い?”
我ながらナイスアイデアだ。
豊田 "いやハンガーはありますけど、ストッキングも、まあ、あるといえば、あると思いますけど"
そして早速、細い鉄製のハンガーを加工して(といっても切っただけだが)
ポップガードのフレームが完成、それにストッキングを被せてお手製ポップガードが完成した。
ここで一番気になるのは ストッキングの入手元である。
ストッキングなんて男の俺が持ってるわけないし、(持ってたとしたら中々の変態だ)
大体あれは、人に被せて引っ張って遊ぶものというのが定番のアイテムなんだから,
そんな事を普段からする為に持ち歩いてる奴もいない。
思い出しながら書いてるけど、どうしても自分がそのためにストッキングをコンビニへ買いに行った記憶が無い。
いや、確か豊田ん家で入手した気が、、、
真相は豊田に確かめて本編で明らかになるとして。
いや、豊田のお母さんか、姉ちゃんのを勝手に、、、、、、やめよう。
そんなわけで無事オリジナルポップガードも装着されて、
レコーディングを行った。
豊田は機材の扱いに慣れていて、すぐに工程を理解して、さらにアイデアもくれて、
どんどんレコーディングが進んだ。
一度録ったメインボーカルの上に重ねてダブルを録音して行く、勿論声の厚みを増すためのものでもあるが、部分的に施す事によって、単語にインパクトが加わる。
これをプレイバックして聞いたときにとても感動したのを覚えている。
その日のうちに5曲ほど一気に録った。
そのデータを後に例の服屋オーナーの先輩がCD-Rにコピーして、ジャケットもデザインしてくれて、数量限定でデモテープ(CD)が完成した。
当時の素人製作版だからクオリティは知れてるが、自分たちとしては満足いくデモテープだった。今この音源は自分の手元には無いが、もしかしたら、地元の誰かが持っててくれてると思う。一度探してみよう。聞くのは怖いが。。
で、このCDはあっという間に広まって、ここから何かが切り替わった。
ものすごく沢山ライブをしたし、周りに人が集まって来はじめたのもこの頃だ。
怖いくらい早いスピードで、自分の活動が加速して行った。2001年だ。