Roots of TWO-J #11 "爆弾"
この当時の自分にとって日本におけるWEST COASTスタイルの先駆けだったのは
名古屋のDJ MOTO氏率いる W.C.C. (West Coast Connection)や、
横浜のDS455。 後にこのDS455からも自分にとって革命的な恩恵を授かる事になる。
もっと遡ればその上の先駆者たちも勿論存在するが、まずここが自分にとって外せない始まりだった。
同県の俺は勿論、真っ先に名古屋のHIPHOPシーンを追いかけた。
当時からMOTO氏は "S.C.F"という言葉を提唱していた。
Sound(音楽),Car (車), Fassion,(服装) でS.C.Fだ。
カッコいい曲、カッコいい車、カッコいいファッション、
この3つが整ってこそ、理想の本物に近いライフスタイルなのだ。
言わば極みだね。
この理想型が出来上がってる人が名古屋には多くいた。
多くといっても当時の俺レベルからみた多くであって、
厳密にはそりゃ少ないが。その存在感のかっこよさは、
やはりガキでは真似できない様な領域だった。
WESTスタイルだけでは無く、当時の名古屋のHIPHOPは強烈に濃厚で、
DJ刃頭 氏とTOKONA-XのILLMARIACHIはもっと前から活躍していたし、
M.O.S.A.D.にしたってそう。他にも様々居て、レベルの高いアーティストが多くて、他とは明らかに一線を画していた。これが現代でも語り継がれる "052 HIPHOP"だ。
この時代に自分はその "特別" なフィールドに足を踏み入れて行った事になる。
そんな中でも俺は、"GANG STORIES"というイベントに良く通っていた。
W.C.C.のDJ陣による選曲は特に濃密でいつも圧倒されたし、魅了された。
知らない曲を勉強できる場でもあった。
いかに彼等が "真剣に" 音楽や文化を探求してたのかは
現場での"それ"をみれば一目瞭然だった。
PHOBIA OF THUGのLIVEを初めて観たのもその頃だったかもしれない。
当時 PHOBIAの "Click Da Trigger" を聴いてくらったのは俺だけなわけがない。
PHOBIAのLIVEを観ては刺激をもらい、熱狂的になった。
ここで #10での服屋の話に戻るが、当時全国的にストリートスタイルのドメスティックブランドに人気が集中した時代でもあった。
ひとつ年上の仲間がやってたドメスティックブランドも勢いをつけて全国的にもかなり売れてた頃だった。彼はハードコアも好きでヒップホップも好きで、音楽にしろ、ファッションにしろ、ストリート文化がすごく好きな人だった。
ある日彼が、地元で当時では規模が大きめのイベントを計画してて、
そこにPHOBIAやM.O.S.A.Dや、ハードコアバンドのCALUSARI 等、他にもゲストを迎えたラインナップで開催する事になった。
"すげーじゃん、めっちゃいいじゃん!"
とテンションが上がってた俺に彼は、
”いや、お前も出るよ"
と言い放ってきた。
"は?" と聞き返した俺に、
"いや、だからお前も出るんだって。"
"どういう意味??"
"地元でやるのに地元のラッパーがおらんじゃん、だもんでフライヤーに載せる名前決めとけよ。"
ちょっと待て。
"ラップで出ろって事?ラップやれって事?"
"うん、だで、名前決めといて。もう時間ないで。"
"はぁっ!?"
これが、
ラップする俺、後に言うTWO-Jが生まれる事になったあっけない"瞬間"だった。
当然、ラップなど一度もやったことなど無かった。