Roots of TWO-J #10 "スタートライン"
というわけで、ある意味また、本来の自分の居場所に逆戻りした。
が、自分でやるなんて言ったものの、何をやっていいのかすら解らない。
また坊主頭にして髭を伸ばすのだけはすぐに出来たが。
元々バイトさせて貰ってた服屋の先輩オーナーには相談に行かなかった。
でも、なんかやろうと思って、仲間たちに前職を辞めた事と、これからこうしようと思うみたいな話はしていた。
"実はLA行って服買い付けて店とかやりたいんだ"。
なんて話してる中、ある先輩が、
"実は俺も服屋始める。"
と。。
まただ。また先輩だ。
マジか。しかも同じテイストだし。
その先輩の計画はもうとっくに動いてて、
俺は財力的にも経験的にも太刀打ち出来る状態では無かった。
"うわ、、遅かったか。"
自分の計画が一瞬で閉ざされた様な感覚だった。
けどその先輩は、
"その店お前に店長任せようと思ってるんだけど、どう? やってくれない?"
と予想外の言葉をくれた。
マジで予想外だった。
正直、ある意味勘ぐった。
(これはちょっとした特有の症状だと思ってもらえれば。。)
よーく考えたし、スゲー迷ったけど、
すぐにでも何かしたかった俺は
それを引き受けさせて貰う事にした。
この辺から微かに思うけど、昔から不思議と俺は、
言わば人の "縁" みたいなものに助けられてる気がする。
いや、そうでもないか?
勘違いな部分も多いかもしれないが。
いや、結果助けられてる。
"縁" にはやっぱり助けられてる。
店がスタートしたのは2000年だったか、2001年だったか、その辺りだ。
(何度も言う事になるが、俺の当時の時系列の記憶はご存知の通り曖昧すぎる。この辺は本編ではしっかりリサーチしなければ。)
90年代半ばからのWEST COASTにおけるHIIPHOP、特にギャングスタラップがものすごい勢いで世界的に広まってた時代。 (#3)で"木こり"が放った言葉などどこにも無い時代が来ていた。
店では、LAインポートウエアは勿論、ミックステープやジュエリーまで販売してた。
ブラックスタイル、チカーノスタイルまで混同してロサンゼルスのスタイルを扱っていた。
勿論CDは流通してる時代だけど、
ミックステープに関してはその名の通りカセットテープだった。
DJ PMXのLOCOHAMA CRUISING 001を始め、DJ MOTO率いるWCCのDJ陣のミックステープまでガッチリ取り揃えてた。
この時期にもなれば、全国各地にしっかりとした先駆者たちによる、WEST COASTスタイルのショップが既に存在していた。それでもまだ少ない方だったと思う。
(後にわんさか増えるけど。)
今思ったけど、俺この時、もうラップやってたっけ?
やってた時期も店にいた記憶があるし、やってなかったけど店は始まってた記憶もあるし。
まあ、最初やってなくて、やったんだろうな。いや、逆か?まあ、いい。 (症状)
とにかくこの頃は目まぐるしく進んだから。
でも何でRAP始める事になったかは、しっかり覚えてる。
次は遂にその話に移ろう。