今日はアメリカに留学していた時の旧友に会った。彼は韓国系アメリカ人で、プサンから船で日本に渡ってきて今日が最後の滞在日ということだった。見事に前学期の授業(地域開発G)の飲み会とかぶってしまい、関係者の皆さん、顔出せなくて残念。

4年もたてば人は変わるもの。旧友はかなりガタイがよくなり、悪ガキっ気が消えてすっかり青年となっていた。自分でビジネスを起こす傍ら、日本にプラ~っと遊びに来る、何とも頼もしいやつだ。旅先としては日本が23カ国目だと言うが、今までで一番「言語の壁」を感じたそうな。。。政府もYOKOSO! JAPANとかキャンペーンしているものの、海外の観光客を増やす努力はまだまだできるような気がした。まぁ壁はあっても日本文化に対してはすっかり虜になったようで、住みたいとさんざん言っていた。やっぱり「日本ブランド」は健在なんだね。我々はそれを誇りと思うべきや!?

とにかく今日は徹夜明け(久々に本当に一睡もしなかった)に加え、6限(20時終了)にゼミの発表を終えてチャリを必死でこいで湘南台にとんぼ返りし、汗だくの中駅まで走って新宿に向かい、旧友と一時間半ほど喋って終電で帰ってくるというスケジュールだった。疲れたが、研究室にあったリポDのおかげ(誰かの私物だったものを間違えて飲んでしまった!ちなみに自分が持っていったのはリッチミンD)か、充実感いっぱいで布団に入れることを幸せに思う。

すべてうまくことが運んだかと言うと、必ずしもそういうわけではありませんでした。

というのも自分がバカなだけですが、なんと


帰りの飛行機に乗り遅れました。



宿舎から電車で小一時間ほど離れた空港を9:45に出る便でしたが、前の日に飲んだウォッカが祟ったのか、起きたのは8:45。
8分で支度して飛び出すも、タクシーは7分待ち。
空港までの道は道路工事が多く、着いたのは9:30。
カウンターに駆け込んだが、"You're too late."という空港員の冷たい一言。
仕方なく航空会社のカウンターに行き、次の便=翌日の便を予約・・・。

高い延滞費であったが、おかげで一日余分に観光することができました。その日訪ねたのは、ベルリン郊外にあるユダヤ人強制収容所。写真とかがあまりに惨いので、途中で思わず吐きそうになりながらも、過ちの歴史を受け止める姿勢が十分に伝わってきました。

もう寝過ごすことはできないため、この日は空港で一泊しました。ちょっと寒かったですが、手もたれのない椅子が多く、マドリッドの空港よりは休めました。

ちなみに、帰ってきた日は時差ぼけのためか、14時間まるまる寝ました。
記憶の限りでは、自己最高記録です。

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国際会議とはいえ、もちろん朝から晩まで毎日会議漬けだったわけではありません。様々な楽しいこともありました。

まず夜は毎日どこかで飲んでいました。この点で西洋人には天晴れした部分もあります。飲み明かして、2時間ほどの睡眠で、翌日の会議にはケロッとした顔であらわれます。彼らのこのパワーには正直、圧巻されました。

各国のチームにはドイツ人(運営側)の世話役がつきました。ベルリンにはまだ東西で街並みや雰囲気の違いが存在し、特に旧東ベルリン側は若者にとって"cool"な場所になっていると、知りました。夜飲む場所やクラブも、ほとんどは東側だった気がします。

エンディング・セレモニーでは、来年の開催は日本ということで、自らスピーチする機会を与えられました。ほんの5分足らずでしたが、浴衣に着替えて出て行くとなかなかの好評で、モデルまがいのポーズをとったりしたら、そこそこウケました。皆、JAPAN!とかYOKOHAMA!とか叫んでくれたので、来年も盛り上がる(盛り上げなきゃいけない)こと間違いなしです。

最終日、自分は一日長く滞在したため、ロシア人やイタリア人と観光に出かけました。快晴の中をすがすがしく歩き回り、昼寝をして、会議の後の休みのひとときを共有できたことが、嬉しかったです。ドイツ人の会議運営代表者にプレゼントの焼酎リキュールを渡すことができ、非常に喜んでくれました。

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