イスラエルに来たからには、パレスチナ自治区にも行ってみたかった。
でも、本当に時間がなくて、諦めざるを得なかった。
でもイブラヒムから天の声。
ピースハウスに泊るほかの日本人3人も同じ日にヨルダンに行くから、
タクシーシェアすればいいじゃないかと。
バスだったら午前中に出なくちゃだけど、タクシーなら16時でいいって。
これは行くしかないでしょう、ということで行ってきた。
パレスチナ自治区の町、「ベツレヘム」。
「パレスチナ自治区」というと「ガザ」地区の知名度が高く、
イスラム過激派の自爆テロとか何かと危険な臭いを想像してしまっていた。
そして「パレスチナ」というと「パレスチナ難民」という言葉もセットで思いだすため、
パレスチナ自治区=インドのスラムのような感じなのではないかと勝手なイメージがあった。
壁に覆われた閉鎖的な空間で、人々は殺伐としていて、
ものすごいセキュリティがあって・・・
この目で見てみたい場所だったけど、現実を見ることは相当に疲れてしまう場所なのではないかと。
でもね、全然違った。

人々が憩う広場があって、
人々が行き交うスーク(商店街)があって。
当たり前の生活がそこにはあった。

観光客を見れば「WELCOME」と声をかけ、
他のイスラム国家と変わらない、人懐っこい人たち。
行って良かった。
行かずに行ったら誤解のままだった。
やっぱり、メディアで報道されるのって一部のクローズアップだから、
それを全てだって思ったらダメなんだ。
もちろんこの町はパレスチナ自治区のひとつの町にすぎなくて、
もっと過酷な状況におかれている町もあると思うけれど、
少なくともベツレヘムは普通の町だった。

ただ、嫌でも対立を意識させるのは、「壁」。

帰りのバス停に向かう時、それはあった。

ベルリンのデジャヴかと思った。
「分離の壁」と呼ばれる高い壁にびっしりと取り囲まれている。

私たちの浅はかな知識では「何故?」と思うより他にないのだけど、
何の変哲もない町に、この壁だけが異様な光を放っていた。
ベルリン同様、メッセージ性の高いグラフィックが。



そして、普通の町には似合わない有刺鉄線も。

でもベルリンと違うのは、ここでは「壁」が現在進行形だということ。
壁の持つ意味と意義を考えさせられる。
私たちは行きのバスでは、いつの間にかパレスチナ自治区に入っていたようで、
チェックポイントも何もなく、
「意外と自由に行き来できるのではないか。」と思ってしまったのだけど、
帰りに嫌でも痛感した。
壁の先にはイスラエル側の入国審査があった。

一瞬、「ENTRANCE」に行くべきなのか、「EXIT」なのか分からなかった。
パレスチナから出るのか、イスラエルに入るのか。
なので、他の人が来るのを待って、様子を見ていると、
「ENTRANCE」の方へ歩いていく。
この時、悟った。
あー、この壁はイスラエル主導の壁なのね、と。
「パレスチナから出る」壁ではなく、「イスラエルへ入る」壁なんだ。

私たち外国人はほぼスルーの状態だったけど、
前にいた見た目アラブ人の男性は、パーミッションを見せ、パスポートを見せ、
指紋認証まで行っていた。
イスラエル側の壁は至ってシンプル。
何も書かれていない。

パレスチナ問題、今まではニュースの中の出来事だったけど、
また一歩近づいた。
イブラヒムの家にベルリンの壁の一部が飾ってあった。
ベルリンの壁だって崩壊したんだ。
この壁がなくなるのはいつだろう。
父が東西分裂時代のベルリンを訪れていて、
娘が壁崩壊後のベルリンを訪れている。
時間はかかるかもしれないが、目に見える壁はなくすことだって可能だ。
問題は人の心の中につくられた壁なのかもしれないけど。
平和って何?
どんな状態のこと?
当然のように世界平和を望んでいるけれど、どんな状態を目指すべきなのか、
漠然としていて、自分の中で明確にイメージできていないことに気がついた。
『LOVE and PEACE』
イスラエル滞在中はずっとこのことを考えていたように思う。

まだ答えは書けない。
色々考えた、満月の日。
今度の満月はイスラエルにて。

【プチ情報1】
~USドルがおろせた!~
ベツレヘムで、国際キャッシュカードでUSドルがおろせました。
銀行は、「アラブ銀行」です。
私たちは、ベツレヘム大学の近くにあったATMでおろしました。
エルサレム市内にもUSドルがおろせるATMがあるとかないとか・・・
ちなみにパレスチナ自治区でも流通している通貨はイスラエルと同じ「シュケル」
シュケルもUSドルもヨルダンディナールも引き出せる町。
何だか意外。

パレスチナ銀行を発見し、ここはパレスチナとして機能している場所だということを実感。
【プチ情報2】
~ベツレヘムへの行き方~
私たちは、ダマスカス門近くのバスステーションから、
「21番」のバスに乗って行きました。
1人6.5シェケルです。
終点だと行って降ろされたのは、ベツレヘム大学の近く。
何も情報がなかった
が、中心まで4kmだとタクシーのおっちゃんに言われて、
一緒にバスに乗っていたスペイン人カップルと一緒にタクシーに乗って中心まで行ったら、
タクシーが遠回りをしているだけで、全然歩ける距離でした。
ちなみに124番のバスでも行けるらしいですが、
こちらはセキュリティーゲートの外までしか行かないらしいです。

さぁ、いよいよヨルダン国境越えだ!
ここで事件が…
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でも、本当に時間がなくて、諦めざるを得なかった。
でもイブラヒムから天の声。
ピースハウスに泊るほかの日本人3人も同じ日にヨルダンに行くから、
タクシーシェアすればいいじゃないかと。
バスだったら午前中に出なくちゃだけど、タクシーなら16時でいいって。
これは行くしかないでしょう、ということで行ってきた。
パレスチナ自治区の町、「ベツレヘム」。
「パレスチナ自治区」というと「ガザ」地区の知名度が高く、
イスラム過激派の自爆テロとか何かと危険な臭いを想像してしまっていた。
そして「パレスチナ」というと「パレスチナ難民」という言葉もセットで思いだすため、
パレスチナ自治区=インドのスラムのような感じなのではないかと勝手なイメージがあった。
壁に覆われた閉鎖的な空間で、人々は殺伐としていて、
ものすごいセキュリティがあって・・・
この目で見てみたい場所だったけど、現実を見ることは相当に疲れてしまう場所なのではないかと。
でもね、全然違った。

人々が憩う広場があって、
人々が行き交うスーク(商店街)があって。
当たり前の生活がそこにはあった。

観光客を見れば「WELCOME」と声をかけ、
他のイスラム国家と変わらない、人懐っこい人たち。
行って良かった。
行かずに行ったら誤解のままだった。
やっぱり、メディアで報道されるのって一部のクローズアップだから、
それを全てだって思ったらダメなんだ。
もちろんこの町はパレスチナ自治区のひとつの町にすぎなくて、
もっと過酷な状況におかれている町もあると思うけれど、
少なくともベツレヘムは普通の町だった。

ただ、嫌でも対立を意識させるのは、「壁」。

帰りのバス停に向かう時、それはあった。

ベルリンのデジャヴかと思った。
「分離の壁」と呼ばれる高い壁にびっしりと取り囲まれている。

私たちの浅はかな知識では「何故?」と思うより他にないのだけど、
何の変哲もない町に、この壁だけが異様な光を放っていた。
ベルリン同様、メッセージ性の高いグラフィックが。



そして、普通の町には似合わない有刺鉄線も。

でもベルリンと違うのは、ここでは「壁」が現在進行形だということ。
壁の持つ意味と意義を考えさせられる。
私たちは行きのバスでは、いつの間にかパレスチナ自治区に入っていたようで、
チェックポイントも何もなく、
「意外と自由に行き来できるのではないか。」と思ってしまったのだけど、
帰りに嫌でも痛感した。
壁の先にはイスラエル側の入国審査があった。

一瞬、「ENTRANCE」に行くべきなのか、「EXIT」なのか分からなかった。
パレスチナから出るのか、イスラエルに入るのか。
なので、他の人が来るのを待って、様子を見ていると、
「ENTRANCE」の方へ歩いていく。
この時、悟った。
あー、この壁はイスラエル主導の壁なのね、と。
「パレスチナから出る」壁ではなく、「イスラエルへ入る」壁なんだ。

私たち外国人はほぼスルーの状態だったけど、
前にいた見た目アラブ人の男性は、パーミッションを見せ、パスポートを見せ、
指紋認証まで行っていた。
イスラエル側の壁は至ってシンプル。
何も書かれていない。

パレスチナ問題、今まではニュースの中の出来事だったけど、
また一歩近づいた。
イブラヒムの家にベルリンの壁の一部が飾ってあった。
ベルリンの壁だって崩壊したんだ。
この壁がなくなるのはいつだろう。

娘が壁崩壊後のベルリンを訪れている。
時間はかかるかもしれないが、目に見える壁はなくすことだって可能だ。
問題は人の心の中につくられた壁なのかもしれないけど。
平和って何?
どんな状態のこと?
当然のように世界平和を望んでいるけれど、どんな状態を目指すべきなのか、
漠然としていて、自分の中で明確にイメージできていないことに気がついた。
『LOVE and PEACE』
イスラエル滞在中はずっとこのことを考えていたように思う。

まだ答えは書けない。
色々考えた、満月の日。
今度の満月はイスラエルにて。

【プチ情報1】
~USドルがおろせた!~
ベツレヘムで、国際キャッシュカードでUSドルがおろせました。
銀行は、「アラブ銀行」です。
私たちは、ベツレヘム大学の近くにあったATMでおろしました。
エルサレム市内にもUSドルがおろせるATMがあるとかないとか・・・
ちなみにパレスチナ自治区でも流通している通貨はイスラエルと同じ「シュケル」
シュケルもUSドルもヨルダンディナールも引き出せる町。
何だか意外。

パレスチナ銀行を発見し、ここはパレスチナとして機能している場所だということを実感。
【プチ情報2】
~ベツレヘムへの行き方~
私たちは、ダマスカス門近くのバスステーションから、
「21番」のバスに乗って行きました。
1人6.5シェケルです。
終点だと行って降ろされたのは、ベツレヘム大学の近く。
何も情報がなかった

一緒にバスに乗っていたスペイン人カップルと一緒にタクシーに乗って中心まで行ったら、
タクシーが遠回りをしているだけで、全然歩ける距離でした。
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