続きです。友人のメルマガからです。



妻が末期ガンと知った時、江藤は、魂を抜かれたように茫然と空を見


つめました。


体の弱い江藤氏に比べ、慶子さんは体力に自信があり、水泳で鍛え


てもいました。


結婚生活41年間、大病を患ったことがありません。


先に逝くのは自分、と江藤は信じていたのです。


脳と肺に18ヵ所の病変があり、手術は手遅れ。長くて半年との宣告を


受けます。


「尽くしてくれた時間を返したい」


江藤は、献身的な看病を始めます。


無宗教のはずの江藤が、とげ抜き地蔵に祈りました。


大学での講義を休み、麻痺していない妻の左手を握り締めます。病院


近くのホテルに泊まり込み、少しでも長く、そばにいようとしました。


モルヒネで、昏睡状態になってもなお、水滴がたれる顔をふき、「大丈


夫だよ」と話しかけました。


ガン宣告から8ヵ月後、慶子さんは静かに息を引き取ります。


「家内の死と自分の危機とを描き切りたい」と筆を執った『妻と私』は、


江藤の事実上の遺書といわれます。


「家内の生命が尽きていない限りは、生命の尽きるそのときまで一緒


にいる、決して家内を1人ぼっちにはしない、という明瞭な目標があっ


たのに、家内が逝ってしまったいまとなっては、そんな目標など どこに


もありはしない。

 ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向って


刻一刻と私を追い込んで行くのである」

 (『妻と私』)


やるせない哀感が描かれた手記は、短期間に反響を呼びました。


ですが、悲しみはいやされることなく、激しい雷雨の夜、江藤氏は浴室


で手首を切ります。


「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る6月10日、脳梗塞の発


作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ず


る所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。 平成11年7月21日 


江藤淳」


夜勤のお手伝いさんの通報で、消防署員が駆けつけましたが、意識


はすでにありませんでした。