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平成11年、戦後を代表する文芸評論家、江藤淳氏が、66年の生涯


に自ら終止符を打ちました。


鎌倉の自宅で倒れている江藤淳が発見されたのは、慶子夫人を亡くし


て1年に満たぬ、7月の夜でした。


江藤淳と慶子夫人は、慶応大学の同級生です。

恋に落ち、卒業と同時に結婚しました。

在学中の『夏目漱石論』で、気鋭の評論家として注目されていた江藤


は、本格的な執筆活動を始めます。

歯にきぬ着せぬ辛辣な批評は、政治や現代社会にも及び、石原慎太


郎や大江健三郎らとともに、新世代の旗手と称されるようになります。


執筆に現れた完全主義者ぶりを、批評家・福田和也は、こう記します。


「(江藤淳は)完璧な原稿を編集者に渡すことが誇りだった。原稿には


直した跡もなく、つまり江藤氏は、筆を降ろす時には、脳裏においてす


でに完成した文章の姿ができあがっていたのである。


 講演にしろ、対談にしろ、氏は話し言葉においても、語ったそのまま


活字にして一切直す必要がない、脈絡と修辞で語ることの出来る現在


唯一人の文学者とされている」

 (「江藤淳という人」)


卓越した集中力と妥協なき強さを支えたのが、妻でした。

子供の無い江藤にとって、妻は、ただ1人の家族であり、原稿の締め


切りを把握するなど、秘書役もこなす、パートナーでありました。

4歳で母親を失った江藤の、母でさえあったのでしょう。

夫が執筆中、来客や電話に煩わされぬよう、慶子さんは一切外出せ


ず、待機していたといいます。


「僕は電球も取り替えられないんだ」

冗談半分に江藤は、語っていました。


書斎の机に妻の写真を置き、本ができ上がると感謝の言葉を添え、真


っ先に贈っています。

妻の第一印象を楽しみに、大事に受け止めました。

夕方には、よく2人で散歩に出掛け、「一卵性夫妻」と呼ばれるほど、よ


い仲だったのです。


(つづく)