トランプ米大統領側が出版差し止めを求めていた政権の暴露本「炎と怒り」が5日発売された。トランプ氏の最側近だったバノン前首席戦略官が大統領の親族らを批判したことで話題になり、トランプ氏の反発も後押しし、書店では売り切れが続出している。

 暴露本はジャーナリストのマイケル・ウルフ氏がトランプ氏や側近らのべ200人以上を取材し執筆したという。当初、9日に発売予定だったが、トランプ氏の弁護士が出版社に出版差し止めの通告書を送ったことを受け、逆に前倒して発売された。

 トランプ氏は5日、暴露本を「いんちき新書」と表現し、トランプ氏の親族を批判する発言が記述されたバノン氏を「汚いスティーブ・バノンとして知られる情報漏洩(ろうえい)者」とこき下ろした。


さすがアメリカ。 いい意味でも悪い意味でもアメリカ。 日本やロシア、中国では出すことの出来ない本。


2018年1月5日、中国メディア・新浪に中国のネットユーザーが選んだ「絶対に行きたくない6つの国」について紹介する記事が掲載された。

6位オーストラリア
オーストラリアは米国の手先となっていて、米国との中国の関係があまり良くない中で、オーストラリアは中国が計画する海上シルクロードの邪魔をしているからだという。

5位ベトナム
ベトナムは気まぐれで度量が小さく、利益ばかり追求していると主張。米中の間で自分の益になるならそちらの側につくという姿勢ゆえに中国から嫌われているとした。

4位日本
日本は政府以外の民衆は友好的で、そのマナーと環境は中国から称賛を受けていると指摘。しかし、日本の政府高官によって日中間の友好が破壊されてしまっているとした。

3位米国
記事は「米国については多くを語るまでもない」とし、米国は夢の開拓地のような気がするが、実際には中国の庶民とは何の関係もなく、「米国がどのように中国に接するかに応じてわれわれも米国に接するだけだ」とした。

2位インド
広大な国土で風景は良いものの、インド人の名声と中国に対する態度は決して良いものではないという。というのも、インドとは領土問題があり、中国と友好関係にあるパキスタンとも軍事衝突があるため、インドに対して好感を持つことはできないとした。

1位韓国
主な理由は「韓国の政治家が中国人民の利益と安全を考慮しないから」で、高高度防衛ミサイル(THAAD)を中国の玄関先に配備することは我慢ならないという。

記事は最後に、上記の6カ国と比べて、タイ、カンボジア、ネパールなどの国は中国人が旅行に行くに適していると主張。美しい景色のほかに現地の人は友好的に迎えてくれるだろうと結んだ

政治的な理由が多いので国の考え方が凄く反映されている。 このような記事も中国の政府の意見が反映されていると思う。

楽天の星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことが分かった。70歳だった。死因は明らかになっていない。現役時代は中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任。計4度のリーグ優勝を飾り、楽天時代の13年には自身初の日本一に輝いた。17年に野球殿堂入り。「燃える男」、「闘将」と呼ばれ、巨人を倒すために野球人生をささげてきた男がこの世を去った。

楽天の星野仙一球団副会長

 突然の訃報だった。星野氏が息をひきとったのは4日。球界関係者によると「がんで闘病していた」という。昨年末に体調が悪化し、年末年始を家族とハワイで過ごす予定だったが急きょ取りやめていた。昨年11月28日に東京で、12月1日には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」に出席。2000人を超えるプロ、アマの球界関係者が集まり「これだけの人が来てくれて野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」と失われない野球への情熱を口にした。しかし、これが、最後の晴れ舞台となった。

 相手が強ければ強いほど、「燃える男」。現役時代のキャッチフレーズだった。その原動力が「打倒・巨人」。ドラフトでふられ、憧れの球団は「生涯のライバル」に変わった。中日のエースとして闘争心をむき出しにして投げ、巨人戦は歴代6位タイの35勝で通算146勝を挙げた。沢村賞を受賞した74年にはV10を阻止して優勝したが「日本シリーズは邪魔。俺は巨人を倒したからいいんだ」と言い切ったほど、巨人を倒すことに執念を燃やした。「強い巨人に勝ちたいんや」。その思いは引退後も変わることはなかった。

 監督時代は「闘将」と呼ばれ、代名詞は鉄拳制裁だった。「非情と愛情の2つを併せ持つことが大事」という持論を持ち、闘う集団につくり上げた。中日で2度のリーグ優勝。97年には扶沙子夫人(享年51)を白血病で亡くしたが、グラウンドで戦い続けた。「俺は弱いチームを強くすることが好きなんだ。それが、男のロマンやないか」。反骨心の塊のような男。02年に低迷していた阪神の指揮を執り、翌03年に18年ぶりのリーグ優勝に導く。楽天監督時代の13年には日本シリーズで宿敵の巨人を破り、4度目の挑戦で初めて日本一監督となった。

 14年にユニホームを脱ぎ、15年に球団副会長に就任。ONとともに球界への影響力は大きく、星野氏も「野球への恩返しの意味でも自分の思いや考えを若い人につないでいきたい」と語り、野球の普及活動に尽力していた。恋に恋した野球。しかし、楽しみにしていた20年東京五輪を前に帰らぬ人となった。あの笑顔はもう見れない。あの怒鳴り声ももう聞けない。