欧米人がワインのことを考えるとき、また飲む時に思い浮かべるのは、欧州、南北アメリカ、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドだ。だが、地球上で最大の大陸で造られ、消費されるワインは今、どのような状況にあるのだろうか?
アジアではワインへの関心が低く、それは宗教や社会的な背景が関連しているという指摘もある。また、アジア人は遺伝的に、アルコールを分解する能力が弱いのだという説もある。だが、アジアの人たちは決してワインに無関心なわけではなく、古くからワインに親しんできた歴史がある。そして、それは現在も続いている。
韓国
韓国では3世紀には発酵酒が存在していたとみられ、それを示す証拠も見つかっている。だが、実際にはもっと以前から存在していた可能性が高い。一方、ブドウのワインが現れたのは、それよりずっと後だと考えられている。
韓国のワイン産業を取り上げた英字紙「コリア・ヘラルド」の記事によると、同国でワイン生産が本格的に始まったのは、1990年代だという。記事は三つのワイン生産地のうち、慶尚北道の永川市にスポットを当てている。同市では、2008年にワインの生産が始まった。現在は18軒のワイナリーがあり、2015年は赤、白、ロゼ、アイスワインを合わせて27万本ほどを生産したという。韓国産ワインの同年の売上高は、35億ウォン(約3億2,000万円)上っている。
インド
古代インドでは、ブドウから作られたワインは支配階級や宗教指導者たちのものだった。一般市民の間に広まったのは、16世紀のことだ。ポルトガル人領主たちの下で広まり、英国統治下でさらに広く普及した。独立後は次第に廃れていったが、1980年代にフランスのワインメーカーがブドウとワイン製法を持ち込んだことにより、復活した。
高級スーパーでの販売状況には、インド国内で国産ワインの販売が増加していることを示す兆候がある。国内のワイン生産量は2008~09年に2,000万リットル近くに達し、海外に輸出し始めるのにも十分な量となった。2013~14年の輸出量は約20万ケースで、金額ベースではおよそ688万ドル(約7億1,500万円)となった。輸出は今後も、拡大が見込まれている。
中国の「台頭」ぶりは見逃せない
イラン
ワインは約6,000年前、ペルシア商人によってインドにもたらされたと考えられている。現在のイランとアルメニアの国境にあたるザグロス山脈では考古学的調査の結果、約7,600年前にワインが醸造されていたことを示す残留物が発見された。実際に、ワインは古代ペルシアの詩にも登場している。
7世紀にペルシアがイスラム勢力の支配下に置かれると、ワインは次第に忘れられていったが、その後1925~79年の世俗主義の時代には、合法的に堂々と生産されるようになった。1979年のイラン革命後は禁酒とされているが、英経済誌「エコノミスト」によると、「…政府の厳しい取り締まりにもかかわらず、イランでは年間およそ6,000万リットルのワインが消費されていると推定される」。
また、イランのワイン醸造用のブドウの栽培面積は、約3,000平方キロメートルに上るとの推計もある。このデータが正確ならば、イランはスペイン、フランス、イタリア、トルコ、米国に次いで世界第6位のワイン醸造用ブドウの生産国となる。
中国
あのシルクロードが中国から地中海沿岸まで伸びていたことを考えると、ペルシアやインドと同様、中国にワインが伝わっても不思議はない。中国で見つかっている最古のワインの残留物は、およそ5,000年前のものだ。しかし、中国は公式には、ワイン醸造が始まったのは約2,500年前の漢朝の時代だとしている。
1980年代の改革開放以降、新たに生み出されたエリート層の間でワインに対する関心が高まり、フランスをはじめとする各国からの輸入が増加した。現在では、世界有数のワイン市場となっており、さらに拡大を続けている。
中国の2013年のワイン消費量は、ボトルにして約21億7,000万本とされる。一方、世界最大の消費国である米国は、同年におよそ40億本を飲み干したとみられている。だが、米国の人口およそ3億2,500万人は、中国の人口約14億人に比べれば少なくさえ見える。中国の潜在消費量が、世界のワイン業界の垂涎(すいぜん)の的となっているのはそのためだ。
次にあなたがワインについて考える時には、アジアを思い浮かべたくなるかもしれない
アジアではワインへの関心が低く、それは宗教や社会的な背景が関連しているという指摘もある。また、アジア人は遺伝的に、アルコールを分解する能力が弱いのだという説もある。だが、アジアの人たちは決してワインに無関心なわけではなく、古くからワインに親しんできた歴史がある。そして、それは現在も続いている。
韓国
韓国では3世紀には発酵酒が存在していたとみられ、それを示す証拠も見つかっている。だが、実際にはもっと以前から存在していた可能性が高い。一方、ブドウのワインが現れたのは、それよりずっと後だと考えられている。
韓国のワイン産業を取り上げた英字紙「コリア・ヘラルド」の記事によると、同国でワイン生産が本格的に始まったのは、1990年代だという。記事は三つのワイン生産地のうち、慶尚北道の永川市にスポットを当てている。同市では、2008年にワインの生産が始まった。現在は18軒のワイナリーがあり、2015年は赤、白、ロゼ、アイスワインを合わせて27万本ほどを生産したという。韓国産ワインの同年の売上高は、35億ウォン(約3億2,000万円)上っている。
インド
古代インドでは、ブドウから作られたワインは支配階級や宗教指導者たちのものだった。一般市民の間に広まったのは、16世紀のことだ。ポルトガル人領主たちの下で広まり、英国統治下でさらに広く普及した。独立後は次第に廃れていったが、1980年代にフランスのワインメーカーがブドウとワイン製法を持ち込んだことにより、復活した。
高級スーパーでの販売状況には、インド国内で国産ワインの販売が増加していることを示す兆候がある。国内のワイン生産量は2008~09年に2,000万リットル近くに達し、海外に輸出し始めるのにも十分な量となった。2013~14年の輸出量は約20万ケースで、金額ベースではおよそ688万ドル(約7億1,500万円)となった。輸出は今後も、拡大が見込まれている。
中国の「台頭」ぶりは見逃せない
イラン
ワインは約6,000年前、ペルシア商人によってインドにもたらされたと考えられている。現在のイランとアルメニアの国境にあたるザグロス山脈では考古学的調査の結果、約7,600年前にワインが醸造されていたことを示す残留物が発見された。実際に、ワインは古代ペルシアの詩にも登場している。
7世紀にペルシアがイスラム勢力の支配下に置かれると、ワインは次第に忘れられていったが、その後1925~79年の世俗主義の時代には、合法的に堂々と生産されるようになった。1979年のイラン革命後は禁酒とされているが、英経済誌「エコノミスト」によると、「…政府の厳しい取り締まりにもかかわらず、イランでは年間およそ6,000万リットルのワインが消費されていると推定される」。
また、イランのワイン醸造用のブドウの栽培面積は、約3,000平方キロメートルに上るとの推計もある。このデータが正確ならば、イランはスペイン、フランス、イタリア、トルコ、米国に次いで世界第6位のワイン醸造用ブドウの生産国となる。
中国
あのシルクロードが中国から地中海沿岸まで伸びていたことを考えると、ペルシアやインドと同様、中国にワインが伝わっても不思議はない。中国で見つかっている最古のワインの残留物は、およそ5,000年前のものだ。しかし、中国は公式には、ワイン醸造が始まったのは約2,500年前の漢朝の時代だとしている。
1980年代の改革開放以降、新たに生み出されたエリート層の間でワインに対する関心が高まり、フランスをはじめとする各国からの輸入が増加した。現在では、世界有数のワイン市場となっており、さらに拡大を続けている。
中国の2013年のワイン消費量は、ボトルにして約21億7,000万本とされる。一方、世界最大の消費国である米国は、同年におよそ40億本を飲み干したとみられている。だが、米国の人口およそ3億2,500万人は、中国の人口約14億人に比べれば少なくさえ見える。中国の潜在消費量が、世界のワイン業界の垂涎(すいぜん)の的となっているのはそのためだ。
次にあなたがワインについて考える時には、アジアを思い浮かべたくなるかもしれない